マヌエル(英語表記)Niklaus Manuel

改訂新版 世界大百科事典 「マヌエル」の意味・わかりやすい解説

マヌエル
Niklaus Manuel
生没年:1484-1530

スイス画家父方の姓アレマンAllemanのドイツ語訳ドイッチュDeutschを名前の末に付して署名した。生地ベルンを中心に活躍。宗教改革の動乱の時代に生き,画家としてだけでなく政治的活動にも関与し,また風刺詩教皇批判の劇も書いた。同時代のグラーフと共にルネサンス期のスイス絵画を代表する。その作品の主題は神話的なものと宗教的なものとに大別される。《パリス審判》は前者の代表的な作品であるが,腹のせり出した3人の女神のプロポーションは古典的というよりはゴシック風で,この点ではクラーナハ裸婦とのつながりを思わせる。また人物の着衣やアクセサリー,髪形などに見られる凝った装飾性はマニエリスムにも通じる。《ヨハネの斬首》(1520ころ)でも同様の装飾性が強調されているが,その一方で,画面をさくようないく筋かの閃光が幻想的でドラマティックな効果を生んでいる。背景にしばしば登場する森の描写は,クラーナハあるいはドナウ派の影響をうかがわせる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マヌエル」の意味・わかりやすい解説

マヌエル
Manuel, Niklaus

[生]1484頃.ベルン
[没]1530頃.ベルン
スイスの画家,詩人,政治家。 Nikolaus Deutschと呼ばれることもある。 H.フリース,ブルクマイヤーのもとで修業し,1516,22年に傭兵として北イタリアでの戦闘に参加した。 22~26年反教権的著作や『教皇とその司祭たち』 Vom Papst und seiner Priesterschaft (1523) などの劇作を発表,28年以降ベルン市会で宗教改革の闘士として活躍した。作品はベルン修道院付属聖堂の『死の踊り』 (18,バーゼル美術館) ,『パリスの審判』 (23~25,同) 。主著『免罪符商人』 Der Ablasskrämer (26) 。

マヌエル

フアン・マヌエル」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のマヌエルの言及

【学校劇】より

…娯楽の少ない時代だけに学校劇は内容はわからなくとも大いに流行し,教師も父兄も熱中した。やがて,T.ムルナーやマヌエルN.Manuel(1484‐1530)などの手によってラテン語の創作劇が生まれる。宗教改革の嵐の吹き荒れたドイツでは,カトリックとプロテスタントの両陣営はそれぞれの立場のラテン語劇で対抗し論争した。…

【学校劇】より

…娯楽の少ない時代だけに学校劇は内容はわからなくとも大いに流行し,教師も父兄も熱中した。やがて,T.ムルナーやマヌエルN.Manuel(1484‐1530)などの手によってラテン語の創作劇が生まれる。宗教改革の嵐の吹き荒れたドイツでは,カトリックとプロテスタントの両陣営はそれぞれの立場のラテン語劇で対抗し論争した。…

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