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リトビノフ Litvinov, Maksim Maksimovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リトビノフ
Litvinov, Maksim Maksimovich

[生]1876.7.17. ポーランド,ビャリストク
[没]1951.12.31. ロシア,モスクワ
ソ連の外交官。本名 Meir Walach。ユダヤ人中流階級の出身。 1898年ロシア社会民主労働党に加入。 1901年に投獄され,翌年脱獄,亡命。革命成功まで国外で活動。 19年帰国して外務人民委員部に参加,その後長期にわたって外交面で活躍。 21年外務人民委員代理。 22年ジェノバ会議,23年ハーグ国際会議のソ連代表,27~30年ジュネーブ海軍軍縮会議予備委員会のソ連首席代表。 30年外務人民委員。 33年米ソ国交樹立交渉を成功させた。 34~38年国際連盟ソ連代表,この間ファシズムに対する国際的統一戦線を呼びかけ,リトビノフ外交の名を国際的に高めた。 39年5月ソ連外交政策の急転に伴い,外務人民委員の職を V. M.モロトフに譲った。 41年アメリカ駐在大使として公職に復帰。 43年8月帰国し,46年まで外務人民委員代理をつとめた後,引退。

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大辞林 第三版の解説

リトビノフ【Maksim Maksimovich Litvinov】

1876~1951) ソ連の政治家。1930年代、アメリカとの国交樹立、国際連盟加入、集団安全保障政策提唱など協調・平和外交を展開した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

リトビノフ
りとびのふ
Максим Максимович Литвинов Maksim Maksimovich Litvinov
(1876―1951)

本名ワラフMeer Genoh Moissevich Vallah(英語ではMeyer Wallach)。ソ連の政治家。ロシア領ポーランドのベロストク(現ポーランドのビャウィストク)のユダヤ人の家庭に生まれる。父は製造販売業、のちに銀行員。実科学校を卒業後、帝政ロシアの軍隊に入る。1898年にロシア社会民主労働党に入党。1901年に逮捕され、1902年に脱獄、亡命。1917年の革命をイギリスで迎え、最初の駐英ソビエト大使に任命される。1918年に帰国。1921年に外務人民委員代理、1930年に外務人民委員(外相)となり、1934年に党中央委員に選ばれる。1939年に外務人民委員を解任されたが、1941年に独ソ戦勃発(ぼっぱつ)後、外務人民委員代理兼駐米大使として復帰。1943年以降外務人民委員代理専任。1946年8月に引退。アメリカ、イギリス、フランスなどとの関係の改善・強化に努める。1951年12月31日に死去。[中西 治]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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