しち‐ほう【七宝】
〘名〙
① 仏語。
七種の宝玉。無量寿経では、金・
銀・
瑠璃(るり)・玻璃
(はり)・
硨磲(しゃこ)・
珊瑚(さんご)・
瑪瑙(めのう)をいい、
法華経では、金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・
真珠・玫瑰
(ばいかい)をい
うなど、種々の数え方がある。
七珍(しっちん)。しっぽう。
※性霊集‐一(835頃)喜雨歌「仏身裏、兄二地獄一、七宝上、不レ看レ玉」
※宇津保(970‐999頃)国譲上「此の子日(ねのひ)、御前(おまへ)の物調じて、もてあそび物七ほうを尽して、し設けてこそ。装束(さうずく)いとうるはしく」
※増鏡(1368‐76頃)一一「帝釈の宮殿もかくやと、七ほうを集めてみがきたるさま、目もかかやく心ちす」 〔法華経‐授記品〕 〔白居易‐素屏謡〕
② 転輪聖王の持つ七種の宝。輪宝・象宝・馬宝・珠宝・女宝・居士宝・主兵臣宝をいう。〔
倶舎論‐一二〕
しっ‐ぽう【七宝】
〘名〙
※謡曲・葵上(1435頃)「七宝の露を払ひし篠懸
(すずかけ)に、不浄を隔つる
忍辱(にんにく)の
袈裟(けさ)」
※東京横浜毎日新聞‐明治一三年(1880)四月六日「後藤省三郎氏は、七宝製造のことに就き」
※風俗画報‐一一二号(1896)流行門「お納戸に山形、黒に破れ格子と七宝
(シッポウ)、紅掛に七宝と夏菊、
紫紺に違ひ絣」
④ 紋所の名。
七宝繋(しっぽうつなぎ)を
図案化したもの。七宝、星つき七宝、七宝に花菱、大岡七宝などがある。
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七宝
しっぽう
enamel; émail
七宝焼の略語。英語でエナメル,フランス語でエマイユと呼ばれる。金属面に加飾しようとする文様の輪郭を金属細線でかたどったり,表面をくぼませたりして,ガラス質の色釉 (エナメル) を詰めて加熱,溶着させたもの。西方では古代メソポタミアや古代エジプトに始ってビザンチン時代に栄え,近代になるに従って衰えた。中国では西周時代に興り,明・清時代に最盛期に達した。日本では古墳時代に始って奈良時代に一時栄えたが,その後中断して桃山時代に復活。江戸時代以降は刀装具,建築装飾金具,置物類などに応用され,幕末~明治年間には花器,ふた物などの器物が量産された。多く海外に輸出され,日本の特産品として有名。
七宝
しちほう
仏典中に列挙される7種の宝。7種は必ずしも一定しないが,代表的なものとしては,金,銀,瑠璃,玻璃 (はり。水晶) ,しゃこ (貝) ,珊瑚,瑪瑙 (めのう) 。
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七宝【しっぽう】
金属にガラス釉(ゆう)を焼き付ける複合工芸。ホウロウともいう。正倉院宝物に唐代の作と推定される〈瑠璃鈿(るりでん)背十二稜鏡〉があり,当時すでに技術が進んでいたらしく,日本にもこれらの技法が奈良時代に伝えられた。平安時代まで作られたが,のち衰退。慶長年間に平田道仁が朝鮮の工人から技法を学び,幕府の七宝師となってから復活,江戸〜明治に西欧の技法をもとり入れて盛んになった。濤川(なみかわ)惣助,並河靖之らの研究により精巧なものが作られ,日本の特産として海外で珍重された。→エマイユ
→関連項目あま[市]|梶常吉|七宝[町]
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七宝
正式社名「株式会社七宝」。卸売業。昭和47年(1972)設立。本社は香川県三豊市豊中町岡本。タマネギ種子の品種改良・販売会社。国内需要の約半量を供給。生産は七宝玉葱採種組合に委託。北海道に試験農場を持つ。
出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報
しっぽう【七宝】
七宝焼の略。ホウロウ(琺瑯)ともいい,英語のエナメルenamel,フランス語のエマイユémailにあたる。金属の素地にガラス釉(ゆう)を焼きつけて装飾する工芸。ふつう素地の金属には銅を用いるが,青銅,金,銀,磁器なども用いられる。その素地の上に薄く扁平な金,銀や銅の針金で模様の輪郭線をつくり,シランの根からとった白及糊(しらおいのり)で接着させる。これにガラス釉を施して,1000℃前後で焼くと釉は焼きしまる。
しっぽう【七宝】
