サパタ(読み)さぱた(英語表記)Emiliano Zapata

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サパタ」の意味・わかりやすい解説

サパタ
さぱた
Emiliano Zapata
(1879―1919)

メキシコ革命農民軍指導者。メキシコ市の南に隣接するモレロス州出身の小土地所有者で、1910年マデロの指導するメキシコ革命が始まると、翌11年3月貧農を率いてこれに参加した。しかし革命勝利後、土地改革に消極的なマデロ大統領と決裂し、同年11月、徹底した土地再分配と共同体的土地所有の復活を要求する「アヤラ・プラン」を発表、武装闘争を再開した。13年の反革命クーデター後も闘争を続け、14年の第二次革命の勝利後は、北部の貧農出身のビリャ同盟して国土大半を占領した。しかし、15年には革命主流派(カランサ派およびオブレゴン派)に敗北した。以後モレロス州でゲリラ戦を続けたが、19年カランサ大統領の軍隊に暗殺された。しかし、サパタ派の土地改革要求は17年に制定された革命憲法に取り入れられ、以後メキシコの土地改革運動に大きな影響を与えた。

野田 隆]

『ジョン・ウォーマック著、向後英一訳『サパタとメキシコ革命』(1970・早川書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サパタ」の意味・わかりやすい解説

サパタ
Zapata, Emiliano

[生]1879.8.8. モレロス,アネネクイルコ
[没]1919.4.10. モレロス,チチメカ
メキシコ革命の農民軍指導者。農民の子として生れ,農民による小規模なゲリラの指導者となった。 1910年の F.マデロの武装反乱を支持してモレロス州で蜂起したが,やがてマデロと対立,11年 11月徹底した土地改革を目指すアヤラ・プランを発表した。以後一貫して土地改革を主張し,14~15年には貧農出身の P.ビヤと同盟,メキシコシティーを占領したが,カランサ派に追われ,19年暗殺された。

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