日本大百科全書(ニッポニカ) 「メイラー」の意味・わかりやすい解説
メイラー
めいらー
Norman Mailer
(1923―2007)
アメリカの小説家。第一次世界大戦後アメリカに移住したロシア系ユダヤ人(イギリス国籍)のひとり息子としてニュー・ジャージー州ロングブランチに生まれる。ブルックリンの高校を卒業後、16歳で航空工学を学ぶためハーバード大学に進む。在学中『ストーリー』誌の学生創作コンテストで第1位を獲得、大学も優秀な成績で卒業。第二次世界大戦中の1944年、新婚まもなく徴兵され、歩兵としてルソン島進攻作戦に参加し、戦地から大量の小説草稿を新妻のビアトリスに送った。終戦後はしばらく日本進駐軍の炊事係下士官を務めた。
1948年に発表した『裸者と死者』は、軍隊機構内部における人間性の抑圧をドス・パソスばりの自然主義手法で描き出し、戦争の愚劣さと、現代アメリカ文明の腐敗を鋭く風刺した力作で、世界的な反響をよんだ。この小説はまた、人間の深層心理を探る試みとしても秀逸で、とくに、知性の高いカミングズ将軍が、慢心したあまり、「知性」との相互緊張を維持すべき「感情」を無視した罰として、肝心のときに知性を失って挫折(ざせつ)するとか、抜群の「現実感覚」を誇るクロフト軍曹が、その対極にある「直感」を完全に無視した途端に現実がみえなくなるとかいうユング的な「カリスマのルーティン化現象」が実に巧みに描かれている。主人公ハーン少尉が最初から自己実現の能力を欠いている理由は、彼の過去を描いた「タイム・マシン」の章から推測できる。その章には「腐った子宮」という適切な副題がつけられている。その後の作品は、無力な傍観者である主人公と、社会主義に殉じるトロツキスト、奔放な性を享受する女などを対比的に描く『バーバリの岸辺』(1951)、赤狩りに屈した理想主義的な映画監督の励ましを受けて、真の芸術とは何かを探究する青年を描く『鹿の園』(1955)など。この創作過程でメイラーは、新しい意識を求める神経病質者(サイコパス)の内面から躍り出る「崇高なる野蛮人」の体制破壊力と、オーガズム目的のセックスとに文明再生の原動力をみいだす。エッセイ『ホワイト・ニグロ』(1957)はその顕著な例である。そのころ、メイラーは家庭の内外で神経病質者めいた異常ぶりを発揮して物議を醸した。狂気の体制から自己解放するために妻殺しをして国外に脱出する元戦争英雄を描いた『アメリカの夢』(1965)には、そういう体験が反映している。アメリカ文明が送信する破壊的憎悪のメッセージから逃れきれない若者を描いた『なぜぼくらはベトナムへ行くのか』(1967)は、意識変革のエネルギーにあふれた作品。体制的秩序への順応という「緩慢な死」に反逆して、自己実現としての急速な死を選択する殺人者ギャリー・ギルモアを描いた「実生活の小説(トルーライフ・ノベル)」『死刑執行人の歌』(1979)はメイラーの面目あふれる異色作で、二度目の(小説としては初めての)ピュリッツァー賞を授けられた。
メイラーは1953年から69年までプロのジャーナリストだっただけに、調査能力に優れ、出来事の要点をつかむことが得意であり、『夜の軍隊』(1968。最初のピュリッツァー賞を受賞)、『マイアミとシカゴの包囲』(1968)、『聖ジョージとゴッドファーザー』(1972)などの政治的ルポルタージュや、『ザ・ファイト』(1974年の、プロボクシング・ヘビー級タイトルマッチの克明な記録)にその才能が遺憾なく発揮されている。ほかに『ぼく自身のための広告』(1959)、『人食い人とクリスチャン』(1966)などのエッセイ集がある。
1970年代に入ると古代・現代・未来を扱った野心的な三部作を執筆すると宣言し、83年にその第一部『古代の夕べ』を発表。84年からは『タフ・ガイは踊らない』など、ミステリー仕立ての小説や、スパイものを試みた。『古代の夕べ』は、紀元前1200年ごろのエジプト宮廷を舞台に、4回も生を受けた一高官の野心と挫折を描く奇想天外の物語。10年がかりで古代エジプト諸王史の英訳を丹念に読んだ事実に疑いはないが、語り手の関心はもっぱら自己の性愛と、富と、出世欲だけにあり、かつてのようなメイラーの社会的メッセージは聞こえてこない。『ひとり子による福音』(1997。邦訳名『聖書物語』)も、『新約聖書』を丹念に読んだうえで、それをわかりやすく書き直したもので、とくにメイラーらしい独自の解釈を表に出したものではなかった。
かねてから映画に関心の深いメイラーは『タフ・ガイは踊らない』を自ら映画化(1987)したり、役者を演じたりして、ある程度成功した。『死刑執行人の歌』を下敷きにしたマシュー・バーニーMatthew Barney(1967― )監督の映画『クレマスター2』(1999)でも俳優として出演し、渋い演技をみせた。
[飛田茂雄]
『山西英一訳『ぼく自身のための広告』上下(1967、1968・新潮社)』▽『山西英一訳『ノーマン・メイラー全集』全8巻(1969・新潮社)』▽『山西英一訳『マイアミとシカゴの包囲』(『ノーマン・メイラー選集』1977・早川書房)』▽『山西英一訳『夜の軍隊』(『ノーマン・メイラー選集』1970・早川書房)』▽『山西英一訳『鹿の園』(新潮文庫)』▽『飛田茂雄訳『聖ジョージとゴッドファーザー』(1980・早川書房)』▽『野島秀勝訳『天才と肉欲――ヘンリー・ミラーの世界を旅して』(1980・TBSブリタニカ)』▽『中井勲訳『マリリン――性と愛の神話』(1981・講談社)』▽『吉田誠一訳『タフ・ガイは踊らない』(1985・早川書房)』▽『邦高忠二訳『なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか』(1995・早川書房)』▽『生島治郎訳『ザ・ファイト』(1997・集英社)』▽『岡枝慎二訳『死刑執行人の歌――殺人者ゲイリー・ギルモアの物語』上下(1998・同文書院)』▽『田代泰子訳『なぜわれわれは戦争をしているのか』(2003・岩波書店)』▽『斉藤健一訳『聖書物語』(ハルキ文庫)』▽『野島秀勝著『実存の西部――ノーマン・メイラー』(1982・研究社出版)』