仏教の経典に説かれる7種の宝石のこと。〈しちほう〉ともいう。それらの名称は経典によって多少の相違があり,たとえば《法華経》では金,銀,瑠璃(るり),硨磲(しやこ),瑪瑙(めのう),真珠,玫瑰(まいかい)の七つを掲げるが,《大無量寿経》では金,銀,瑠璃,珊瑚(さんご),琥珀(こはく),硨磲,瑪瑙,また《阿弥陀経》では金,銀,瑠璃,玻瓈(はり),硨磲,赤珠(しやくしゆ),瑪瑙,などとなっている。これらの相違は,多くは翻訳時の原語の解釈の相違によるものと考えられる。
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世界大百科事典内の七宝の言及
【七宝[町]】より
…大正年間に始まった桂地区を中心としたエゾマツ,ゴヨウマツ,ヒメリンゴなどの盆栽の生産は有名で,全国各地に出荷される。特産の七宝は江戸末期からの地場産業で町名の由来となった。遠島・安松地区を中心に花瓶,皿,カフスボタンなどを生産する。…
【七宝】より
…しかし,これらの宝石が具体的に何を指すかを含め,不明な点も少なくない。なお,インドの理想的な帝王である転輪聖王がもつとされる七宝は別の伝承であり,金輪(こんりん)宝,白象(びやくぞう)宝,紺馬(こんめ)宝,神珠宝,玉女(ぎよくによ)宝,居士(こじ)宝(大蔵大臣),主兵(しゆびよう)宝(元帥)の七つをいう。【岩松 浅夫】。…
【七宝】より
…七宝焼の略。ホウロウ(琺瑯)ともいい,英語のエナメルenamel,フランス語のエマイユémailにあたる。…
【金属工芸】より
…これに続いて横谷宗珉,土屋安親,奈良利寿(としなが)などの名工が現れた。引手や釘隠には当時流行した七宝流しを用いて,斬新な意匠を施したものが多くみられ,京都の醍醐寺三宝院,桂離宮のものは有名である。ことに桂離宮のものは文字や植物,器物などをかたどって巧妙に意匠されている。…
【ビザンティン美術】より
…古代にモザイクがなかったわけではないが,多くは床に敷きつめられ,材料も大理石その他の石片を用いるのが普通であった。中世に入って壁面装飾にモザイクが用いられ,しかもその材料は七宝(エマイユ)や色ガラスであり,透明体を通して色彩が輝くためひじょうに華麗な効果を発揮し,またその色彩は壁画のそれのように変色したり,いたんだりすることはない。〈永遠の絵画〉と呼ばれたゆえんである。…
【平田道仁】より
…江戸初期の七宝師。美濃国に生まれ,京都に出て装剣金工に従事した。…
【モザン美術】より
… この地方は,すでにカロリング朝末期より芸術の中心地の一つとして栄え,象牙彫,写本画(《フロレッフの聖書》大英博物館)の領域に,優れた作品を生んだ。11~12世紀のロマネスク時代には金工やエマイユ(七宝)が繁栄し,多くの工芸家が輩出する。彼らの均衡にみちた芸術は,次代のゴシック美術の成立に,多大の貢献をした。…
【リモージュ】より
…初代司教聖マルシャルの墓上に9世紀に創設されたサン・マルシャル修道院は,その聖遺物のゆえに重要な巡礼地となり,リモージュはサンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路の宿駅をなした。ロマネスク様式の付属教会堂(フランス革命期に破壊)はリムーザン地方の中心的存在であり,11~13世紀には修道院工房から優れたエマイユ(七宝),金属工芸,写本画などが産み出された。特にエマイユでは,クロアゾネ技法に代わってシャンルベ技法を豊麗な色調をもって駆使し,モザン派やライン派と並ぶ大中心地となった。…
【真珠】より
…また《日本書紀》仲哀天皇の条に,神功皇后が竜宮からこれらの珠を得たと述べられている。仏教に浄土信仰が生まれると,極楽浄土は七宝荘厳(しつぽうしようごん),つまり七つの宝で飾られた美しい世界であると説かれ,法華経などには七宝の一つとして真珠が数えられている。古代の真珠として現存し,容易に見られるものでは,奈良三月堂の不空羂索(ふくうけんさく)観音像の白毫(びやくごう)と宝冠に用いられたものや,正倉院,東大寺の遺宝のなかで宝冠,鎮壇具,刀子(とうす)飾,数珠などに用いられたものがある。…
【鎮壇具】より
…奈良時代には,宮殿,官衙,邸宅などの造営に際しても同様な供養が行われている。この時代に行われた供養は《陀羅尼集経》にもとづいたようであり,ここに示された埋納物は金,銀,真珠,珊瑚(さんご),琥珀(こはく),水晶,瑠璃(るり)などの七宝とされている。 平安時代以降,仏教では密教によって供養が行われ,三鈷輪宝(さんこりんぽう)や橛(けつ)などの法具が用いられる。…
※「七宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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