法服貴族 (ほうふくきぞく)
noblesse de robe
近世フランス貴族の一類型。フランス史学の古典的分類では,武家貴族noblesse d'épéeと法服貴族が二大勢力をなしているが,法服貴族とは高等法院等の司法官僚が貴族に列せられたことから付いた名称である。彼らは王権が公権力の集中の途上で多くの司法専門官僚を必要としたため徴募した官僚群の上層部よりなっている。彼らは血筋によるとされている武家貴族とは異なり,パリ,ボルドー,ディジョン,グルノーブル等の高等法院官僚の出自が示すように王権から授爵した実業ブルジョアジーであることが圧倒的に多い。しかし,レンヌ,エクスの高等法院官僚のそれが示すように武家貴族が官職に就いていた場合もある。したがって,この意味では武家,法服の分類が必ずしも実態に即してはおらず,フランス史学に反省も生じている。
授爵の形式は二通りあり,初期には王権が功績や忠勤の代償に個人的に身分を授与したが,やがて官職売買が本格化すると,一定の官職に貴族身分を付与して売りに出し,その官職保有者もしくは遺族に20年以上の忠勤か在職中の死亡を要件に身分を授与するにいたった。これは16世紀以来緩慢に進んだが,とくに17世紀中葉のフロンドの乱前後の時代には,王権が司法官僚の支持を得る必要から貴族身分を授与する官職枠を,高等法院,会計法院,租税法院,大法院等の評定官conseillerかそれと同程度の官職にまで拡大した。しかし,地方や官庁によってはさらに遅れ,結局,1719年のパリ,リヨン貨幣法院の評定官官職等への拡大によって一応終了した。
こうして授爵した貴族の特権には,むろん武家貴族と同等にタイユ税・国王夫役・兵士の宿舎提供の義務・強制使用権等の免除,狩猟権,裁判上および名誉上の権利等がある。しかし,彼らは法制上貴族であっても最初から社会的に貴族と認知されはしなかった。彼らは16世紀にはまだ実業ブルジョアジーと武家貴族の間に位置し,17世紀になって勢力を増し,政治的・社会的役割を強化したが,武家貴族から反感を買い,事あるごとに差別を受け,婚姻等により両者のわだかまりが解けるのは18世紀中葉からであった。この時代になると,各法院が就任者に貴族身分を要求して実業ブルジョアジーを排除したから,法服貴族の数の上での増加も頭打ちになって,総数は最高諸法院(高等法院等5院)関係のみの狭義では2000人以上2300人以下であった。このような法服貴族が武家貴族とともに王権に反抗,フランス革命の口火を切りながら,1790年の身分制廃止により崩壊するのである。彼らは巨額の資本を投下し官職を購入したため,王権の崩壊が官職を無価値にするのを恐れて絶対王政の支柱とならざるを得なかったとみることもできるが,安定した生活と高い教養のため,モンテーニュ,デカルト,パスカル,モンテスキューらを輩出した活力ある知識階級をなした点も忘れてはならない。
執筆者:宮崎 洋
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法服貴族【ほうふくきぞく】
近世フランスの官僚貴族。中世以来の封建貴族(武家貴族)に対し,官職売買制度を通じて司法・財政の官職を獲得し,高等法院などの高級官職につくことにより貴族身分に叙された新興貴族。モンテーニュやデカルトもこの階級出身。ブルジョアジー出身者が多く,武家貴族からは差別された。18世紀以降絶対王権の強化とともに,反王権的態度をとることが多くなり,批判勢力の中核としてフランス革命にいたる道すじをつけたが,1790年の身分制廃止で崩壊。→貴族
→関連項目高等法院|フロンドの乱
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法服貴族
ほうふくきぞく
Noblesse de robe フランス語
17、18世紀フランスの高級官職保有者からなる新貴族。従来の伝統と格式を誇る領主貴族は「剣の貴族」とよばれて区別された。高級官職保有者、たとえばパリ高等法院法官職を二世代以上継承した平民出身者は、騎士や従騎士の貴族号を得た。売官制が進行したフランスでは、資産家に貴族身分への上昇の機会を与えることになった。法服貴族とは、主として高等法院法官がその特典を得たからであるが、その他の最高諸院高官にも与えられた。また剣の貴族はこの新貴族を蔑視(べっし)していたが、免税、栄誉、裁判特典など貴族身分の特権については同等であり、縁組みなどを通じて両者は事実上混合したのである。
[千葉治男]
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法服貴族
ほうふくきぞく
noblesse de robe
アンシアン・レジーム期のフランスで,新たに貴族号と特権を与えられた高級官職保有者をいう。高等法院をはじめとする高級官職を買収し,第三身分から身分上昇した資産家が多く,旧出生貴族である「剣の貴族」 noblesse d'épéeと対比されたが次第に結合した。貴族特権および高等法院特権の侵害に対し最も敏感に反応し,彼らが先頭に立って全国三部会招集を要求し,フランス革命の発端をつくった。
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法服貴族
ほうふくきぞく
フランス絶対王政下の官僚貴族
おもに裁判関係の高官が貴族に列したもので,ブルジョワジー出身者が買官によってなったものが多く,高等法院の裁判官はその代表的なもの。初めは「剣の貴族」といわれる封建貴族と対立したが,18世紀には両者が手を握って王権に反抗した。
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法服貴族(ほうふくきぞく)
noblesse de robe
近世フランスで官職購入によって貴族身分に叙せられた平民出身者をさす。古い家柄の武家貴族(帯剣貴族)に対して,司法,財務の官職保有者が多いためこう呼ばれ,高等法院評定官がその代表。
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世界大百科事典(旧版)内の法服貴族の言及
【アンシャン・レジーム】より
…中世末以来の経済的発展を通じて,富裕なブルジョアは没落貴族より所領を買って領主となり,[高等法院]などの高級官職に就くことによって,しだいに貴族身分へと滑り込んでいった。これらの新興貴族は,しかし,〈[法服貴族]〉と呼ばれ,中世以来の由緒正しい〈武家貴族noblesse d’épée〉からさげすまれることになろう。モリエールの描く《町人貴族》のジュルダン氏は,貴族らしくふるまうために,どれほど苦労したことか。…
【法曹】より
… もちろん,それぞれの社会によって法律家階層のあり方には相違が認められる。たとえばフランスでは,すでに14世紀にパリの高等法院を中心に学識裁判官層の形成がみられたが,国王の任命に対する候補者の提案権(なによりも高等法院の弁護士から選ばれた)を獲得,さらに官職の売買・相続制が結びつき,絶対王政下に[法服貴族](富裕なブルジョアジー出身の官僚貴族)を構成することになった。弁護士もバロbarreauxにみられるようにアンシャン・レジームの有力な政治団体を組織した。…
【身分制社会】より
…一般にヨーロッパのアンシャン・レジームにおいて,上級官職の保有が平民身分の貴族への上昇を可能にした理由もそこにある。モンテスキュー自身が本来それに属していた高等法院のメンバーは,法制上は〈第三身分〉に含まれていても,社会的には〈[法服貴族]〉という〈中間権力〉を構成していたのである。プロイセンのそれのような,強力な絶対王政のもとでも,身分制社会はあくまで維持されており,[ユンカー]と呼ばれる地方貴族は,文字どおりの〈中間権力〉として,所領の農民に対する〈家産的裁判権〉を行使し,これを人的に支配していた。…
※「法服貴族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」