精選版 日本国語大辞典 「礼」の意味・読み・例文・類語
れい【礼】
いや ゐや【礼】
らい‐・す【礼】
うや‐・ぶ【礼】
れい‐・する【礼】
うや【礼】
れい‐・す【礼】
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中国で礼といえば,日常の礼儀作法にとどまらず,冠婚葬祭の通過儀礼はもとより,家,地域社会,学校,朝廷といった場における作法や式次第も包括する。特定の時と場にふさわしい,対他的な身体行動を規範化したもの,といえるだろう。のみならず,こうした個人の身体行動を超えて,国家を維持し運営してゆくためのシステムの総体もまた,礼の名で呼ばれた。《周礼(しゆらい)》は《儀礼(ぎらい)》《礼記(らいき)》とならぶ〈三礼(さんらい)〉の一つであるが,この古典的礼書には,宇宙の秩序になぞらえて官僚制度や文物典章が整然と記述されている。中国は,こうした礼の有無によって文明国(中華)と非文明国(夷狄(いてき))とを差別したから,礼はもっとも広義には文化と言い換えてもよい。
→中華思想
礼を支えるものは,秩序への意志である。身分や階級の差,長幼の序,親族と他人の別などが,身体行動をはじめ,服装や日用器具などを通して表現されねばならない。現代中国で,〈礼とは奴隷制あるいは封建制の上部建築の総称であり,その核心をなすのは身分制度とそれにふさわしい社会的道徳的規範〉などと批判されるゆえんである。
礼を推進したのはむろん儒家であった。礼は仁義礼智信の〈五常〉のなかに組み込まれている。孔子は〈礼を学ばないと人として立ってゆけない〉(《論語》季氏篇)と語ったし,弟子といっしょに礼の演習も行った。そもそも儒家の源流は礼(特に葬礼)の請負師だったといわれている。孔子が礼を重んじたのは,仁や義や孝といっても,それを具体的な身体行動で表さないかぎり空念仏に終わってしまうからであろう。礼はまず〈履(り)〉(実践)なのである。では逆に,自己のふるまいが礼の規範にかなっていさえすればそれでよいのか。孔子は言う,〈人が不仁であれば礼が何になろうぞ〉(《論語》八佾(はちいつ)篇)。
礼はひとつの外的規範であるから,内なる〈人情〉(人の自然な気持)と調和するやいなや,というのも礼をめぐる論点の一つであった。〈礼は人の情に因(よ)りてこれが節文(美的なarticulation)をなすもの〉(《礼記》坊記篇など)というのが儒教の公的見解であったが,礼教を偽善的な抑圧の体系と指弾した人々がいたのも事実である。朱熹(子)は〈天理の節文,人事の儀則(ぎそく)〉(《論語集注(しつちゆう)》学而(がくじ)篇など)と定義し,礼を人間の先天的な道徳性(天理)の表現としてとらえて,内と外の乖離(かいり)を止揚しようとした。
〈礼楽〉と並称される〈楽(がく)〉は,広く礼のなかに包摂されるが,分けて言った場合,〈楽は同をなし礼は異をなす〉〈楽は天地の和,礼は天地の序〉(《礼記》楽記篇)などとあるように,世界を分節して秩序づける礼に対し,楽はその厳格なコスモスの一時的な解体--カオス化をめざしている。
礼は〈礼治〉という語があるように,それ自体ひとつの政治思想でもあった。儒家のこの礼的道徳的秩序を〈法〉によって再編成しようとしたのが法家であったが,中国の王朝は歴代,タテマエとしての礼治とホンネとしての法治との,ふたつの統治法を巧みに使い分けた。
→礼楽
執筆者:三浦 国雄
日本は,大陸から律令制度を輸入することによって国家の統一を進めたが,律令の背後にある儒教,その根本をなす礼を理解するのは容易なことではなかった。聖徳太子の〈十七条憲法〉の第4条は,礼を重んずべきことを説いているが,そこで説かれる礼は,倫理的なものにとどまり,習俗や宗教的なものにかかわるものではない。中国文化の受容が進むなかで,儒教の徳目の一つとしての礼に関する知識は広まったが,礼は,人間関係の表面的,形式的なものをさすことばとして用いられることが多く,〈礼儀は下から慈悲は上から〉〈礼過ぐれば諂(へつら)いとなる〉というように上下の道徳のなかで説かれ,〈親しき仲に礼あり〉というように礼節が重視された。他方,礼は中世以降,敬礼,敬意を表す動作,感謝を表すことばの意味で用いられ,恩恵に対する返しとして贈与する金品をいうことばにもなった。そしてさらに〈お礼参り〉は意趣返しの意味にもなった。
