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リベリア リベリア Liberia

翻訳|Liberia

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リベリア
リベリア
Liberia

正式名称 リベリア共和国 Republic of Liberia。面積 9万6917km2。人口 395万3000(2011推計)。首都 モンロビアアフリカ大陸西部の国。北西はシエラレオネ,北はギニア,東はコートジボアールと国境を接し,南は大西洋に臨む。

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リベリア
リベリア
Liberia

コスタリカ北西部の都市。グアナカステ州の州都。首都サンホセの北西約 170km,グアナカステ山脈西部南麓にあり,テンピスケ川支流リベリア川にのぞむ。牧牛を中心に果樹,穀物,サトウキビなどを栽培する農業地帯の中心地で,農産物の集散を行う。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

リベリア

米国から解放された奴隷が居住地をつくり、1847年に独立。国名は自由を意味する。1989年から断続的に続いた内戦が、2003年、テーラー大統領の亡命で終結。暫定政府のもとで大統領選が実施され、06年にサーリーフ氏が大統領に就任した。面積約11万平方キロ。人口約400万人。ダイヤモンドや金、鉄鉱石が豊富。

(2011-10-08 朝日新聞 朝刊 2総合)

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デジタル大辞泉の解説

リベリア(Liberia)

《自由の国の意》アフリカ西部、大西洋に面する共和国。首都モンロビア。1822年米国から移住した解放奴隷が建設、1847年に独立。ゴム・鉄鉱石を産出。便宜置籍船が多いため、世界的な船舶保有国となっている。人口369万(2010)。
コスタリカ北西部の都市。グアナカステ県の県都。リンコン‐デ‐ラ‐ビエハ国立公園サンタロサ国立公園、パロベルデ国立公園への観光拠点となっている。

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百科事典マイペディアの解説

リベリア

◎正式名称−リベリア共和国Republic of Liberia。◎面積−9万7036km2。◎人口−410万人(2010)。◎首都−モンロビアMonrovia(97万人,2008)。
→関連項目サーリーフボウィー

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世界大百科事典 第2版の解説

リベリア【Liberia】

正式名称=リベリア共和国Republic of Liberia面積=9万9067km2人口(1996)=211万人首都=モンロビアMonrovia(日本との時差=-9時間)主要言語=英語,多くの民族語通貨=リベリア・ドルLiberian Dollar西アフリカ南西部,大西洋に面し,アフリカで最も古い共和国。アメリカから入植した解放奴隷が樹立した国で,国名はリバティ(自由)にちなむ。
[自然]
 国土は北西から南東方向に海岸線に沿ってのびている。

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大辞林 第三版の解説

リベリア【Liberia】

アフリカ西部、大西洋に臨む共和国。1822年アメリカの黒人解放奴隷が入植し、47年独立。国名は「自由」を意味する。外国船主が便宜上船籍を置くことが多く、船舶保有トン数は世界有数。鉄・天然ゴムなどを産する。主要言語は英語。首都モンロビア。面積11万1千平方キロメートル。人口330万( 2005)。正称、リベリア共和国。 〔「利比利亜」とも当てた〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

リベリア
りべりあ
Liberia

西アフリカ南西部の国。正称はリベリア共和国Republic of Liberia。南西は約560キロメートルの海岸線で大西洋に面し、北西はシエラレオネ、北はギニア、東はコートジボワールに接する。1847年7月、アメリカから移住したアフリカ系解放奴隷が建設した、アフリカ最初の共和国として知られる。面積11万1000平方キロメートル、人口291万(2000推計)。首都はモンロビア[中村弘光]

自然

大西洋沿岸の平坦(へいたん)地帯は16~80キロメートルの幅で、マングローブ沼地、環礁、入り江がつながり、その内陸部にニンバ山地、ウティビ山地などの高原地帯がある。大西洋に直角に流入するセント・ポール川など六大河川が国土を横断している。大部分が熱帯雨林地帯であるが、北部はサバンナ地帯である。気候は熱帯性で湿度が高く、年較差は小さく年平均気温は27℃前後である。年降水量は沿岸部では5100ミリメートル、内陸部では2000ミリメートルに達し、雨期(4月下旬~11月中旬)が長く、乾期(12月~3月)にはハルマッタン(サハラ砂漠の砂塵(さじん)を含む風)が吹き、涼しくなる。[中村弘光]

