マヌエル[1世](読み)マヌエル

  • 1世
  • Manouēl I Komnēnos
  • Manuel I

世界大百科事典 第2版の解説

1120‐80
ビザンティン帝国の皇帝。在位1143‐80年。ヨハネス2世の四男。親西欧的傾向をもつ一方,世界帝国の理念の実現を目ざした。シチリアのルッジェーロ王を押さえ,アンティオキア公国,ハンガリー,セルビアに一時的にせよ宗主権を認めさせ,イタリアではフリードリヒ1世の南進策に精力的に対抗した。しかしアナトリアではルーム・セルジューク軍に敗れ(ミュリオケファロン。1176)大きく後退した。【和田 広】
1469‐1521
ポルトガル王。在位1495‐1521年。アフォンソ5世の弟ドン・フェルナンドの子。嗣子のないいとこジョアン2世の養子となり,遺言により即位した。先王の海外進出事業を受け継ぎ,バスコ・ダ・ガマのインド航路発見(1498),カブラルによるブラジル併合,アルメイダ,アルブケルケの活躍で,その治世下にアフリカ,アジア,新大陸にまたがる一大海洋帝国を築いた。首都リスボンはアジアの香料,アフリカの金,マデイラ島の砂糖が流入し,このを背景に絶対王制を確立した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のマヌエル[1世]の言及

【大航海時代】より

…それによってベルデ岬の西370レグア(約2040km)の線を境界とし,その西側で発見された土地はスペインの,その東側で発見された土地はポルトガルの領土とすることとされた。ポルトガルでは97年マヌエル王の指揮下にバスコ・ダ・ガマの船隊が編成され,インドに派遣された。ガマの船隊は98年にインドのカリカットに到着し,99年にコショウを積んで帰国した。…

【ポルトガル】より

…ロマネスクでは巡礼路様式のコインブラ旧大聖堂(1184),ゴシックへの移行期のシトー会様式ではアルコバーサAlcobaçaのサンタ・マリア修道院(1222)が,ゴシックではバターリャ・サンタ・マリア・ダ・ビトリア修道院(15世紀)が傑出している。この国の建築が偉大な個性を発揮したのは大航海時代で,時の王マヌエル1世(在位1495‐1521)にちなむマヌエル様式と呼ばれる建築様式が生まれた。これは晩期ゴシックからルネサンスにかけて,船具,海産物などのモティーフや植物的モティーフを多用した過剰装飾様式で,全土に広がったが,トマールTomarのキリスト修道院の窓,リスボン近郊ベレンBelémの塔とジェロニモス修道院が代表作とされる。…

※「マヌエル[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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