日本趣味,すなわち日本の物品,美術品に対する関心のこと。トルコ趣味,シノアズリーなど近世以降みられたエキゾティシズムの一つ。とくに,19世紀後半にフランスを中心としてみられたものをいう。関連した用語にジャポネズリーjaponaiserie(日本物品),ジャポニザンjaponisant(日本物品愛好家)がある。
ヨーロッパ,とくにフランスと中国との関係は古くから密接で,18世紀フランス・ロココ美術のなかに,宮廷の中国趣味を反映して,かなりの中国の物品が取り入れられ,その異国情緒がもてはやされた。その延長線上で,当時鎖国策を採っていた日本とは直接の取引こそなかったが,中国やオランダを介し,日本の物品がフランスに流入するようになり,はじめ中国の物品のなかに包含されていた日本の物品が,徐々に区別して認識されるようになっていった。さらに日本の開国とともに,江戸時代の美術工芸品が直接流入するようになり,中国とはちがった日本文化の特色が注目され,さらに,その美術工芸品に内在している固有の美学をフランスの文化・芸術に適用しようとする姿勢も生まれた。
1856年パリの版画家ブラックモンが,版元ドラートルA.Delâtreのところで陶器の包装詰物に使われて偶然送られてきていた《北斎漫画》を発見し,そのデッサンのすばらしさに驚嘆し,これを友人の画家マネ,ドガ,ホイッスラーや批評家シャンフルーリ,ビュルティP.Burtyなどに伝えたところから,やがて印象派を形成することとなる一群の若い画家たちの間に,日本美術に対する異常な関心が発生したといわれている。その真偽については異論がないわけではないが,60年代のブラックモンの作品のなかに,明らかに広重の《魚尽し》や《北斎漫画》から引用した図柄が現れたり,ホイッスラー,マネ,ティソJames Jacques-Joseph Tissot(1836-1902)などの絵画作品にジャポネズリーを描き加える例が目だつことは事実である。またジャポニザンも急激に増えていった。とくに,67年と78年のパリ万国博覧会における日本館の出品物が話題を呼び,日本趣味が大流行する。浮世絵版画をはじめ,陶器,漆器,ブロンズ製置物,染織品,象牙細工,そのほか櫛(くし),簪(かんざし)などの女性装身具や,各種工芸品の需要がふえ,当然ジャポネズリーを扱う業者も多くなった。日本人では,78年のパリ万国博日本館展示にかかわった起立工商会社の若井兼三郎(わかいかねさぶろう)(?-1908),林忠正(1853-1906)が知られる。とくに林忠正はゴンクールをはじめとしてすぐれたジャポニザンたちの研究を助け,日本美術の正しい理解を促した。また,ハンブルク生れのフランス帰化人ビングSamuel Bing(1838-1905)は,業者としてジャポネズリーの販売に努力しながら,ジャポニスムの普及に熱意を燃やし,それによって沈滞しつつあったヨーロッパ美術の活性化をめざした。ビングは88年,日本美術に関する豪華雑誌《芸術の日本Le Japon Artistique》(1891まで計36冊刊行)を創刊し,95年改装改名した東洋美術品店〈アール・ヌーボー館ビング〉を開設している。ゴッホがビングの店で浮世絵あさりをしたことはよく知られている。
日本の美術工芸や物品にみられる造形上の特質は多様であり,したがってヨーロッパでの受取り方も,初期の単なるエキゾティシズムから,印象派,後期印象派,ナビ派,その他各種工芸作家など,それぞれの作家の個性,時期,国別によってさまざまである。しかし,それらを包括すると,自然主義,すなわち生活全体が深く自然と調和し,文化・芸術のすべてが自然に根ざしているという日本人と自然との結びつき方が,ヨーロッパの作家たちに強い衝撃を与えたといえる。ジャポニスムがヨーロッパ人に,自然のもつ規則性と不規則性,不均斉の均衡,写実と装飾の並存など,表現上の原理を教えた意義は大きい。また,アール・ヌーボーの平面的・装飾的な表現法の成立にも寄与した。
→オリエンタリズム
執筆者:大島 清次
19世紀後半の西洋音楽にみられるジャポニスムは,日本の音楽からの直接的影響ではなく,当時の美術界や一般市民層に浸透していた日本美術愛好のブームによるところが大きい。このころまだ日本の音楽はほとんど知られておらず,作曲家を異国の主題へ向かわせたのは,おもに美術品などから呼び起こされた視覚的情景であった。そこでジャポニスムがもっとも早く現れたのは,劇場上演の形をとるオペラやオペレッタの分野である。プッチーニ(《蝶々夫人》),サン・サーンス,ルコックA.C.Lecocq,メッサジェA.Messager,A.S.サリバンらの諸作品において,日本の風景や人物,さらに日本の民謡などが舞台上の効果として扱われている。
