翻訳|manor
中世イングランドの領主の所領。ドイツの〈グルントヘルシャフト〉,フランスの〈セニュリseigneurie〉とともに〈荘園〉の訳語をあてることがある。典型的なマナーは領主直営地と農民保有地から成り,また農民の社会的集団の単位である村落共同体をその基礎としている。領主はマナー裁判所を有し,また自分の親族や農民のために教会を建立してその司祭を司教に推挙する権利をもっていた。しかし以上のような典型的な姿をもたないマナーも多数存在した。その規模が多様であるうえ,領主直営地が存在しなかったり,また一つの村落に多数のマナーが存在する例があった。しかしいずれの場合もマナーは中世農村社会における領主支配の基本単位である。
マナーにあたるラテン語マネリウムmaneriumはノルマン征服(1066)以後に現れるが,その実体は北方デーン人の侵攻が激しくなる9世紀後半には各地に成立したとみられている。すなわち戦争の激化とともに,一方では軍事的・行政的任務の遂行を条件として所領を授与される一群の有力者層が現れ,他方ではもっぱら農業に従事し託身を行って生命・財産の保護をこれら有力者たちに求め,その代償として種々の労働や貨幣・生産物を上納する隷属的な社会層が生まれ,こうしてマナーの構成を備えた所領が成立した。有力者は軍事的に優越した階層のみでなく,司教やベネディクト会の修道院長もまた有力領主層を形成し多数のマナーを所有した。
マナーは政治的・社会的安定期で人口も増加した12世紀後半から13世紀にいたって最高度に展開する。同じくこの時代は都市も繁栄した。有力な領主はいくつかのマナーを所有した。それぞれのマナーは領主の指名するベーリフbailiff(自由人差配)と農民選出のリーブreeve(農奴管理人)によって管理・運営され,さらにこれらのマナー全体を領主の代理であるセニシャルseneschal(またはスチュワードsteward)が年に2,3回巡回して経営の監督にあたった。しばしば領主は優等地を直営地に指定し,また地域によっては直営地の施肥のために囲いを設けて農民の家畜を強制的に放牧させた。耕耘や収穫にはファムルスfamulus(直営地雇用労働者)の労働と隷農の賦役をあてることができた。領主直営地の生産物は主として穀物と羊毛で,自家消費分を除いて市場向けに販売された。13世紀には個々のマナーで毎年収支決算が行われ,マナー会計録が作成された。さらに所領経営と会計術の手引書が多数流布した。
また〈裁判は大きなもうけ〉といわれるように,領主裁判権はマナー社会の秩序維持のためのみでなく,有罪判決を受けた者の動産を押収したり罰金を徴収するなどで利益をもたらした。古来,裁判所は3週間おきに開廷され,〈マナーの慣習〉に従って裁判が行われるといわれてきたが,開廷の頻度はマナーによって異なり,大領主にあっては年に2回程度の例が少なくなかった。農奴は全員つねに裁判への出仕を義務づけられ,これに違反すれば罰金を課せられた。自由土地保有農民の場合は,土地授与の証書に出仕の義務が明記されるようになった。裁判権の範囲は国王の法律家によってしだいに限定されるようになるが,刑事事件の類もしばしば扱っている。また裁判の集会では放牧入会権の割当てや農作業の調整なども話し合われたため,そのときには農奴のみでなく自由土地保有農民も出席した。13世紀以降はマナー裁判所記録も作成されるようになった。
マナー制度のもとにある農民は,隷属的な零細農民や富裕な隷農や名目的な金額を上納する自由土地保有農民など多様な階層から成るが,おおむね15エーカー(約6ha)の土地を保有する隷農がその中核をなした。農民の土地は地条stripとして各耕区に散在し,耕区は二つないし三つの耕圃に団地化され,さらに耕圃を単位として休閑を交えつつ輪作が行われた。耕耘には1組8頭(または6頭,4頭など)の雄牛に引かせる重量犂(すき)が使用され,そのために標準的な15エーカー保有隷農はそれぞれ1頭ずつを供出した。また耕地の周囲にある森林や荒蕪地には入会権が設定され,農民は家畜を放牧したり,家屋補修のための材木や燃料用の下生えを採取する権利をもっていた。こうして隷農は自立して生計を営むことができたが,人格が非自由であるために,領主の保護下にあって種々の上納金,娘の結婚承認料や死亡税(優良な家畜で支払う)を収める義務を負った。
マナーの解体とは,14世紀後半にいたって領主直営地が解体し,したがって農民の賦役が消滅して地代の金納が一般的となった現象を指す(ただしこれによって例えばマナー裁判所などが直ちに機能を停止したのではない)。1348-49年の黒死病(ペスト)やその後の疫病による人口の激減,隷農による賦役付保有地の放棄などが無主地の増加を促し,上述の傾向を速めた。さらに労働力不足のために領主は有利な条件で土地を貸与したり,またわずかな労働力で可能な牧羊経営に転換したが,すでに13世紀のマナーの構成は失われていた。
→荘園
執筆者:佐藤 伊久男
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… 第1は荘園を私的大土地所有の形態とみて,その内部構造を究明しようとする流れで,近代史学史の主流をなし,中田薫,朝河貫一,牧健二らにより,西欧との比較を通して確立した見方である。ただ中田薫が荘園領主権を公法上の支配権とし,朝河貫一が荘園とマナーの相違を強調,牧健二が職(しき)の官職的・公法的側面に着目するなど,西欧の封建制との違いにそれぞれ注目していることは見のがせない。その後,竹内理三,今井林太郎らは活発な個別荘園研究を背景に,荘官・荘民,年貢・公事(くじ)の実態など,内部構造の解明を進めたが,土地公有制をとる律令制との対立の中で荘園をとらえる一方,地頭・守護などの武士に荘園を変質・崩壊させる力を見いだす点では共通した見方に立ち,荘園整理令や下地中分(したじちゆうぶん),半済(はんぜい)などもその観点から追究した。…
…(b)この意味での封建制度は,世界中どこにもみられる普遍的現象である。(c)ヨーロッパの学界では,この意味では領主制,マナー,グルントヘルシャフト,セニュリseigneurieの語(いずれも日本では〈荘園(制)〉と訳されているが,日本の荘園と同一視できるかは問題である)が用いられ,フューダリズムの語は用いられないのが通例である。(d)時代的には,この意味の封建制度は,奴隷制の崩壊から近代市民社会の成立までの全時期を包括するが,レーン制の意味での封建制度は,8~9世紀から13世紀までみられるにすぎない。…
…中世イギリスの荘園(マナー)領主の邸宅をいう。城郭に比して,防備的性格の希薄なものをさし,イギリスは大陸諸国に比べて治安が良好だったため,13世紀から15世紀にかけての遺構が多数見られる。…
※「マナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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