インドのベンガル地方(現在のバングラデシュを含む)の大道芸人およびその音楽。彼らはヒンドゥー教と仏教,イスラムの影響を受けてできた独自の宗教をもち,その思想を歌と踊りで表現する。バウルたちは自らの肉体を小宇宙とみなし,体内に神が宿り,男女の性的結合を通して神と合一することができると信じている。偶像崇拝,寺院礼拝はいっさい行わず,その自由奔放で神秘主義的な思想は,常識を超えたり,社会通念からはずれることもあり,人々からは常軌を逸した集団とみなされたりすることも多い。比喩や謎かけを織り込んだ歌の内容は一見難解であるが,人生の悲哀や男女の愛,生と死などについて探究した独自の哲学があり,人の心をとらえるものがある。ベンガルの詩聖タゴールによってバウルの詩的表現法や音楽的価値が再評価され,その名は世界的に知られるようになった。歌い手はコールkholなどの太鼓を伴奏に従えて,1弦のエークターラēktārāや2弦のコモックkhamakなどの撥弦楽器を自ら弾きながら歌い,踊り歩く。
執筆者:的場 裕子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツのプロテスタントの神学者、教会史家で、チュービンゲン学派の代表者の一人。6月21日、シュトゥットガルト近郊のシュミーデンに牧師の子として生まれる。チュービンゲン大学の神学寮に学び、ブラウボイレン神学校教授となり、D・F・シュトラウスらを教えた。1826年チュービンゲン大学神学部教授となり、教会史と教理史を担当した。ヘーゲルの歴史哲学に倣って、まず原始キリスト教史を弁証法的に解釈した。すなわち、ペテロのユダヤ人キリスト教的律法教会に対抗して、パウロの異邦人キリスト教的な霊(精神)の教会が生まれ、2、3世紀の古代カトリック教会がこの二傾向の弁証法的総合として形成されたという。『新約聖書』の諸文書も、この二傾向のいずれかに属すると判定される。この「傾向批評」を方法とする一群の人たちを「青年チュービンゲン学派」とよぶ。彼はグノーシス主義をも積極的に評価し、『キリスト教教理史』(1847)では、全体を正・反・合の弁証法的図式で叙述した。12月2日チュービンゲンにて没した。
[小川圭治 2018年1月19日]
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…ガザルはウルドゥー語の詩による抒情歌でペルシア起源である。ベンガル地方の吟遊楽士によるバウルも宗教的な心情に発している。また各地の人たちが集まったようなときに歌われるものは,日本的な意味での民謡であろう。…
… ヒンドゥー教音楽としては,以上のアールワールのプラバンダ,キールタン,バジャンのほかに,一般に,ベーダ聖典に基づく典礼音楽である《サーマ・ベーダ》の詠唱もこれに含められる。いずれにせよ,インドの一般の生活においては,宗教と世俗との区別はつけられず,芸術音楽においても,バウルと呼ばれる吟遊詩人による音楽,民謡などにおいても,信仰の姿勢が保たれている。【島田 外志夫】。…
※「バウル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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