日本大百科全書(ニッポニカ) 「メキシコ遠征」の意味・わかりやすい解説
メキシコ遠征
めきしこえんせい
1860年代にフランスのナポレオン3世が、メキシコの自由主義革命に介入した干渉戦争。メキシコでは「フランスの介入」とよばれている。1861年、メキシコのフアレス革命政府が1年間の外債支払停止を決めたのに対し、スペイン、フランス、イギリスの三国はロンドン協定を結び、同年末から62年初にベラクルス港を占領した。スペイン、イギリス両軍は同年4月に撤退したが、メキシコ保守派と結んだフランス軍は内陸へ進軍し、5月5日プエブラの戦いでメキシコ軍に撃退されたものの、本国からの増援部隊を得て翌63年7月首都メキシコ市を占領した。64年にはオーストリアのハプスブルク家のマクシミリアンを「皇帝」につけ、「メキシコ帝国」を樹立させた。しかし北部国境地帯に退いたフアレス政権は徹底抗戦を続けたため、フランス軍は各地で執拗(しつよう)なゲリラの攻撃を受けた。また南北戦争の終わったアメリカの撤兵要求やプロイセンの強大化に直面し、結局66~67年に撤兵を余儀なくされ、マクシミリアンも敗れて処刑された。
[野田 隆]