メキシコ革命運動の指導者,大統領(在任1911-13)。北部コアウィラ州の大地主の長男に生まれ,フランスとアメリカで教育を受けた後,開明的な地主となる。1908年独裁者ディアスの民主化宣言と引退宣言に刺激されて小冊子を著し,〈1857年憲法〉の復活と副大統領の国民投票を提唱した。つづいて,引退を取り消して連続6選をねらうディアス大統領の再選反対運動を起こし,10年国民再選反対党の大統領候補となった。同年6月投獄された後テキサスへ亡命,同地で11月20日を機に独裁者打倒の全国武装蜂起を呼びかけた〈サン・ルイス・ポトシ計画〉を発してメキシコ革命を勃発させた。11年11月大統領に就任したが,農地改革を要求するサパタ農民勢力と対立し,いかなる改革をも拒む旧勢力とも対立して,社会改革に着手することなく13年2月クーデタにより倒れ,暗殺された。
→メキシコ革命
執筆者:国本 伊代
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メキシコ革命の指導者、メキシコ大統領(在任1911~13)。メキシコ北部の大地主の長男に生まれる。ディアス将軍の独裁支配に反対して、1910年の大統領選挙に出馬したが、弾圧されてアメリカに亡命、同地で武装蜂起(ほうき)を宣言し、11年5月ディアス政権を打倒した。革命成功後は、言論や労働運動の自由を保障するなど民主化に努力した反面、土地改革など社会経済的改革には消極的な姿勢をとった。このため革命派の支持を失い、13年2月クーデターで逮捕され虐殺された。
[野田 隆]
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…このような状況のなかで1910年5月村民を率いて武力で大農園に占拠された土地の奪還を図ったサパタは,その強い意志と優れた指導力によって,武装蜂起した農民運動の指導者となった。11年独裁者ディアス打倒と社会改革のプログラムを掲げたマデロの〈サン・ルイス・ポトシ計画〉に共鳴してマデロ運動と連帯し,その勝利に貢献。しかし,やがて政治の民主化を優先し農地改革の緊急性を理解しなかったマデロと対立し,同年11月農地改革の具体策を提唱した〈アヤラ計画〉を発表してマデロと決別した。…
…半植民地的社会経済構造の変革を目ざして,20世紀前半にメキシコで起こった民族主義的社会革命。狭義には35年間に及んだディアス独裁体制(1877‐1911)の打倒を目ざした1910年11月20日のマデロによる武装蜂起に始まり,革命憲法が制定された17年に終結したとされる。より広義には民主的政治体制の確立,農地改革の実施など革命目標が実現されたカルデナス政権(1934‐40)の終了をもって革命は終結したとされる。…
※「マデロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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