ジュネーブ海軍軍縮会議(読み)じゅねーぶかいぐんぐんしゅくかいぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジュネーブ海軍軍縮会議」の意味・わかりやすい解説

ジュネーブ海軍軍縮会議
じゅねーぶかいぐんぐんしゅくかいぎ

1927年ジュネーブで開かれた、アメリカイギリス日本3か国の海軍軍備制限会議。アメリカ大統領クーリッジは、同年2月、先のワシントン海軍軍縮会議(1921)が合意失敗した補助艦の制限について、五大国会議を呼びかけた。フランスは、国際連盟主催の軍縮会議準備委員会の作業が進行中であること、またフランスの主張である総トン数制限方式(総トン数の限界内で艦種構成の自由を認める方式)にアメリカが反対していることなどを理由に参加を拒否イタリアもこれに同調した。その結果、アメリカ、イギリス、日本3か国の会議が同年6月から開催された。アメリカが、ワシントン海軍軍備制限条約比率(アメリカ5、イギリス5、日本3)を、各種補助艦にも適用する艦種別総トン数主義の立場をとったのに対し、イギリスは、補助艦を大型、小型に分け、大型巡洋艦にのみ「ワシントン比率」を適用する艦種艦級別トン数主義の立場をとって対立した。日本は、巡洋艦、駆逐艦で対米7割、潜水艦でそれ以上の比率を要求した。もっとも重要な問題点は、海外植民地・海外基地をもつイギリスが多数の小型巡洋艦の保有を有利としたのに対し、大西洋太平洋の両洋に面し、海外基地も制限されていたアメリカが行動半径の大きい大型巡洋艦の保有を有利としていたことであった。日本は調停に努めたが、アメリカ、イギリスの巡洋艦をめぐる対立は解けず、同年8月4日、会議は散会した。

前田 寿・納家政嗣]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ジュネーブ海軍軍縮会議」の解説

ジュネーブ海軍軍縮会議
ジュネーブかいぐんぐんしゅくかいぎ

ワシントン海軍軍縮条約で制限外となった補助艦の建艦競争が激化するなかで,クーリッジ米大統領の提唱により,1927年(昭和2)6月20日から8月4日までジュネーブで開催された軍縮会議。日本の首席全権委員は斎藤実(まこと)。仏・伊は参加せず,米・英・日3国の会議となった。交渉過程では巡洋艦をめぐる米・英の激しい対立が表面化し,日米間にも日本の補助艦対米比率7割をめぐる対立が存在した。日本は金融恐慌にともなう財政難にも影響されて米・英間の調停に努めたが,結局会議は失敗に終わった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジュネーブ海軍軍縮会議」の意味・わかりやすい解説

ジュネーブ海軍軍縮会議
ジュネーブかいぐんぐんしゅくかいぎ
Geneva Naval Disarmament Conference

1927年6~8月ジュネーブで開かれたイギリス,アメリカ,日本3国の補助艦艇制限に関する会議。この会議でアメリカは,ワシントン海軍軍備制限条約の「英5,米5,日3」の比率を巡洋艦,駆逐艦,潜水艦にも適用することを提案した。それに対し,イギリスは特に巡洋艦を重視し,大型巡洋艦にはワシントン比率を適用してよいが,小型巡洋艦には制限を加えないことを主張した。日本はその間に立って調停したが,英米の対立が解けず,会議は失敗に終った。

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