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ミレー Millais, Sir John Everett, Baronet

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ミレー
Millais, Sir John Everett, Baronet

[生]1829.6.8. サウサンプトン
[没]1896.8.13. ロンドン
イギリスの画家,挿絵画家。 1838年ロンドンに出て 40年に 11歳でロイヤル・アカデミー・スクールに入学し,在学中にアカデミーのすべての賞を獲得。 48年友人 D.ロセッティ,W.ハントらとともにラファエル前派の運動を起し,新鮮な自然観照に基づく精緻な画風を展開。この時期の主要作品は『大工の仕事場のキリスト』 (1850,ロンドン,テート・ギャラリー) ,『オフィーリア』 (52,同) ,『盲目の少女』 (56,バーミンガム市立美術館) 。その後も多くの肖像画,歴史画,風俗画を制作したが,63年頃から作風は次第にアカデミックな傾向を強めた。 85年男爵,96年ロイヤル・アカデミー総裁。

ミレー
Millay, Edna St. Vincent

[生]1892.2.22. メーン,ロックランド
[没]1950.10.19. ニューヨーク,オーステリッツ
アメリカの女流詩人,劇作家。抒情詩『再生』 (1912) によって認められ,1917年には最初の詩集『再生その他』 Renascence and Other Poemsを出版。同年バッサー女子大学を卒業し,ニューヨークに出てプロビンスタウン劇団に加わり,女優として舞台に立ち,『王女と小姓との結婚』 The Princess Marries the Page (18) などの戯曲を書いた。『2度目の4月』 Second April (21) ,『竪琴をつくる者』 The Harp Weaver (23,ピュリッツァー賞) で抒情詩人としての地位を確立し,その後『真夜中の会話』 Conversation at Midnight (37) など多くの詩集を出した。死後に『全詩集』 Collected Poems (57) ,『書簡集』 Letters (52) が出版された。

ミレー
Millet, Jean François

[生]1814.10.4. グレビル近郊グリュシー
[没]1875.1.20. バルビゾン
フランスの画家。農家の長男として生れ少年時代農業を手伝った。 19歳から絵の修業を始めて 1835年父の死で中止したが,36年シェルブールで再び絵を学び,37年奨学金を得てパリに行き P.ドラロッシュに師事した。またルーブル美術館で H.ドーミエや N.プーサンの作品を研究。初期には神話画,風俗画,肖像画を制作していたが,48年のサロン出品作『籾 (もみ) をふるう人』 (ロンドン,ナショナル・ギャラリー) において,彼の基本的な画題となった「農民」が初めて出現する。 49年パリから小村のバルビゾン (→バルビゾン派 ) に移住,T.ルソーや C.コローと親交を結ぶ。貧困とたたかいながら真摯な態度で農民生活に取材した一連の作品を制作し,独特の詩的情感とメランコリックな雰囲気の漂う作風を確立した。 68年レジオン・ドヌール勲章受章。 74年政府からパンテオンの礼拝堂に装飾画の注文を受けたが,着手しないうちに病没。素描やパステル画も残した。主要作品『種をまく人』 (1850,ボストン美術館,山梨県立美術館) ,『落穂拾い』 (57,オルセー美術館) ,『晩鐘』 (59,同) 。

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デジタル大辞泉の解説

ミレー(Jean-François Millet)

[1814~1875]フランスの画家バルビゾン派。敬虔(けいけん)な信仰心と情愛に満ちた表現で農村生活を描いた。作「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」など。

ミレー(John Everett Millais)

[1829~1896]英国の画家。ラファエル前派の結成に参加。のち、ロイヤルアカデミー会長。作「オフェーリア」など。ミレイ。

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百科事典マイペディアの解説

ミレー

英国の画家。ローヤル・アカデミーに学んだのち,ロセッティハントらとラファエル前派を結成。克明で写実的描写と感傷性を特徴とする。1855年ころラファエル前派を離れ,1896年ローヤル・アカデミーの会長となった。

ミレー

米国の女性詩人,劇作家。詩《再生》(1912年)で注目され,同名詩集を1917年に刊行。グリニチ・ビレッジに住んで戯曲《アリア・ダ・カポ》などを書く。詩集《竪琴をつくる者》(1923年)など。

ミレー

フランスの画家。ノルマンディーの農家に生まれ,給費生としてパリに出てドラローシュに学び,農民生活を主題とした絵を描いた。のちバルビゾンに住んでコロー,ディアズ,ルソーら風景画家と交友,バルビゾン派の一人となった。
→関連項目アンジェラスオルセー美術館山梨県立美術館

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世界大百科事典 第2版の解説

ミレー【Edna St.Vincent Millay】

1892‐1950
アメリカの女性詩人。メーン州に生まれ,バッサー・カレッジ在学中に詩〈再生〉がアンソロジー《抒情詩選》(1912)に収録された。彼女の詩はソネットのような伝統的な形式によるものが多いが,新しい女性の自由で情熱的な感じがあふれている。詩集《再生》(1917)以降,《竪琴を作る人》(1923)でピュリッツァー詩賞を受けた。選詩集《抒情詩集》(1943)は,華やかな1920年代の記録といえよう。【新倉 俊一】

ミレー【John Everett Millais】

1829‐96
イギリスの画家。サウサンプトンに生まれ,ローヤル・アカデミー・スクールで史上最年少の生徒として,11歳の時から学ぶ。1848年ロセッティらとともに〈ラファエル前派〉を結成。53年ローヤル・アカデミーの準会員に選出され,事実上このグループを離脱。しだいにラファエル前派の理念から離れ,通俗的なスタイルへと移行する。表現は甘美で時に感傷的にすぎるが,上流社会の肖像画家として人気を得,この時代の最も成功した画家の一人となった。

ミレー【Jean‐François Millet】

1814‐75
フランスの農民画家。ノルマンディー地方,シェルブール近くのグリュシーGruchyに生まれる。信心深く格式ある農家の,豊かではないが祖母,両親と8人の弟妹の愛情深い大世帯に育った。幼い頃から読書を好み,画才に優れていたため,長男で農家の主要な労働力であったにもかかわらず,結局シェルブールで絵を学ぶ許しを得,次いで1837年パリに出てドラローシュのアトリエにはいる。39年師のすすめでローマ賞に応募するが落選。

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大辞林 第三版の解説

ミレー【John Everett Millais】

1829~1896) イギリスの画家。ラファエル前派の創立に参加。のちこの派を離れ、肖像画家として人気を博す。代表作「オフェーリア」

ミレー【Jean François Millet】

1814~1875) フランスの画家。バルビゾン派の一人。農民の働く姿や生活を敬愛と詩的情感をこめて描いた。「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」など。

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世界大百科事典内のミレーの言及

【バルビゾン派】より

…名称は,パリの南東郊,フォンテンブローの森のはずれの村バルビゾンに由来する。T.ルソーは1847年より,ミレーは1849年よりこの村に定住し,ほかにジャックCharles Jacque(1813‐94),ドービニー,ディアズNarcisse Diaz de la Peña(1807‐76)らが長期ないし短期間住んで,ともに風景画の制作に励んだ。バルビゾン派の起源は,フランス国内ではG.ミシェル,バランシエンヌP.H.de Valenciennes,コローらの風景画が,構成された理想風景からしだいに離れて,自然観察をもとに現実の風景美をたたえるようになったこと,さらにはこのような流れをさかのぼると17世紀オランダの風景画があり,自国のありのままの自然をうたいあげるロイスダール,ホッベマ,ファン・オスターデらの作品が彼らを魅了したことが考えられる。…

※「ミレー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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