百科事典マイペディア 「NRF」の意味・わかりやすい解説
NRF【エヌエルエフ】
→関連項目ガリマール[会社]|コポー|シュアレス|シュランベルジェ|狭き門|ティボーデ|ラルボー|リビエール
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フランスの文芸雑誌。正称は《La Nouvelle Revue française(新フランス評論)》。1909年2月,ジッド,コポー,シュランベルジェ,ゲオン,アルノー,リュイテルスを同人として創刊された。文壇に背を向けた小雑誌だったが,クローデル,バレリー,ジャムらの協力を得るとともに,アラン・フルニエ,ラルボー,ロジェ・マルタン・デュ・ガール,ジロードゥーら若い世代の才能を育て,第1次大戦前夜には新しい文学のとりでとしてひろく認められるようになった。大戦後復刊するやリビエール(1919-25),次いでJ.ポーラン(1925-40)を編集長として,フランスのみならず諸外国の若手作家にも誌面を提供し,世界の前衛文学の機関誌として有名になった。マルロー,サルトルらも同誌を通じて文壇に登場した文学者である。しかしポーランのあとを受けたドリュ・ラ・ロシェルがナチスに協力したため同人の支持を失い,43年6月で休刊を余儀なくされ,53年1月より復刊したが,もはや昔日の面影はない。なお今日フランス屈指の出版社であるガリマール書店は,この雑誌の出版機関をガストン・ガリマールが引き受けて成長させたものである。
執筆者:渡辺 一民
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
現代フランスの代表的月刊文芸雑誌。『新フランス評論』の略称。1909年2月、ジッド、コポー、シュランベルジェ、ゲオン、リュイテルス、M・アルノーを同人として既成文壇の枠から外れたところで創刊された。最初2000部にも満たぬ小雑誌だったが、13年、アラン・フルニエ、マルタン・デュ・ガール、ラルボーら若い作家の作品を掲載して一躍新しい文学の中心となった。第一次世界大戦後、25年までJ・リビエール、その後ポーランを編集長として、名実ともにフランスを代表する文芸雑誌となり、サルトルはじめ、20世紀のフランスの文学者のほとんどが同誌によって育成されたといって差し支えない。第二次大戦中、ドイツ占領下でもドリュ・ラ・ロシェル(彼はナチスに協力)を編集長として43年6月まで刊行されたが、そのため戦後の復刊が遅れ、53年、ポーランとアルランを編集責任者として『新NRF』と名称を変えて現れ、旧誌名に戻ったのは59年以後のことである。ガリマール書店発行。
[渡辺一民]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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