執筆者:大隅 和雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国の前近代社会で、伝統的社会制度や道徳規定をさす語。とくに、儒教のいわゆる聖人(おもに周公(しゅうこう))の定めた礼(経書としては『周礼(しゅらい)』『儀礼(ぎらい)』『礼記(らいき)』の「三礼(さんらい)」が中心)をさし、六経(りくけい)(六芸(りくげい))や五経の一部とされる。概して、差等的秩序、具体的実践、拘束的規範性を強調する側面がある。礼という文字は、元来、祭器、また祭礼の儀式とかかわるが、広く貴族社会の秩序をさすようになった。周の礼、すなわち周の伝統文化を尊崇した孔子(孔丘(こうきゅう))は、礼に道徳的色彩を与え、法治に対する礼治(徳による支配)、「克己復礼」(自覚的実践倫理)を主張した。孔子以降の儒家は、一方で伝統的儀礼の継承に努め、一方で礼の理論化を進め、『礼記』に収められるさまざまな文献を残した。荀子(じゅんし)(荀卿(じゅんけい))は、とくに礼を重視し、「礼義」こそ、聖人が、社会秩序の維持のために考案したものと考え、礼論を展開した。儒者たちが、前漢帝国の典章制度の整備に関係して以来、儒教は、国家を頂点とする社会秩序を、理論的に正当化する礼教として機能することが多かった。他方、経学としての礼学は、鄭玄(じょうげん)の『三礼注』を基礎に進められ、唐の『礼記正義』『周礼注疏(ちゅうそ)』『儀礼注疏』に、漢唐訓詁(くんこ)学の成果がまとめられている。朱熹(しゅき)(朱子)も、礼を「天理の節文」として重んじ、「三礼」を再構成して『儀礼経伝通解』を作成した。また、清(しん)朝考証学では、礼学の名物学的側面に成果があがり、宮室車服など古代の文物の実証的研究が推進された。
[高橋忠彦]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…人と人とが出会うとき,言葉や身ぶりのなんらかの儀礼的交換があるのがふつうである。いまデュルケームの宗教社会学の概念を借りて(《宗教生活の原初形態》1912),それらを〈消極的儀礼negative rite〉と〈積極的儀礼positive rite〉に分けることができるであろう。…
…一般に慣習法は成文法の発達とともに後退するが,中国では秦の始皇帝による集権的統一国家以後成文の法が発達し続け,明・清に至って極点に達したという状況があり,成文法による統一的・画一的支配が長く続き,しかも社会規範として成文法と慣習法の併存という形をとらないのである。 成文法は慣習法より〈礼〉と併存する,というより礼の実現を目ざすというあり方を示した。慣習法は成文法によって領域を狭められ,さらに礼によって排除されるのである。…
…ところが,中世後期に生まれたヨーロッパの宮廷社会のように,緊密な社会的相互依存体系が成立すると,ただ単に他人に害をあたえてはならないというだけでなく,他人に不快感をあたえるおそれのあるふるまいを抑制し,周囲の人々の動作を模倣するなどして,できるだけ他人に気に入られるようにふるまう必要が生じる。そうして,挙措動作の全般にわたってある種の洗練化が徐々にすすみ,それはけんかやあだ討ちにも作法,礼儀があるといわれるように,立居振舞のあらゆる領域に及ぶ。作法が倫理道徳の問題であるよりも,むしろしばしば美の問題であり,無作法な動作は悪であるよりも醜と感じられることが多いのも,このような成立事情によっている。…
…(1)五倫五常 三綱五倫(君臣・父子・夫婦と兄弟・朋友)の身分血縁的関係をあるべき人倫秩序とし,家族組織から政治体制まで貫く具体規定を備える。この人間関係を支える必要な道徳が,五常(仁・義・礼・智・信)であり,その修得のための人間論・意識論がくりかえされた。(2)修己治人 五常を修養し(修己),五倫秩序の実現につとめる(治人)不断の教化が,統治層士人(君子)の任務である。…
…その労働者の多くは奴隷であった。《礼記(らいき)》という書物に,〈礼は庶人に下さず,刑は大夫に上(のぼ)さず〉という。礼は,各身分間の関係を規定した制度で,当時黄河流域の諸国のあいだでは共通した社会的規範として認められていたが,庶人はその規範の埒外(らちがい)におかれていたことを意味し,士までが一応支配階層として考えられていたことを示している。…
…〈善とは何か〉に当たるものはむしろ〈仁とは何か〉であった。しばしば,儒教では礼(外的な規範)に合致することが善である。儒教道徳は外面道徳である,と説かれることがあるが,それは正しくない。…
…乃木将軍の死は武士道の精華とこそいうべきであろうが,どう考えても儒教的ということはできないように思われる。君父に対するいかに深い哀痛であろうとも,それを礼によって抑制して〈性を滅せしめない〉のこそ儒教の教えであった。汨羅(べきら)に身を投じた忠臣屈原の自殺がしばしば遺憾とせられるのは,すなわちそれである。…
…礼は,字義としては祭神に酒醴(しゆれい)を捧げて農事を祈報する意で,その祭祀の饗宴をも指した。起源として,禁忌・神聖諸観念に覆われた政教未分の宗教儀礼があり,その支配下で全人間生活が営まれた。…
※「礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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