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マショー Machault d'Arnouville, Jean-Baptiste de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マショー
Machault d'Arnouville, Jean-Baptiste de

[生]1701.12.13. パリ
[没]1794.7.13. パリ
フランスの政治家。法服貴族の家に生れ,エノーアンタンダンを経て,1745年 12月財務総監となった。財政上の公正を期するため,すべての所得に5%の税をかける 20分の1税を創設したが,聖職者階級と高等法院の攻撃を受け,ついに前者は当該税から免除されるにいたった。 54年財務総監職を退き,海相となったが,オーストリアとの同盟に反対してポンパドゥール侯夫人の支持を失い,57年引退。 93年反革命容疑者として逮捕され,翌年獄死。

マショー
Machaut, Guillaume de

[生]1300頃.マショー
[没]1377.4. ランス
フランスの聖職者,詩人,作曲家。 1323年からボヘミアの王ヨハンに仕え,37年ランスの聖堂参事会員。ヨハンの死後,フランスの宮廷に仕え,シャルル2世や王侯貴族の庇護を受け晩年はランスで安楽な生活をおくった。抒情詩とその旋律化は一体をなすと考え,アルス・ノバの代表的作曲家として,当時用いられていたほとんどの音楽形式による曲を書いた。作品中唯一のミサ曲『ノートル・ダム・ミサ』は,一人の作曲家が多声的に通作した現存する最古の作品として歴史的に重要。そのほか世俗歌曲の作品も多い。

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百科事典マイペディアの解説

マショー

ランスの音楽家,詩人。14世紀フランスの〈アルス・ノバ様式を確立した作曲家。1323年ころからボヘミア王ジャン・ド・リュクサンブールに仕え,主人に付き従ってヨーロッパ各地を旅した。

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世界大百科事典 第2版の解説

マショー【Guillaume de Machaut】

1300ころ‐77
フランスの音楽家,詩人。Machaultなどともつづられる。1323年ころからジャン・ド・リュクサンブールに仕え,ボヘミア王を兼ねていたこの主人に従って,ヨーロッパ各地を旅行した。33年にフランスの司教座聖堂参事会員に叙されていたマショーは,ジャンの秘書のまま,40年ころフランスに定住した。46年に主君が戦死した後,マショーはジャン・ド・ベリー公(シャルル5世の弟)ほか,フランスの有数の貴族に仕えた。

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大辞林 第三版の解説

マショー【Guillaume de Machaut】

1300頃~1377) フランス中世末期の作曲家・詩人。「ノートルダム-ミサ」などの宗教音楽、バラード・シャンソンなどの世俗音楽を作曲。多声語法の確立に貢献。長詩「真実物語」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マショー
ましょー
Guillaume de Machaut
(1300ころ―1377)

フランスの作曲家、詩人。シャンパーニュ地方に生まれ、1323年からリュクサンブール伯でボヘミア王でもあったジャン・ド・リュクサンブールの秘書官として活躍したが、46年にジャンが戦死したあとは、フランス王ジャン2世王妃ボンヌ、ナバル王シャルル、そしてジャン2世の息子たちに仕えた。同時に、37年からランス大聖堂参事会員も務め、晩年はランスで過ごした。マショーはトルーベール歌曲の伝統を受け継ぎ、歌曲定型を確立して、以後のフランス多声歌曲の方向を決定づけたばかりでなく、13世紀以来のモテトゥスの分野にも優れた才能を発揮した、14世紀フランスにおける最大の作曲家である。またミサ通常文のすべての章を多声曲として通作した、四声の『ノートル・ダム・ミサ曲』を書いたが、これは一人の作曲家の手になる史上最初の通作ミサ曲として重要である。また、詩作品では『運命の女神の薬』(1341ころ)、『獅子(しし)物語』(1342)などのほか、60歳の彼が16歳の少女と文通、その友情を牧歌的に歌った『真実物語』(1362~65)がとくに有名である。[今谷和徳]

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世界大百科事典内のマショーの言及

【キリスト教音楽】より

… つづく14世紀は,教皇権の落と初期ルネサンスの思潮をうけた世俗音楽の興隆を背景として,宗教音楽は全般的に振るわなかった。しかし,フランスの詩人・音楽家マショーによるポリフォニックな通作ミサ曲(ミサ通常文を一貫して多声部の楽曲に作出したもの。ミサ曲)をはじめとする諸作品があり,また俗語を歌詞とする宗教的な歌曲ラウダlauda(イタリア)やキャロルcarol(イギリス)なども隆盛に向かった。…

【シャンソン】より

…しかし,西洋芸術音楽史の上で〈シャンソン〉という場合,特に中世後期からルネサンスまでの多声歌曲を指し,バロック以降の伴奏付き独唱歌曲は含まない。
【中世・ルネサンスのシャンソン】
 12~13世紀に現れたトルバドゥールトルベールによって歌われた単声歌曲は,14世紀アルス・ノバの時代に入るとG.deマショーの手によって多声歌曲への大きな変貌を遂げた。13世紀にも初期多声楽曲として重要なモテットの最上声部にフランス語の世俗歌が引用される場合があったが,すべての声部が同一の抒情的歌詞を歌う多声楽曲は14世紀半ばまでごくまれであった。…

【中世音楽】より

…フランスでは,トルベールによって確立されたバラード,ビルレー,ロンドーrondeauの,詩と音楽の形式が継承発展させられた。代表的な詩人兼作曲家としてマショーが挙げられる。イタリアでは,マドリガーレ(マドリガル),バッラータballata(フランスのビルレー系),それにカノンの技法によるカッチャcacciaが数多く作られた。…

【フランス音楽】より

…宗教的な〈モテット〉のほかに世俗的なモテットも書かれ,さらにアダン・ド・ラ・アルの3声の〈ロンドー〉が示すように,音楽における世俗的なものが比重を増すにいたる。そして14世紀には,ビトリーPhilippe de Vitry(1291‐1361)ほか,とりわけマショーが,リズム構成に新機軸の際だつ新しい様式を作り上げる。それをビトリーは〈アルス・ノバ〉と呼んで誇った。…

【ミサ曲】より

…元来,通常式文の歌は一般信徒や下級聖職者が歌う素朴な歌であったが,10世紀になると専門的教会音楽家たちによって扱われるようになり,音楽芸術として進歩し,さらに11世紀以後,多声音楽の発展に伴い,合唱曲の形で数多く作曲されるようになる。14世紀にはG.deマショーが初めて通常式文の5曲を一貫して作曲し,以後,ミサ曲は統一的な楽曲形態として作られるようになる。16世紀末に至るまで,G.デュファイ,J.オケヘム,ジョスカン・デ・プレ,G.P.パレストリーナ,T.L.ビクトリアら当時のカトリック系作曲家はみなミサ曲を残している。…

※「マショー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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