デジタル大辞泉
「ライシャワー」の意味・読み・例文・類語
ライシャワー(Edwin Oldfather Reischaur)
[1910~1990]米国の歴史学者。東京の生まれ。ハーバード大学教授。第二次大戦中から米国の対日政策立案に参与。1961~66年(昭和36~41)駐日大使。著「日本―過去と現在」「米国と日本」など。
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ライシャワー
らいしゃわー
Edwin Oldfather Reischauer
(1910―1990)
アメリカの学者、外交官。宣教師の子として東京に生まれる。ハーバード大学で中国と日本の歴史を学び、1933~1938年にフランス、日本、中国などへ留学。帰国後、ハーバード大学極東言語学部講師。第二次世界大戦中は、国務省と陸軍省で対日関係の仕事に従事。大戦直後、国務省極東部長特別補佐官に就任。1946年ハーバードに戻り、1950年から1981年まで、駐日大使(1961~1966)の時期を除き、同大学教授。この間、アメリカにおける日本研究の推進に多大な貢献をなした。日本の急速な近代化過程に着眼して、近代化論の立場から日本研究の枠組みを提示し、とくに1960年代の欧米の日本研究に大きな影響を及ぼした。また駐日大使在任中は、「イコール・パートナーシップ」を力説し、安保闘争後の新たな日米関係の構築に努力した。
[藤本 博]
『ライシャワー著、國弘正雄訳『ザ・ジャパニーズ』(1979・文芸春秋)』▽『ライシャワー著、大谷堅志郎訳『日本への自叙伝』(1982・日本放送出版協会)』▽『ライシャワー著、徳岡孝夫訳『ライシャワー自伝』(1987・文芸春秋)』
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ライシャワー
August Karl Reischauer
生没年:1879-1971
アメリカの長老教会宣教師。1905年来日,明治学院,日本神学校で教えたほか,18年東京女子大学の創立を推進,常務理事として女子高等教育の普及に努めた。また,日本聾啞学校の設立にあずかったことも注目される。41年帰国,ユニオン神学校で宗教史を講義した。日本文化,特に《往生要集》の翻訳など日本仏教の研究者として著名。東京都名誉都民。著書には《人格不死論》(1911),《日本仏教の研究》(1917)などがある。なお,教育者・日本古代史研究家ロバート・ライシャワーRobert Karl Reischauer(1907-37),日本研究家,元駐日アメリカ大使エドウィン・ライシャワーEdwin Oldfather Reischauer(1910-90)はそれぞれ,その長男,次男である。
執筆者:波多野 和夫
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ライシャワー
Reischauer, Edwin Oldfather
[生]1910.10.15. 東京
[没]1990.9.1. カリフォルニア,ロヨラ
アメリカの歴史学者。長老派教会宣教師で仏教研究家の A.ライシャワーの子として生れ,16歳まで日本で過した。 1931年オバーリン大学を卒業し,32年日本および中国の歴史と文化を研究してハーバード大学で修士号を取得。 33~38年パリ,日本などに留学。 39年慈覚大師円仁の研究でハーバード大学から博士号を取得。同大学で教鞭をとり (1939~42講師,46~50助教授,50~60,66~81教授) ,その間第2次世界大戦中の 43~45年国防省,45~46年国務省などに勤務。 56~61年ハーバード=燕京研究所所長などを経て,61~66年日本駐在大使となり,学者大使として日米親善に貢献。 66年ハーバード大学に復職し,70年前記所長に再任,知日派として日米関係を論じている。日本の近代化,特に「近代化理論」をめぐる論争を引起したことは有名。著書に『日本-過去と現在』 Japan,Past and Present (1946) ,『ライシャワーの見た日本』 The United States and Japan (50) ,『ザ・ジャパニーズ』 The Japanese (79) などがある。
ライシャワー
Reischauer, August Karl
[生]1879.9.4.
[没]1971.7.10. カリフォルニア
アメリカ長老派教会宣教師。 E.ライシャワーの父。 1905年に来日して明治学院,日本神学校で教え,東京女子大学,日本聾話学校の創立に尽力し,東京女子大学の常務理事をつとめた。仏教の研究家としても知られる。 41年に帰国してからはニューヨークのユニオン神学大学で宗教史を講じた。主著『人格不死論』 (10) ,"Studiesin Japanese Buddhism" (17) ,"The Task in Japan" (25) 。
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ライシャワー
Edwin Oldfather Reischauer
1910.10.15~90.9.1
アメリカの歴史学者・日本研究家。駐日大使。宣教師A.K.ライシャワーの子。東京生れ。ハーバード大学で東洋学を学び,第2次大戦中はアメリカ政府の対日政策立案に協力。戦後は同大学教授として日本研究に指導的役割をはたした。広い視野に立った日本近代化の積極的理解は近代化論とよばれ,マルクス主義的研究が主流だった日本の学界にも大きな影響を与えた。屈指の知日派として1960~66年(昭和35~41)駐日大使を務め,日米関係の円滑化に尽力。「Japan―Past and Present」など日本研究に関する著作が数多く,自伝に「My Life between Japan and America」がある。
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ライシャワー Reischauer, Edwin Oldfather
1910-1990 アメリカの外交官,東洋学者。
明治43年10月15日東京生まれ。A.ライシャワーの次男。R.ライシャワーの弟。妻はハル=ライシャワー。16歳の時に帰国し,ハーバード大で東洋史をまなび,中国,フランス,日本などに留学。第二次大戦中は国務省などで対日関連の仕事につく。戦後,ハーバード大教授,昭和36年駐日大使。1990年9月1日死去。79歳。著作に「ザ・ジャパニーズ」。
【格言など】日本の民主主義の根は深く,将来は明るい
ライシャワー Reischauer, August Karl
1879-1971 アメリカの宣教師。
1879年9月4日生まれ。R.ライシャワー,E.ライシャワーの父。明治38年(1905)長老派教会から派遣され来日,明治学院でおしえる。東京女子大,日本聾話(ろうわ)学校の創立につくし,女子学院院長をつとめた。日本仏教の研究者としても知られた。昭和16年帰国。1971年7月10日死去。91歳。イリノイ州出身。マコーミック神学校卒。
ライシャワー Reischauer, Robert Karl
1907-1937 アメリカの教育者,日本古代史研究家。
明治40年5月14日東京で生まれる。A.ライシャワーの長男。E.ライシャワーの兄。アメリカで教育をうける。昭和7-9年東京女子大でおしえ,のちプリンストン大教授。1937年12月中国視察中に上海で事故死。30歳。
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ライシャワー
Edwin Oldfather Reichauer
1910~90
アメリカの歴史学者。日本布教の宣教師の家に生まれ,日本で育つ。日本を西洋に紹介した第一人者。「封建制論」や「近代化論」の概念を日本史研究に応用したことで知られ,ハーバード大学教授としてアメリカの日本研究の中心的役割を果たした。また,1961年には駐日アメリカ大使として来日し,安保騒乱後の良好な日米関係の維持に努めた。66年に大使を退任し,ハーバードに復帰。ハル夫人は松方正義の孫娘。
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「ライシャワー」の意味・わかりやすい解説
ライシャワー
米国の日本研究家。長老派教会宣教師A.K.ライシャワーの次男として東京に生まれる。ハーバード大卒。1950年ハーバード大教授,1961年―1966年日本駐在大使。1981年には米国の核積載艦船が日本に寄港していると発言し,波紋を広げた。著書《日本 過去と未来》など。
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