歴史

リベリアの先住民は、12~16世紀に北方および東方のサバンナ地帯から移動してきた人々と推定されている。1461年にポルトガル人のペトロ・ダ・シントラが来訪し、以後沿岸地帯で先住民とヨーロッパ人との間でコショウなどの取引が行われ、この地域は胡椒(こしょう)海岸とよばれた。1822年にアメリカのキリスト教団体が設立したアメリカ植民協会が、アフリカ系解放奴隷を現在のモンロビアの地域に入植させた。彼らは1847年7月26日に独立を宣言して憲法を制定、1865年までに約2万人の解放奴隷が入国した。入植者によってサトウキビ、タバコ、綿花、果樹類、野菜などが栽培され、コーヒーおよび砂糖のプランテーションが発達し、とくにリベリア・コーヒーは品質のよさで知られた。しかし、1870年代にコーヒー、砂糖はブラジルやキューバとの競争に敗れ、国家財政は破綻(はたん)し債務が累積され、国の経済は約50年間停滞した。
 1926年にアメリカのファイアストン社が世界最大のゴム・プランテーションを建設し、1934年からゴムの輸出が開始された。第二次世界大戦中にはアメリカの空軍基地が建設され、モンロビアの港湾施設がアメリカ軍によって改築された。また、1944年大統領に就任したW・タブマンによる門戸開放政策(外資の導入)や国内統一化政策(入植者系住民と内陸部に住む先住民との格差の縮小)は、リベリアの経済開発に刺激を与えた。1971年タブマンが死去し副大統領のR・トルバートが大統領に就任した。トルバートはタブマンの政策を継承し、1975年の大統領選挙では無競争で選出された。
 しかし1970年代末には、石油価格の高騰および鉄、ゴムなど輸出産品価格の下落によって経済状況が悪化した。1979年3月、国内産米の増産を意図した消費者米価の引き上げに反対して、首都モンロビアで暴動が起こり死者は100人を超えた。同年9月には進歩人民党(PPP)が結成され、1980年3月にPPPは全国ストライキを呼びかけた。トルバート政府はPPPの指導者G・B・マシューズらを逮捕したが、マシューズらの裁判の直前の4月12日、内陸部の先住民クラーン出身のサミュエル・ドウ曹長によるクーデターが起こった。トルバートは殺害され、憲法、国会は停止され、国家救済評議会(PRC)による軍政が始まり、従来のアメリカ系支配層の一掃が図られた。
 1982年12月、PRC議長ドウは民政復帰を約束し憲法委員会を設置、1984年7月の国民投票で新憲法を制定し、新政党の結成を認めるとともにPRCを解散した。[中村弘光]

