改訂新版 世界大百科事典 「マッカーシイズム」の意味・わかりやすい解説
マッカーシイズム
McCarthyism
アメリカにおいて1950年代初頭,共和党上院議員マッカーシーJoseph R.McCarthy(1909-57)が,反共を名目として行った政敵攻撃とその手法を指す。50年2月,2年後の上院選挙における再選という個人的野心を抱くマッカーシーは,20年に及ぶ民主党政権の下で国務省内に多数からなる共産主義スパイ網が形成され,現在もそのメンバーが外交政策に携わっている,という爆弾発言を行った。その後も繰り返されるこの主張とそれに基づく多くの個人攻撃とは,実体的証拠を欠く中傷に等しいものではあったが,〈アメリカの全能神話〉を信じつつも,ソ連の原爆開発成功や中国における共産党政権の樹立など冷戦初期の国際政治の動向に不満と不安を抱き,ヒス事件やローゼンバーグ事件などのスパイ事件の相次ぐ摘発にいらだつ当時の国民心理に強く訴えた。D.G.アチソン,G.C.マーシャルらの民主党政府の要人,中国研究者のO.ラティモア,民主党政権下で無任所大使を務めたP.C.ジェサップらの著名な知識人,外交官を次々と指弾することにより,マッカーシーは新聞,テレビの注目を浴び,ロバート・タフトら共和党の一部指導者の後押しもあって,一躍有名議員となった。
52年選挙で彼自身が再選され,共和党アイゼンハワー政権が成立してのちは,マッカーシーは政府機能審査小委員会委員長に就任,CIA,VOAからついには陸軍に至る政府機関にまで,その赤狩りの手を広げ,一時は〈大統領に匹敵する〉とさえ評される権勢を誇った。しかし,54年春テレビ中継された対陸軍議会聴聞会において,彼の従来よりの主張の虚偽性とその中傷による政敵攻撃の手法は衆目にさらされ,以後彼の政治的影響力は急速に衰えた。同年末には上院が,そのメンバーにふさわしからぬ人物としてマッカーシーに譴責(けんせき)決議を下し,マッカーシイズムは終息に向かった。マッカーシイズムの勃興を促した短期的な原因としては,ニューディール以後万年野党の地位に置かれた共和党の党派的憤懣(ふんまん),冷戦下の国際緊張の高まり,朝鮮戦争の勃発があげられようが,反ラディカリズムと〈赤狩り〉の伝統,さらにはアメリカ社会の統合過程につねに付随して現れた排外主義的傾向をより根本的な原因としてあげる歴史家も少なくない。
→非米活動委員会 →レッドパージ
執筆者:古矢 旬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報