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ラガルド Lagarde, Paul Anton de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラガルド
Lagarde, Paul Anton de

[生]1827.11.2. ベルリン
[没]1891.12.22. ゲッティンゲン
ドイツの新約聖書学者,東洋学者。 1854年 Bötticherからラガルドに改名。ハレ大学私講師を経てゲッティンゲン大学教授となる。ギリシア語,アラム語,シリア語,ヘブライ語などの聖書の複写,編集に尽し,特に「セプトゥアギンタ (70人訳旧約聖書) 」の研究に貢献した。彼は当時のキリスト教会があまりにも伝統に縛られていることを批判,キリスト教と民族性を結びつけようとしたが,これはのちのナチズムの教会政策に利用される結果になった。

ラガルド
Lagarde, Christine

[生]1956.1.1. パリ
フランスの弁護士,政治家。2007~11年にフランスで女性初の財務大臣を務め,2011年に国際通貨基金 IMF専務理事就任。アメリカ合衆国の名門校,ホルトン・アームズ・ガールズ・カレッジを 1974年に卒業したのち,パリ第10大学で法律を学んだ。同大学で講師を務めたのち,労働法の高等専門教育学位 DESSと英語学の修士号を取得。1981年,国際法律事務所ベーカー・アンド・マッケンジーのパリ事務所に就職し,1987年にパートナーとなる。1995~99年には女性として初めて同事務所の役員を務め,1999年に会長に就任(2002再任)してシカゴに居を移した。2003年,アメリカの戦略国際問題研究所 CSISのメンバーとして,ロッキード・マーティンの戦闘機 48機を 35億ドルでポーランドに輸出する契約を成立させた。2004年3月,ジャック・シラク大統領から模範的かつカリスマ的指導者と称賛され,フランス最高位のレジオン・ドヌール勲章を授与された。2005年6月にフランスに帰国し,ドミニク・ドビルパン内閣で貿易大臣を務めた。大臣としてフランスへの国際投資誘致を推進し,技術部門を中心にフランス製品の新たな市場を開拓するとともに,2005年9月に輸出業者への支援策 Cap Exportを立ち上げた。2007年6月,ニコラ・サルコジ大統領から任命を受け,主要8ヵ国(G8)諸国初の女性財務相となった。2011年6月,IMF専務理事に任命され,7月にドミニク・ストロスカーンの後任として正式に就任した。

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百科事典マイペディアの解説

ラガルド

フランスの政治家。パリ出身。パリ第10大学,エクス・アン・プロバンス政治学院を卒業。フランス国立行政学院(ENA)の受験に2度挑むが不合格。1981年からアメリカの法律事務所・ベーカー&マッケンジーのパリ事務所で弁護士として勤務し,95年,同法律事務所シカゴ本部に移り,99年に経営委員会委員長。反トラスト法,労働法専門の弁護士として国際的な評価を得る。2005年ドミニク・ドビルパン内閣で貿易担当相,農業・漁業相。07年,フランソワ・フィヨン内閣の経済・財政相に就任し,世界金融危機後の景気回復に取り組む。G8で初めての女性財務相であり,財務相としての在任期間も戦後フランスでは最長。10年,ギリシアソブリンリスクに端を発する欧州経済危機では,EUの緊急支援に中心的な役割を果たした。11年のG20では,フランスの財務相として為替制度改革,国際金融取引規制などの課題に取り組んだ。11年,IMF(国際通貨基金)専務理事ドミニク・ストロス=カーンが性的暴行容疑で逮捕・起訴されて辞任。同年5月に正式に立候補し,7月,女性初のIMF専務理事に就任した。

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