日本大百科全書(ニッポニカ) 「バウル」の意味・わかりやすい解説
バウル
ばうる
Ferdinand Christian Baur
(1792―1860)
ドイツのプロテスタントの神学者、教会史家で、チュービンゲン学派の代表者の一人。6月21日、シュトゥットガルト近郊のシュミーデンに牧師の子として生まれる。チュービンゲン大学の神学寮に学び、ブラウボイレン神学校教授となり、D・F・シュトラウスらを教えた。1826年チュービンゲン大学神学部教授となり、教会史と教理史を担当した。ヘーゲルの歴史哲学に倣って、まず原始キリスト教史を弁証法的に解釈した。すなわち、ペテロのユダヤ人キリスト教的律法教会に対抗して、パウロの異邦人キリスト教的な霊(精神)の教会が生まれ、2、3世紀の古代カトリック教会がこの二傾向の弁証法的総合として形成されたという。『新約聖書』の諸文書も、この二傾向のいずれかに属すると判定される。この「傾向批評」を方法とする一群の人たちを「青年チュービンゲン学派」とよぶ。彼はグノーシス主義をも積極的に評価し、『キリスト教教理史』(1847)では、全体を正・反・合の弁証法的図式で叙述した。12月2日チュービンゲンにて没した。
[小川圭治 2018年1月19日]