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ラッド Ladd, Alan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラッド
Ladd, Alan

[生]1913.9.3. アーカンソー,ホットスプリング
[没]1964.1.29.
アメリカの映画俳優。活劇物に多く出演し,『シェーン』 (1953) で一躍有名になった。2人の息子も映画の仕事に進んだ。

ラッド
Ladd, George Trumbull

[生]1842.1.19. オハイオ,ペインズビル
[没]1921.8.8. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの哲学者,心理学者。クラーク大学,エール大学教授を歴任。 R.ロッツェの影響を受けた。心理学を経験的現象研究の学と考えるべきであるとし,アメリカへの実験心理学の導入に貢献。主著『記述的および説明的心理学』 Psychology,Descriptive and Explanatory (1894) ,『知識哲学』 Philosophy of Knowledge (97) ,『宗教哲学』 Philosophy of Religion (2巻,1905) 。

ラッド
Rudd, Kevin

[生]1957.9.21. ナンボー
オーストラリアの政治家。首相(在任 2007~10,2013)。フルネーム Kevin Michael Rudd。クイーンズランド州ユーマンディの農場に育つ。少年時代から政治活動に参加し,1972年にオーストラリア労働党 ALPに入党。キャンベラのオーストラリア国立大学でアジア学の学士号を取得。1981~88年に外務貿易省に勤務し,スウェーデンのストックホルムと北京のオーストラリア大使館へ赴任した。1998年の連邦議会下院選挙にクイーンズランド州グリフィス選挙区から立候補して初当選し,2001,2004年と 3選を果たした。議会で要職をこなすなかで党内で有力者となり,2006年12月4日の ALP党首選挙で現職キム・ビーズリーに勝利して党首となった。2007年にオーストラリア自由党ハワード政権に対し,イラク駐留のオーストラリア軍部隊撤収に向けて明確な出口戦略を求めるとともに,実施されたばかりの金利引き上げ策を批判した。さらに保健行政を改善することの重要性を説いた。ALPは,2007年11月の議会選挙でオーストラリア自由党に快勝し,12月3日にラッドが首相に就任した。2008年2月,歴代の政権によるオーストラリア先住民(アボリジニ)に対する虐待を,首相として正式に謝罪した。温暖化ガス排出取引制度(→排出権取引制度)の導入を支持し,関連法案が議会上院を通過するよう自由党党首のマルコム・ターンブルとの交渉をまとめた。しかし法案は 2009年12月に上院で否決され,ほかにも選挙公約の見直しが相次ぎ支持率は大きく低下,2010年6月に ALP党首を辞任し,ジュリア・ギラード副首相が後継党首に選出され首相に就任した。2013年6月に行なわれた ALPの党首選挙でギラードを破り,一時首相に返り咲いたが,同年 9月の選挙でトニー・アボット自由党党首が代表を務める保守連合に敗れ,退陣した。

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百科事典マイペディアの解説

ラッド

オーストラリアの政治家。クイーンズランド州ナンボーの農家に生まれる。オーストラリア国立大学卒。大学では中国語および中国史を専攻し北京語が堪能。1981年オーストラリア連邦政府外務貿易省に入省し,外交官として在スウェーデン,在中国大使館に務める。
→関連項目オーストラリア

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラッド
らっど
Kevin Michael Rudd
(1957― )

オーストラリアの政治家。9月21日、ブリスベーン北部のナンボー生まれ。11歳のときに父親を交通事故で失い、経済的には恵まれなかったが、奨学金を得てキャンベラのオーストラリア国立大学で中国語と中国史を学ぶ。1981年、連邦政府外務貿易省に入省し、在スウェーデン、在中華人民共和国大使館に外交官として勤務。1988年に退職後、労働党党首ウェイン・ゴスのスタッフ、クイーンズランド州政府の内閣官房長官、監査法人の中国コンサルタントなどを経て、1998年、連邦下院議員に初当選する。
 2006年に労働党党首に就任。2007年の連邦議会選挙で同党が第一党となり、12月にオーストラリア第26代首相に就任した。大学時代に中国文化を学び、中国語に堪能であることから、親中派とされる。アメリカの対イラク政策にも批判的で、公約どおり2008年6月からイラク駐留のオーストラリア軍の撤兵を開始した。また、環境問題にも関心が高く、就任当日に京都議定書に署名。また、過去の差別政策に関して、アボリジニなど先住民族に謝罪を行った。2010年6月、支持率の低下により労働党党首の座をギラードに譲り渡し、首相を辞任。同年9月に第二次ギラード内閣外相に就任。[編集部]

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