マヌエル(その他表記)Niklaus Manuel

改訂新版 世界大百科事典 「マヌエル」の意味・わかりやすい解説

マヌエル
Niklaus Manuel
生没年:1484-1530

スイス画家父方の姓アレマンAllemanのドイツ語訳ドイッチュDeutschを名前の末に付して署名した。生地ベルンを中心に活躍。宗教改革の動乱の時代に生き,画家としてだけでなく政治的活動にも関与し,また風刺詩教皇批判の劇も書いた。同時代のグラーフと共にルネサンス期のスイス絵画を代表する。その作品の主題は神話的なものと宗教的なものとに大別される。《パリス審判》は前者の代表的な作品であるが,腹のせり出した3人の女神のプロポーションは古典的というよりはゴシック風で,この点ではクラーナハ裸婦とのつながりを思わせる。また人物の着衣やアクセサリー,髪形などに見られる凝った装飾性はマニエリスムにも通じる。《ヨハネの斬首》(1520ころ)でも同様の装飾性が強調されているが,その一方で,画面をさくようないく筋かの閃光が幻想的でドラマティックな効果を生んでいる。背景にしばしば登場する森の描写は,クラーナハあるいはドナウ派の影響をうかがわせる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マヌエル」の意味・わかりやすい解説

マヌエル(1世)(ポルトガル王)
まぬえる
Manuel Ⅰ
(1469―1521)

ポルトガル王(在位1495~1521)。アビス朝第5代の王で、僥倖(ぎょうこう)王o Venturosoともよばれる。ビゼウ公ドン・フェルナンドの息子。ジョアン2世の王妃レオノルの末弟で、ジョアン2世の嫡子の死後、養子となる。マヌエル1世の治下、ポルトガルは、バスコ・ダ・ガマのインド航路発見(1498)、カブラルのブラジルの「発見」(1500)によって一大海洋帝国を築き、リスボンはアフリカ、アジア、ブラジルから流入する富で未曽有(みぞう)の繁栄をみた。彼は、この富を背景に中央集権化を進め、絶対王政確立した。また、文化面でもルネサンスの黄金時代を迎え、戯曲家のジル・ビセンテ、詩人のサ・デ・ミランダなどが輩出し、建築ではジェロニモス修道院ベレンの塔などいわゆる「マヌエル様式」が発達した。

[金七紀男]



マヌエル(1世)(ビザンティン皇帝)
まぬえる
Manuel Ⅰ
(1120―1180)

ビザンティン皇帝(在位1143~80)。コムネノス朝の皇帝ヨハネス2世の四男。外交手腕にたけた政治家で、西欧の騎士道文化に理解を示しながらも、他方ビザンティン帝国の世界支配の実現を目ざした。ノルマンのロジェール2世に苦しめられ、続くウィリアム1世とは和議ののち南イタリアから撤退した。しかし、キリキアのアルメニア領、アンティオキア公国、セルビア、ハンガリーにも帝国の宗主権を認めさせた。が、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の反ビザンティン帝国路線に同調したイコニオンのルム太守領にはミリオケファロンの戦い(1177)で大敗を喫し、その栄光に頓挫(とんざ)をきたした。また、ベネチアの進出を抑えることもできなかった。

[和田 廣]

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百科事典マイペディア 「マヌエル」の意味・わかりやすい解説

マヌエル[1世]【マヌエル】

ポルトガル国王(在位1495年―1521年)。バスコ・ダ・ガマアルブケルケ等を新植民地開拓に派遣し,王国の黄金時代を現出せしめた。中央集権化を進め,絶対王政を確立,ユダヤ人に改宗を強制し弾圧した。
→関連項目カブラルリスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マヌエル」の意味・わかりやすい解説

マヌエル
Manuel, Niklaus

[生]1484頃.ベルン
[没]1530頃.ベルン
スイスの画家,詩人,政治家。 Nikolaus Deutschと呼ばれることもある。 H.フリース,ブルクマイヤーのもとで修業し,1516,22年に傭兵として北イタリアでの戦闘に参加した。 22~26年反教権的著作や『教皇とその司祭たち』 Vom Papst und seiner Priesterschaft (1523) などの劇作を発表,28年以降ベルン市会で宗教改革の闘士として活躍した。作品はベルン修道院付属聖堂の『死の踊り』 (18,バーゼル美術館) ,『パリスの審判』 (23~25,同) 。主著『免罪符商人』 Der Ablasskrämer (26) 。

マヌエル

「フアン・マヌエル」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のマヌエルの言及

【学校劇】より

…娯楽の少ない時代だけに学校劇は内容はわからなくとも大いに流行し,教師も父兄も熱中した。やがて,T.ムルナーやマヌエルN.Manuel(1484‐1530)などの手によってラテン語の創作劇が生まれる。宗教改革の嵐の吹き荒れたドイツでは,カトリックとプロテスタントの両陣営はそれぞれの立場のラテン語劇で対抗し論争した。…

【学校劇】より

…娯楽の少ない時代だけに学校劇は内容はわからなくとも大いに流行し,教師も父兄も熱中した。やがて,T.ムルナーやマヌエルN.Manuel(1484‐1530)などの手によってラテン語の創作劇が生まれる。宗教改革の嵐の吹き荒れたドイツでは,カトリックとプロテスタントの両陣営はそれぞれの立場のラテン語劇で対抗し論争した。…

※「マヌエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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