ラリック(英語表記)René Lalique

改訂新版 世界大百科事典 「ラリック」の意味・わかりやすい解説

ラリック
René Lalique
生没年:1860-1945

フランス宝石細工師,ガラス工芸家。マルヌ地方に生まれ,パリの装飾美術学校に学び,のち独立,おもにパリで制作。ベル・エポックの風潮のもとに,華麗な装飾的作品で名声を得た。とくに,女優サラ・ベルナールが彼の装身具を好んだことから人気を増し,アール・ヌーボーの代表的作家となった。1910年代より積極的にガラス器の制作に向かい,同時に装身具類からは離れ,作風も変化して,いわゆるアール・デコ様式をとるようになった。この時期の代表的作品としては,透明ないし半透明のガラスを用い,型によって成形した器,文鎮,自動車の前部飾などがある。また,当時電灯が普及しはじめたのに対応して,いち早くガラスを照明器具に活用し,多くの電気スタンド,天井灯などを制作した。
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百科事典マイペディア 「ラリック」の意味・わかりやすい解説

ラリック

フランスの工芸家。マルヌ地方に生まれ,パリの装飾美術学校で学ぶ。動植物モティーフとする洗練された宝石細工で知られ,アール・ヌーボーの代表的作家となる。1907年からはガラス器を手がけ,作風もアール・デコ様式に変化していった。
→関連項目ジャポニスム東京都庭園美術館

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラリック」の意味・わかりやすい解説

ラリック
Lalique, René

[生]1860.4.6. マルヌ,エイ
[没]1945.5.5. パリ
フランスの工芸家。パリの装飾美術学校に学び,1885年パリに宝飾工房を開く。 19世紀末におけるフランスのアール・ヌーボーの美術運動の推進者で,金,銀,七宝,宝石などあらゆる種類の材料を使って優美で幻想味豊かな宝飾品や工芸品を制作。一方,精巧な彫金を施した鋳型にガラスを吹込む型吹きガラスを完成し,1900年パリ万国博覧会に出品して注目を浴びた。 20年ガラス工房を手に入れ,表面はサンドブラストでマットし,凸面バフ仕上げしてガラスの光沢を生かす独特の技法や,銀細工を併用した作品を発表。これらの技法は 1920年代に各国のガラス工芸に影響を与えた。

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デジタル大辞泉プラス 「ラリック」の解説

ラリック〔香水〕

《Lalique》フランスの高級クリスタルブランド、ラリックのフレグランス。1992年発表。調香師、ソフィア・グロスマンの作。

ラリック〔クリスタル〕

フランスの高級クリスタル・メーカー。工芸家のルネ・ラリックが、1926年にパリで創業。

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世界大百科事典(旧版)内のラリックの言及

【マーシャル諸島共和国】より

…34の環礁,サンゴ礁島からなる。互いに約150kmを隔てて南北にのびる二つの島列に分かれ,東側をラタック諸島Ratak Islands(〈日の出〉の意),西側をラリック諸島Ralik Islands(〈日没〉の意)と呼ぶ。 1529年スペインの探検家サーベドラÁlvaro Saavedraによって諸島の一部が〈発見〉された。…

【アール・ヌーボー】より

…ガレはナンシーで,ガラス器や家具をつくった。またラリックは蛇やトンボをかたどった宝石細工をデザインしている。 また,ポスターや挿絵など街角を飾る複製芸術の分野でも,すばらしい作家が輩出した。…

【ガラス工芸】より

…その新鮮で高い芸術的水準はヨーロッパのガラスの世界に衝撃を与え,ガラス工芸に新しい動向を生み出していった。このアール・ヌーボーのガラスも,1904年ガレの死とともに急激に影をひそめ,代わって1910年代から,R.ラリックによるアール・デコ様式のガラスが出現した。この頃からガラス工芸は,一品制作を主体とする芸術的作品を作ろうとする工芸作家と,大量生産を前提とする工業デザイナーとの分化が始まる。…

※「ラリック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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