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ライシャワー ライシャワーReischauer, August Karl

11件 の用語解説(ライシャワーの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ライシャワー
ライシャワー
Reischauer, August Karl

[生]1879.9.4.
[没]1971.7.10. カリフォルニア
アメリカ長老派教会宣教師。 E.ライシャワーの父。 1905年に来日して明治学院,日本神学校で教え,東京女子大学日本聾話学校の創立に尽力し,東京女子大学の常務理事をつとめた。仏教の研究家としても知られる。

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ライシャワー
ライシャワー
Reischauer, Edwin Oldfather

[生]1910.10.15. 東京
[没]1990.9.1. カリフォルニア,ロヨラ
アメリカの歴史学者。長老派教会宣教師で仏教研究家の A.ライシャワーの子として生れ,16歳まで日本で過した。 1931年オバーリン大学を卒業し,32年日本および中国の歴史と文化を研究してハーバード大学で修士号を取得。

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デジタル大辞泉の解説

ライシャワー(Edwin Oldfather Reischaur)

[1910~1990]米国の歴史学者。東京の生まれ。ハーバード大学教授。第二次大戦中から米国の対日政策立案に参与。1961~66年(昭和36~41)駐日大使。著「日本―過去と現在」「米国と日本」など。

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百科事典マイペディアの解説

ライシャワー

米国の日本研究家。長老派教会宣教師A.K.ライシャワーの次男として東京に生まれる。ハーバード大卒。1950年ハーバード大教授,1961年―1966年日本駐在大使。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ライシャワー Reischauer, Edwin Oldfather

1910-1990 アメリカの外交官,東洋学者。
明治43年10月15日東京生まれ。A.ライシャワーの次男。R.ライシャワーの弟。妻はハル=ライシャワー。16歳の時に帰国し,ハーバード大で東洋史をまなび,中国,フランス,日本などに留学。第二次大戦中は国務省などで対日関連の仕事につく。戦後,ハーバード大教授,昭和36年駐日大使。1990年9月1日死去。79歳。著作に「ザ・ジャパニーズ」。
【格言など】日本の民主主義の根は深く,将来は明るい

ライシャワー Reischauer, Robert Karl

1907-1937 アメリカの教育者,日本古代史研究家。
明治40年5月14日東京で生まれる。A.ライシャワーの長男。E.ライシャワーの兄。アメリカで教育をうける。昭和7-9年東京女子大でおしえ,のちプリンストン大教授。1937年12月中国視察中に上海で事故死。30歳。

ライシャワー Reischauer, August Karl

1879-1971 アメリカの宣教師。
1879年9月4日生まれ。R.ライシャワー,E.ライシャワーの父。明治38年(1905)長老派教会から派遣され来日,明治学院でおしえる。東京女子大,日本聾話(ろうわ)学校の創立につくし,女子学院院長をつとめた。日本仏教の研究者としても知られた。昭和16年帰国。1971年7月10日死去。91歳。イリノイ州出身。マコーミック神学校卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

ライシャワー【August Karl Reischauer】

1879‐1971
アメリカの長老教会宣教師。1905年来日,明治学院,日本神学校で教えたほか,18年東京女子大学の創立を推進,常務理事として女子高等教育の普及に努めた。また,日本聾啞学校の設立にあずかったことも注目される。41年帰国,ユニオン神学校で宗教史を講義した。日本文化,特に《往生要集》の翻訳など日本仏教の研究者として著名。東京都名誉都民。著書には《人格不死論》(1911),《日本仏教の研究》(1917)などがある。

ライシャワー【Edwin O.Reischauer】

1910‐90
アメリカの歴史研究者・外交官。A.K.ライシャワーの次男として東京に生まれる。オバーリン大学卒業後,1939年ハーバード大学で博士号取得。第2次大戦中は日本研究の専門家として国務省,陸軍省に動員され,情報部門の仕事に従事する一方,戦後の日本占領政策に影響を与える作業に携わった。大戦後46年にハーバード大学に戻り,50年に教授。アメリカの日本研究のレベルアップと組織化に貢献。その後61年(昭和36),ケネディ大統領の要請で駐日大使となり,教育文化,貿易経済,安保を通じて〈対等〉を原則とする日米新時代の礎を築いた。

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大辞林 第三版の解説

ライシャワー【Edwin Oldfather Reischauer】

1910~1990) アメリカの東洋学者。知日家としてアメリカ政府の対日政策に貢献。1961年から五年間、駐日大使。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ライシャワー
らいしゃわー
Edwin Oldfather Reischauer
(1910―1990)

アメリカの学者、外交官。宣教師の子として東京に生まれる。ハーバード大学で中国と日本の歴史を学び、1933~1938年にフランス、日本、中国などへ留学。帰国後、ハーバード大学極東言語学部講師。第二次世界大戦中は、国務省と陸軍省で対日関係の仕事に従事。大戦直後、国務省極東部長特別補佐官に就任。1946年ハーバードに戻り、1950年から1981年まで、駐日大使(1961~1966)の時期を除き、同大学教授。この間、アメリカにおける日本研究の推進に多大な貢献をなした。日本の急速な近代化過程に着眼して、近代化論の立場から日本研究の枠組みを提示し、とくに1960年代の欧米の日本研究に大きな影響を及ぼした。また駐日大使在任中は、「イコールパートナーシップ」を力説し、安保闘争後の新たな日米関係の構築に努力した。[藤本 博]
『ライシャワー著、國弘正雄訳『ザ・ジャパニーズ』(1979・文芸春秋) ▽ライシャワー著、大谷堅志郎訳『日本への自叙伝』(1982・日本放送出版協会) ▽ライシャワー著、徳岡孝夫訳『ライシャワー自伝』(1987・文芸春秋)』

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世界大百科事典内のライシャワーの言及

【核戦略】より

…【阪中 友久】。。…

【ライシャワー】より

…【波多野 和夫】。。…

【エリセーエフ】より

…【中村 喜和】。。…

【核戦略】より

…【阪中 友久】。。…

【入唐求法巡礼行記】より

…【礪波 護】。。…

【ライシャワー】より

…【波多野 和夫】。。…

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