19世紀末から20世紀初頭にかけて西洋音楽はその語法,手法の一大転換期を迎え,新しい美学,新しい音を模索していた音楽家たちは,日本を含む東洋の芸能や音楽の上演に接し,少なからぬ衝撃を受けた。彼らはそれまでの皮相なエキゾティシズムを脱し,東洋芸術の素材が持つ力,また芸術に内在する独特な時間構成,空間性などに開眼した。ドビュッシー,J.M.ラベルらはその創作において,異質な文化の諸要素を各々の視点から消化し,自己の語法へ総合化している。このような意味での〈異国主義〉は,第2次大戦後の現代音楽にも受け継がれた(ジョリベ,メシアンら)。近年,日本の伝統芸術に対する関心はより深まり,そこから引き出された音楽的イデー(思想)はあらたな東西融合の道を開いている。
執筆者:鶴園 紫磯子
アメリカのジャポニスム(ジャパニズムJapanism)は19世紀後半からほぼ100年にわたって展開された。その前半はボストンを中心とする日本美術の研究と収集活動であり,後半は主として太平洋岸〈北西派〉の創作活動に集約される。前者は明治初期から中期にかけて来日したE.S.モース,フェノロサ,ビゲローWilliam S.Bigelow(1850-1926),ラ・ファージ,フリーアCharles Lang Freer(1856-1919)などによって推進された体系的研究と膨大な収集の形成および美術教育を特徴とし,その収集はボストン美術館やフリーア美術館の日本美術コレクションの基幹となった。これら一連の展開の陰には岡倉天心の活動があった。狩野派様式をふまえた〈フェノロサ・ダウ方式〉の絵画教育は1930年代まで各地で実施され,広範な影響を及ぼした。後者は1920年代から注目された禅によって始まり,シアトルを拠点とするトービー,グレーブスMorris Graves(1910-2001)などの絵画を生んだ。神秘感を帯びた彼ら〈北西派〉の作品は,東部の絵画とは異なった象徴的絵画として評価される。またニューヨーク抽象表現主義のラインハートAd Reinhardt(1913-67)や日系の国吉康雄,岡田謙三,イサム・ノグチなどの活動も後期ジャポニスムの一環としてとらえられる。なお,ジャポニスムの展開と並行する日本人移民の排斥運動および太平洋戦争は,アメリカ・ジャポニスムの性格を複雑にしている。
執筆者:桑原 住雄
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幕末に日本が開国して以後さまざまな日本美術が欧米に紹介されたが、これに影響されて生じた日本趣味をジャポニスムという。このころに運ばれた美術品、またこれに触発されて欧米でつくられた作品を総称するジャポネズリーということばも生まれたが、定着しなかった。日本美術を欧米に運んだ人々としてはシーボルトらオランダ商館関係者に続いてオールコック、オリファント、サトー、シャシロンらがあり、1860年代に日本美術に接したのは主としてイギリスのラファエル前派とフランスの印象派およびその周辺の人々であった。ジャポネズリーには単なる模倣や消極的な受容から創意あふれる摂取に至るまで無数の段階があり、最後の例を総括してジャポニスムとよぶことが多いが、両者の区別はいまなお明瞭(めいりょう)でない。だが近世ヨーロッパでのシノワズリーやトルコ趣味などより、ジャポニスムのほうが持続的でもあり内容が充実してもいることは確かで、ことばの意味を広くとれば、建築や造園、文学や音楽、モードの分野にまでジャポニスムを認めることができる。
[池上忠治]
『大島清次著『ジャポニスム』(1980・美術公論社)』▽『山田智三郎編Japonisme in Art (1980, Kodansha International)』
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…第二帝政期のパリの富裕階級の生活,とりわけ流行の衣装に身を包んだ婦人たちを描いた作品は,ブルジョア好みの当世風の主題と,比較的小さな画面の中に繊細なタッチと洗練された色調で豪華な調度や衣装の材質感をとらえる卓抜な手腕のゆえに,非常な人気を博した。いわゆるサロン(官展)派の画家であるが,ドラクロア,クールベ,マネ,ドガら当時のパリ画壇の革新的な画家たちとの交遊が知られており,ジャポニスムに関心をもった最初の画家の一人ともされる。なお,ベルギーにとどまった兄のヨゼフJoseph Stevens(1819‐92)は動物,ことに犬の画家として人気があった。…
…遠近法は浮世絵画派が新奇なものに敏感であることの一例であるが,開国期の大変動を貪欲に絵画化したのも,この画派の民衆的感受性に基づくものといえよう。なお,毛髪部分の曲芸的に微細な彫り,雲母摺(きらずり)による光沢,凹凸だけの空摺などの技法的彫琢と,線と面の微妙な色価の調整による的確な画面空間などの造形性の高さこそ,19世紀後半に起こる西欧美術の革新に一役買うゆえんであった(ジャポニスム)。浮世絵は近代美術における木版画の再生の起動力の一となったのである。…
※「ジャポニスム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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