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ムバラク ムバラク Mubārak, Ḥosnī

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ムバラク
ムバラク
Mubārak, Ḥosnī

[生]1928.5.4. ミヌフィーヤ
エジプトの軍人,政治家。大統領(在任 1981~2011)。フルネーム Muḥammad Ḥosnī Said Mubārak。1949年エジプト陸軍士官学校卒業,1950年空軍士官学校卒業。

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知恵蔵の解説

ムバラク

1981年に就任し、2005年に5選を果たしたエジプト大統領。1928年、エジプト北部ナイルデルタのメヌーフィヤ(Monufia)県に生まれる。陸・海軍の両士官学校を卒業後、軍で順調に昇進を続け、72年には空軍最高司令官に任命された。
ムバラクが注目を浴びたのは、翌73年の第4次中東戦争(十月戦争)である。同じく軍出身サダト大統領の下、イスラエルへの奇襲攻撃を成功させ、一躍国民的英雄となった。その後、イスラエルの猛反撃を受け、エジプトは劣勢のまま停戦合意を受け入れるが、緒戦でアラブ共通の敵イスラエルの不敗神話を打ち砕いたことは、国家の威信を大いに高めることとなった。しかしこの戦争の後、サダト大統領はそれまでの社会主義陣営との協調から、資本主義陣営との協調に舵(かじ)を切ることになる。50年代旧ソ連に留学した経験を持つムバラクも、サダトの経済開放政策・欧米追随政策に従い、75年には事実上の後継者として副大統領に任命された。イスラエルと平和条約(79年)を結んだサダト大統領が、それを不満とするイスラム過激派によって81年に暗殺されると、ムバラクは大統領に就任。同時にテロ対策を名目とした非常事態令を発令し、政治活動の自由を制限した。この非常事態令は欧米の批判を受けながらも、2011年1月現在まで継続されている。
これまでムバラク政権は、周辺アラブ、イスラエル、欧米諸国の国際的緊張の上で、微妙なバランスを保ちながら存続してきた。外交では1989年にアラブ連盟に復帰しながらも、欧米諸国に強く同調。91年の湾岸戦争の際には、反イラクの姿勢を明らかにし、多国籍軍にも参加している。中東和平交渉の重要なパイプ役として、国際社会とりわけアメリカの信頼は厚い。
一方、内政では軍と警察による強権支配を続け、「イスラム団」などのイスラム過激派だけでなく、穏健なイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」も国政から排除した。これはアメリカの意向と重なるものであり、約30年間にわたる長期独裁が国際社会から黙認されている理由の一つと指摘される。過激な原理主義の台頭を封じ込め、長年他国と戦火を交えず、アラブの盟主としての地位を築き上げた功績を支持する国民は少なくない。しかし、こうした親米・親イスラエル路線、また格差是正に成果を挙げられないムバラク政権に対する国民の不信は、90年代以降の人権抑圧・監視強化に伴って、大きく膨れ上がっている。とりわけ失業率が高い若年層には、強い不満が鬱積(うっせき)していると見られる

(大迫秀樹 フリー編集者 / 2011年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ムバラク
むばらく
usn Mubrak
(1928― )

エジプトの政治家。エジプト北部メヌーフィヤに生まれる。1949年陸軍士官学校、1952年空軍士官学校卒業。空軍士官学校教官を経て1967年同校校長。この間旧ソ連に二度留学し、軍事技術を学ぶ。1969年空軍参謀長、1972年空軍最高司令官兼国防次官。1973年十月戦争(第四次中東戦争)での活躍は目覚ましく、1974年空軍元帥に昇格。1975年4月副大統領に任命される。1981年10月当時大統領であったサダトが暗殺されたのち、大統領に就任。サダトの基本路線を継承し、緊密な対米関係を維持。1987年大統領に再選。1990年にはイスラエルとの外交関係を維持したままアラブ連盟への復帰を実現。同年8月以降のクウェート危機ではイラクの大統領フセインに即時無条件撤退を要求。エジプト軍をサウジアラビアに派遣し、連合国軍の一部として参戦。1993年大統領に再々選され、2005年までに5選を果たす。2011年1月、国内全土で大統領退陣や経済改革を求める大規模デモが発生。次期大統領選に立候補しないことを表明したが混乱は拡大したため、2月に辞任し首都カイロを離れた。[伊能武次]

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