日本大百科全書(ニッポニカ) 「リッチュル」の意味・わかりやすい解説
リッチュル
りっちゅる
Albrecht Ritschl
(1822―1889)
19世紀後半におけるドイツのプロテスタント神学の第一人者。3月25日ベルリンに生まれる。1852年ボン大学教授、1864年以後ゲッティンゲン大学教授。彼は初めバウルのチュービンゲン学派に属して、『新約聖書』の研究と教父研究に傾注し、大著『古カトリック教会の成立』Die Entstehung der altkatholischen Kirche(1850)によって注目された。しかし改訂再版(1857)では明瞭(めいりょう)にヘーゲルの歴史観から離れ、シュライエルマハーとカントに接近した。その後、教理史と教義学にまで研究を拡張し、主著『義認と和解のキリスト教的教理』全3巻(1870~1874)によって第一人者の地歩を得、その周辺に集まったリッチュル学派から19世紀末の指導者たちを輩出した。最後の10年はドイツ敬虔(けいけん)主義の批判的研究に専心し、その『敬虔主義の歴史』Die Geschichte des Pietismus全3巻(1880~1886)は今日でも古典的な書物である。
その学風は、シュライエルマハーの意図を継承して、ヘーゲルの弁証法抜きの歴史研究と、カントの倫理的価値判断とをもって補強を試みる。リッチュル自身は拒否したにもかかわらず、その思想傾向は自由主義神学とよばれ、20世紀にはアメリカ神学の主流をなした。その主要思想は、キリスト教を二つの焦点をもつ楕円(だえん)になぞらえ、ナザレのイエスによる救いと神の国追求の実践、宗教的体験の歴史的事実と目的論的行為、宗教的救済と倫理的実践の総合を試み、精神力たる人間価値を強調する。1889年3月20日ゲッティンゲンにて没。
[森田雄三郎 2018年1月19日]