精選版 日本国語大辞典「七宝」の解説
しち‐ほう【七宝】
しっ‐ぽう【七宝】

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…大正年間に始まった桂地区を中心としたエゾマツ,ゴヨウマツ,ヒメリンゴなどの盆栽の生産は有名で,全国各地に出荷される。特産の七宝は江戸末期からの地場産業で町名の由来となった。遠島・安松地区を中心に花瓶,皿,カフスボタンなどを生産する。…
…しかし,これらの宝石が具体的に何を指すかを含め,不明な点も少なくない。なお,インドの理想的な帝王である転輪聖王がもつとされる七宝は別の伝承であり,金輪(こんりん)宝,白象(びやくぞう)宝,紺馬(こんめ)宝,神珠宝,玉女(ぎよくによ)宝,居士(こじ)宝(大蔵大臣),主兵(しゆびよう)宝(元帥)の七つをいう。【岩松 浅夫】。…
…七宝焼の略。ホウロウ(琺瑯)ともいい,英語のエナメルenamel,フランス語のエマイユémailにあたる。…
…これに続いて横谷宗珉,土屋安親,奈良利寿(としなが)などの名工が現れた。引手や釘隠には当時流行した七宝流しを用いて,斬新な意匠を施したものが多くみられ,京都の醍醐寺三宝院,桂離宮のものは有名である。ことに桂離宮のものは文字や植物,器物などをかたどって巧妙に意匠されている。…
…古代にモザイクがなかったわけではないが,多くは床に敷きつめられ,材料も大理石その他の石片を用いるのが普通であった。中世に入って壁面装飾にモザイクが用いられ,しかもその材料は七宝(エマイユ)や色ガラスであり,透明体を通して色彩が輝くためひじょうに華麗な効果を発揮し,またその色彩は壁画のそれのように変色したり,いたんだりすることはない。〈永遠の絵画〉と呼ばれたゆえんである。…
…江戸初期の七宝師。美濃国に生まれ,京都に出て装剣金工に従事した。…
… この地方は,すでにカロリング朝末期より芸術の中心地の一つとして栄え,象牙彫,写本画(《フロレッフの聖書》大英博物館)の領域に,優れた作品を生んだ。11~12世紀のロマネスク時代には金工やエマイユ(七宝)が繁栄し,多くの工芸家が輩出する。彼らの均衡にみちた芸術は,次代のゴシック美術の成立に,多大の貢献をした。…
…初代司教聖マルシャルの墓上に9世紀に創設されたサン・マルシャル修道院は,その聖遺物のゆえに重要な巡礼地となり,リモージュはサンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路の宿駅をなした。ロマネスク様式の付属教会堂(フランス革命期に破壊)はリムーザン地方の中心的存在であり,11~13世紀には修道院工房から優れたエマイユ(七宝),金属工芸,写本画などが産み出された。特にエマイユでは,クロアゾネ技法に代わってシャンルベ技法を豊麗な色調をもって駆使し,モザン派やライン派と並ぶ大中心地となった。…
…また《日本書紀》仲哀天皇の条に,神功皇后が竜宮からこれらの珠を得たと述べられている。仏教に浄土信仰が生まれると,極楽浄土は七宝荘厳(しつぽうしようごん),つまり七つの宝で飾られた美しい世界であると説かれ,法華経などには七宝の一つとして真珠が数えられている。古代の真珠として現存し,容易に見られるものでは,奈良三月堂の不空羂索(ふくうけんさく)観音像の白毫(びやくごう)と宝冠に用いられたものや,正倉院,東大寺の遺宝のなかで宝冠,鎮壇具,刀子(とうす)飾,数珠などに用いられたものがある。…
…奈良時代には,宮殿,官衙,邸宅などの造営に際しても同様な供養が行われている。この時代に行われた供養は《陀羅尼集経》にもとづいたようであり,ここに示された埋納物は金,銀,真珠,珊瑚(さんご),琥珀(こはく),水晶,瑠璃(るり)などの七宝とされている。 平安時代以降,仏教では密教によって供養が行われ,三鈷輪宝(さんこりんぽう)や橛(けつ)などの法具が用いられる。…
※「七宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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