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ヨーロッパ安全保障協力会議 ヨーロッパあんぜんほしょうきょうりょくかいぎConference on Security and Cooperation in Europe; CSCE

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヨーロッパ安全保障協力会議
ヨーロッパあんぜんほしょうきょうりょくかいぎ
Conference on Security and Cooperation in Europe; CSCE

ヨーロッパの緊張緩和と安全保障について討議するため冷戦下の 1972年に創設された国際会議。 1975年7月 30日から3日間ヘルシンキで開かれた首脳会議では,アルバニアを除く全ヨーロッパ諸国にアメリカ,カナダを加えた 35ヵ国が参加した。最終文書はヘルシンキ宣言と呼ばれ,(1) ヨーロッパの安全保障,(2) 経済・科学技術協力,(3) 人権問題,の3分野からなる。安全保障に関しては国境の不可侵と軍事演習の事前通告など信頼醸成措置が,また人権に関しては人や情報の交流の自由化などが合意された。その後,これらの合意内容を再検討するための会議がベオグラード (1977~78) ,マドリード (1980~83) ,ウィーン (1986~89) で開かれ,各種専門家会議も行なわれた。 1990年 11月 19~21日のパリ首脳会議では新しいヨーロッパ国際秩序の輪郭が定められることとなった。具体的には,ヨーロッパ通常戦力条約 CFEの調印,およびパリ憲章の採択が行なわれ,また紛争防止センター CPCの設置と緊急対応メカニズムの検討,および CSCEを常設機構とし,首脳会議を2年に1回,外相会議を1年に1回開催することが決定された。しかし,1990年代に始まったユーゴスラビアの内戦には有効な対応ができず,地域紛争への対処能力に対する懸念から,より強力な組織と機能を求め 95年1月,ヨーロッパ安全保障協力機構 OSCEへと改組された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヨーロッパ安全保障協力会議
よーろっぱあんぜんほしょうきょうりょくかいぎ

ヨーロッパの安全保障とヨーロッパ諸国間の協力について討議するため、アルバニアを除く全ヨーロッパの33か国およびアメリカとカナダを加えた計35か国が参加し、1975年7月30日から8月1日までヘルシンキで開催された政府首脳の国際会議。
 その背景には、西ドイツ・ソ連条約(1970年8月)、西ドイツ・ポーランド条約(1970年12月)、ベルリン4国協定(1971年9月)、東西両ドイツ基本条約(1972年12月)と進行した1970年代初めにおける東西間のデタントの情勢があり、ソ連をはじめとする東ヨーロッパ諸国の立場からは、上記諸条約で規定されたヨーロッパにおける領土的現状の承認を、アメリカをはじめとする西側諸国にも認知させる意味合いをもっていた。そしてこの基礎のうえに、全ヨーロッパ諸国間の協力を確保し、ヨーロッパの安全保障を実現しようと意図したのである。
 会議の最終日に採択された最終文書(ヘルシンキ宣言)は、その冒頭で、国家主権の尊重、武力不行使、国境の不可侵、領土保全、紛争の平和的解決、内政不干渉、人権と基本的諸自由の尊重を含む10の原則を掲げ、さらにその第1部で、政治的緊張緩和を軍事的緊張緩和の措置で補うべきこと、第3部で人道的文化的領域の協力をうたっている。また最終文書第4部では、本会議によって開始された相互関係を継続し、「会議で宣言された義務の履行などについて意見交換を続行する」ため、会議結果の検討会議を開催すべきことを規定している。
 こうしてこの会議は、その規模といい取り上げられた問題の広範さといい、第二次世界大戦後の東西関係史におけるきわめて重要な会議であったとみなすことができるが、その後、西側諸国からは東側諸国に対して人権無視や自由束縛の非難が繰り返されるなど、ヘルシンキでの決定と成果は、十分に生かされなかった。事実、1977年10月4日~1978年3月9日のベオグラード会議以後の再検討会議においても、以上の点の応酬や、軍縮への誠意のなさ、他地域への介入(たとえばソ連によるアフガニスタン介入)についての非難が中心になっていた。
 しかし、1980年代なかばのソ連におけるゴルバチョフ政権登場、同1980年代末の東ヨーロッパにおける自由主義的「変革」以後情勢は変わった。1990年11月21日、会議の34か国首脳は「パリ憲章」に調印し、冷戦の終結を宣言した。またこのとき、ヨーロッパ安定化装置としてこの会議を機構化することも決まり、アルバニア(1991年6月)、バルト三国(同年9月)、およびかつてソ連を構成したCIS(独立国家共同体)諸国(1992年1月)の加盟を経て、1995年にその名をヨーロッパ(欧州)安全保障協力機構(OSCE)と改めている。[深谷満雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のヨーロッパ安全保障協力会議の言及

【デタント】より

…とはいえ,これらの延長上に米ソを加えた全ヨーロッパの大規模なデタントがはかられる。まず75年のヘルシンキでのヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)での最終文書の採択であり,この政治的デタントを実際上補完する軍事的デタントとしての中部ヨーロッパ相互兵力削減交渉(MBFR)である(〈ヨーロッパ安全保障協力機構〉の項参照)。ヨーロッパにおけるデタントの制度化は,類似の対話のチャンネルをもたない東アジアの流動的な状況といちじるしい対照をなしている。…

【ヨーロッパ安全保障協力機構】より

…略称OSCE,全欧安保協力機構とも。ソ連の提唱により,アルバニアを除く全ヨーロッパ諸国にアメリカ,カナダを加えた35ヵ国が,1973年から2年間にわたり,ヨーロッパの緊張緩和と安全保障の問題を討議するために開催したヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE。全欧安保協力会議ともいう)から発展し,95年1月に冷戦後ヨーロッパの新しい安保秩序の中核的存在として常設機構化されたもの。…

※「ヨーロッパ安全保障協力会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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