コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ラティモア ラティモア Lattimore, Owen

7件 の用語解説(ラティモアの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラティモア
ラティモア
Lattimore, Owen

[生]1900.7.29. アメリカワシントンD.C.
[没]1989.5.31. アメリカ,ロードアイランドポータケット
アメリカのアジア研究家。幼時両親とともに中国に渡り,12歳まで過した。その後イギリスで教育を受けたのち,1919年再び中国に移り,商社員や新聞記者を経て,25年以来中国研究にたずさわった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ラティモア(Owen Lattimore)

[1900~1989]米国の東洋学者。第二次大戦前後に中国辺境地帯を踏査して内陸アジアを研究、大戦中は蒋介石の特別顧問となる。1945年には、対日賠償使節団の一員として訪日した。著「中国」「アジアの焦点」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ラティモア

米国の東洋学者。1920年中国に渡り,上海,北京,天津などで商業に従事。1926年モンゴル,1927年トルキスタンを旅行。1928年帰国してハーバード大学に学び,1929年中国東北調査旅行。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ラティモア Lattimore, Owen

1900-1989 アメリカの東洋学者。
1900年7月29日生まれ。幼・少年期を中国ですごし,帰国後ハーバード大にまなぶ。満州(中国東北部),モンゴルの調査をおこない,太平洋問題調査会の機関誌主筆,ジョンズ-ホプキンズ大教授などを歴任。第二次大戦中,蒋介石(しょう-かいせき)の政治顧問をつとめた。昭和20年対日賠償使節団の一員として来日。1989年5月31日死去。88歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

ラティモア【Owen Lattimore】

1900‐89
アメリカ生れの東洋学者。特に内陸アジア史研究の権威。幼くして両親に従って中国に渡り,12歳まで滞在した。成人したのちにも英字新聞の記者として,あるいはアメリカの社会科学研究会,地理学会の援助で中国,特に内モンゴル,新疆一帯を旅行した。1941年には蔣介石の政治顧問となり,44年には米副大統領ウォーレスに従って初めてモンゴル人民共和国を訪れた。彼は各地を実地見聞するとともに,当時の中国,モンゴルの状況を分析し,多くのすぐれた著作を著した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ラティモア【Owen Lattimore】

1900~1989) アメリカの東洋学者。第二次大戦前後に中国辺境地帯を踏査し内陸アジアを研究する。著「中国」「アジアの焦点」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラティモア
らてぃもあ
Owen Lattimore
(1900―1989)

アメリカのアジア研究家。幼年期を中国で過ごす。ハーバード大学などで学び、1934年から太平洋問題調査会の『パシフィック・アフェアーズ』誌編集長。1938年ジョンズ・ホプキンズ大学講師。のち教授に就任。極東問題に対する学識が買われ、1941~1942年蒋介石(しょうかいせき)の政治顧問。1943年から戦時情報局極東部主任。第二次世界大戦後は、1945年(昭和20)10月対日賠償使節団の一員として訪日するなど、初期の占領政策に少なからぬ影響を与えた。1950年マッカーシズムの赤狩り攻撃を受けたが、上院の聴聞会で反撃。しかし1963年アメリカを去り、イギリスに渡った。同年から1970年までイギリス・リーズ大学教授。そののちパリのラティモア・モンゴル学研究所所長。[藤本 博]
『ラティモア著、陸井三郎訳『アメリカの審判』(1951・みすず書房) ▽ラティモア著、磯野富士子訳『ラティモア 中国と私』(1992・みすず書房) ▽長尾龍一著『アメリカ知識人と極東――ラティモアとその時代』(1985・東京大学出版会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ラティモアの関連キーワードアメリカンアジアマネー遠いアメリカアメリカ アメリカアジア系アメリカ文学研究会内陸アジア史学会松田寿男護雅夫《アメリカ生活史》内陸アジア

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ラティモアの関連情報