サルコジ(読み)さるこじ(英語表記)Nicolas Sarkozy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サルコジ」の意味・わかりやすい解説

サルコジ
Sarkozy, Nicolas

[生]1955.1.28. パリ
フランスの政治家。大統領(在任 2007~12)。ギリシア系,およびハンガリー系移民の両親のもとに生まれた。1979年パリ大学を卒業,1979~81年パリ政治学院に学び,1981年弁護士資格を取得する。その間の 1976年,ジャック・シラク創設の共和国連合(のちの国民運動連合 UMP)に入党。1983年ヌイイシュルセーヌ市長当選,1988年国民議会議員に選出されたが,2002年まで市長を兼務した。1993年,社会党のフランソア・M.ミッテラン大統領のもとで保守派のエドアール・バラデュール首相とする 2度目の保革共存政権誕生とともに予算大臣兼政府報道官に就任。1995年の大統領選挙で,親密だったシラクと競合するバラデュールを応援し,シラクとの関係が悪化した。2002年シラク大統領が再選されると内務大臣に起用され,2004年3月経済・財務・産業大臣に就任したが 11月に辞任,UMP党首の座についた。2005年ヨーロッパ憲法制定条約批准を国民投票で否決され政権基盤強化をはかるシラクにより内務相に復帰。同 2005年末の移民二世,三世による暴動鎮圧,2006年の雇用促進政策をめぐる学生,労働組合による反対運動の収束手腕を発揮,2007年5月の大統領選挙の UMP公認候補に選ばれた。社会党候補のセゴレーヌ・ロワイヤルを決選投票で破り,第五共和政第6代大統領に就任した。2011年,財政危機に陥ったギリシアをはじめとするヨーロッパ連合 EU諸国への支援・財政再建交渉で,ドイツのアンゲラ・D.メルケル首相とともに EUを主導し,高く評価された。しかし国内では緊縮財政政策が反感を買い,2012年5月,大統領選挙で再選を目指したが,決選投票で社会党のフランソア・オランドに敗れた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サルコジ」の意味・わかりやすい解説

サルコジ
さるこじ
Nicolas Sarkozy
(1955― )

フランスの政治家。パリに生まれる。ハンガリー移民の父とユダヤ系ギリシア移民の母をもつ。パリ大学を卒業。1976年に共和国連合(RPR。国民運動連合、UMP=Union pour un Movement Populaireの前身)に入党。1983年にパリ郊外のヌイイ市長となる。1988年国民議会(下院)議員となり、1993年予算相、1994年通信相を歴任した。1995年の大統領選挙の際にはシラクの対立候補を支持し、一時閣僚の座から離れたが、2002年以降は内相、財務相など、シラク政権下で要職につく。2004年UMP党首就任後に財務相を辞任したが、2005年内相に再任される。同年10月に発生したアフリカ系移民らの騒乱の際には、参加した移民系の若者に対する批判的発言が物議を醸した。2007年大統領選挙に出馬、アメリカ型の市場原理を取り入れた経済政策、労働者保護政策の見直しや移民の選択的受け入れなどを訴え、左派候補の元環境相ロワイヤルSégolène Royal(1953― )を破り当選。フランス史上初の第二次世界大戦後生まれ、移民系の大統領となった。2012年の大統領選挙では、5月に行われた決選投票で社会党のオランドに敗北した。

 退任後の2014年に裁判官を買収しようとしたことで、2021年3月、大統領経験者としては初めての実刑判決を受けた。

[編集部]

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