フランスの作家。ビシーの富裕な鉱泉経営者の一人息子に生まれる。病気保養も兼ねて幼少期からヨーロッパ各地を旅行、とりわけ17歳の夏から秋にかけてロシアやトルコまで足を伸ばし、「コスモポリティスムcosmopolitisme文学の旗手」としての素地を培った。1896年、15歳で処女詩集『柱廊』を自費出版、20歳のときコールリッジの『老水夫の歌』を翻訳、1908年同じく自費出版した『富裕な好事家(こうずか)の詩』Poèmes par un riche amateurを母胎に、13年の『A・O・バルナブース全集』によって文名を確立した。短編1、詩、日記からなるこの作品は、プルーストの『失われた時を求めて』(1913~27)やアポリネールの『アルコール』(1913)と並んで、20世紀フランス文学に新感覚の息吹と視野の拡大をもたらした。初期作品『フェルミナ・マルケス』Fermina Marquez(1911)、短編集『幼ごころ』Enfantines(1918)も捨てがたいが、『恋人よ、幸せな恋人よ』Amants, heureux amants(1921)に代表される3部作も、ジョイスの「内的独白」を取り入れた作品として重要である。2冊のエッセイ集『黄・青・白』(1927)、『ローマの旗の下に』(1938)は、ヨーロッパの古今に通じた文人ラルボー像を浮き彫りにしている。
[岩崎 力]
『新庄嘉章訳『美わしきフェルミナ』(新潮文庫)』▽『岩崎力訳『A・O・バルナブース全集』(1973・河出書房新社)』▽『岩崎力訳『罰せられざる悪徳・読書』(1998・みすず書房)』
フランスの作家。ビシーの裕福な鉱泉経営者の息子で,少年時代からヨーロッパ各地を旅行し,《ある富める好事家の詩》(1908)を自費出版して,A.ジッドに認められた。それに日記を加えた《バルナブース全集》(1913)は,自由を求める青年A.O.バルナブースのぜいたくな旅行という形で,異国の風物との新鮮な接触を記録し,コスモポリタン文学の先駆となった。《フェルミナ・マルケス》(1911)では,外国人子弟の多い中学での青春群像を繊細な筆で描き,幼い少年少女の心理の陰影をとらえた《子どもごころ》(1918)も捨てがたい。《美こそわがすてきな関心事》(1920)などでは,ジョイスの内的独白の手法の逆移入を試みている。《NRF》誌の有力な執筆者で,他方,語学にも長じていたので,イギリス,イタリア,スペインの作家の紹介,翻訳にも努め,数々の滋味あふれるエッセーを残している。1935年脳溢血で倒れ,以後失語症に陥った。
執筆者:平岡 篤頼
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