政治

1984年制定された憲法は、1847年憲法と同様にアメリカ憲法をモデルとし、上院(26議席)、下院(64議席)の二院制をとり、立法権と行政権の分離を明確にしている。1985年の選挙では、ドウ党首の率いる国家民主党(NDPL)が、上院26議席のうち22議席、下院64議席のうち51議席を獲得。大統領選挙では、ドウ候補が50.9%の投票を獲得して当選した。この選挙の1か月後の11月には、アメリカに亡命していたキウォンパ准将によるクーデター未遂事件が起こり、600人に及ぶ死者を出した。キウォンパは殺害され、野党指導者は拘束された。
 1986年1月ドウが大統領に就任し、民政に復帰した。しかし国内政治は不安定な状況が続き、1988年3月には、野党リベリア統一党(UP)党首ガブリエル・クポレが政府転覆謀議のかどで拘束、投獄された。
 1989年12月ドウならびにクラーン人支配に反対する武装蜂起が、北東部ニンバ郡において、チャールズ・テーラーを指導者とするリベリア国民愛国戦線(NPFL)によって開始された。NPFLは、1990年前半には首都モンロビアを除くリベリアの大半の地域を支配下に収めた。モンロビアではNPFLから分かれたプリンス・ジョンソンのリベリア独立愛国戦線(INPFL)とドウの政府軍とが対立していた。こうした混乱状態に際し、8月には西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の介入が決定。ECOWAS監視軍(ECOMOG)が派遣され、諸武装派間の調整にあたった。ドウは9月11日に、INPFLによって殺害された。同年11月22日ECOWASの支持を得て、アモス・ソーヤーが暫定大統領に就任した。
 内戦終結への武装各派との交渉は、ECOWASおよび近隣西アフリカ諸国、あるいはアフリカ統一機構(OAU)などを通じて行われ、ヤムスクロ、コトヌ、ジュネーブなど各地で和平協定が選ばれた。しかし完全に戦闘が停止し、武装解除が進められるには、長い時間がかけられた。また、前大統領ドウ支持派は、1991年6月武装グループをリベリア民主統一解放戦線(ULIMO)として再編、組織した。
 1993年7月、ジュネーブにおいて国連・ECOWAS支援の下で和平会議が開催され、7月5日ベナンのコトヌで包括的和平協定が締結された。9月には、国連安全保障理事会が国連リベリア監視団(UNOMIL)の派遣を決定した。またこの協定で1990年9月に始まった暫定国家統一政府(IGNU)を再編することが認められ、1994年5月にリベリア暫定国家評議会(LNTG)が発足した。これが1995年5月には、テーラー(NPFL)が主導する暫定国家評議会(LNTG)に再編成され、ジョージ・ボーリー(LPC、リベリア平和協議会・クラーン派)、アブラハム・クロマー(ULIMO―M、リベリア民主統一解放戦線―マンディンゴ派、イスラーム)らも副議長として参加した。
 1996年4月、モンロビア市内においてNPFLとULIMO―K(リベリア民主統一解放戦線―クラーン派)とが衝突し、激しい戦闘が5月末まで続いた。アメリカは在留アメリカ人保護のため艦船を派遣し、救出作戦を行った。8月に、アブジャで開かれたECOWASリベリア問題会議において、武装各派間の停戦についての合意ならびに武装解除、派閥解体、大統領選挙、議会選挙などの民政への移行までの日程が確定された。
 1997年7月19日の総選挙において、国民愛国党(NPP、旧NPFL派)が上院26議席のうち21議席、下院64議席のうち49議席を占めた。大統領選挙では党首テーラーが約66%の得票で、エレン・ジョンソン・サーリーフ(リベリア統一党、UP、15.9%)に大差をつけて勝利した。テーラーは、約8年間続いた内戦から民政への移行過程を経て、8月2日に大統領に就任した。1999年、内戦が再燃。2002年2月反政府勢力のリベリア民主和解連合(LURD)の蜂起により、国家非常事態宣言を発令(9月解除)。2003年6月には首都モンロビア近郊での政府軍と反政府軍による戦いが劇化、LURDは大統領テーラーの辞任を迫った。9月テーラーが大統領を辞任しナイジェリアに亡命、副大統領モーゼス・ブラーが大統領に昇格した。同月、ブラー政権と反政府組織2派(LURD、リベリア民主運動=MODEL)は和平協定に調印。反政府組織2派を取り込んだ暫定政府をつくり、2005年に選挙を実施することを決めた。2003年10月暫定政府が発足、議長にジュード・ブライアントが就任し、ブラーは政権を譲渡した。2005年11月に行われた内戦後初の大統領選挙では、サーリーフと元プロサッカー選手ジョージ・ウェアによる決選投票が行われサーリーフが当選。アフリカ初の女性大統領が誕生した。
 外交は、建国以来アメリカとの関係が強く、第二次世界大戦後も親欧米的中立政策を堅持してきた。ドウ軍政期には一時的に社会主義圏との交流もみられたが、1973年に国交を断絶したイスラエルと1983年に復交、ふたたび親欧米的傾向を強めている。近隣アフリカ諸国との外交関係では、元大統領タブマンは汎(はん)アフリカ主義運動の穏健派の中心的指導者として、OAUの結成に寄与した(OAUは2002年7月アフリカ連合に改組)。1973年に隣国シエラレオネとともに関税同盟、共同市場を目的としたマノ川同盟(MRU)を結成し(1980年にギニアも加盟)、1975年にはECOWASの創設にも参加している。
 また1989年末からの内戦以降、ECOWAS、OAU、ならびに国際連合のリベリアに及ぼす影響力が大きくなっていること、近隣諸国とくにシエラレオネ、コートジボワールとの間に、難民移動、密輸、反政府活動をめぐっての紛争の可能性があることが注目される。
 軍隊は志願兵制で、陸軍5300人、海軍450人、総兵力5750人。2001年の国防費は推定1500万ドル。[中村弘光]

経済・産業

経済は、人口の大半が従事する小規模自給農業と、鉄鉱石、ゴムなどの第一次産品の輸出に依存している。1926年にアメリカのファイアストン社が広大なゴム・プランテーションを開発して以来1950年代末まで、ゴムの輸出がリベリア経済の最大の支柱であった。1950年代に、鉄鉱山の開発が始まり、1961年には鉄鉱石の輸出額がゴムの輸出額を超え、1980年代には輸出総額の70%を占めた。リベリア最大の鉄鉱山は、高品位の鉄鉱石を10億ないし23億トン埋蔵すると推定されるニンバ鉱山である。ギニア国境に接したニンバ郡にあり、リベリア・アメリカ・スウェーデン鉱山会社(LAMCO)によって1963年から開発された。輸出港ブキャナンとの間にはLAMCOによって274キロメートルの鉱石運搬専用鉄道も建設された。1980年代には世界経済の不況によって、LAMCOの生産量は、1981年の1000万トンから200万トンへ急落した。ダイヤモンドはローファー川下流地域で1957年に発見され、輸出額は1973年に4940万ドル(81万2000カラット)に上昇したが、1988年には880万ドル、総輸出額の2%を占めるにとどまった。
 おもな輸出用農産物はゴムがもっとも重要で、コーヒー、ココアも輸出されている。ゴムは、ファイアストン社のハーベル、カバラの大プランテーション、グッドリッチのプランテーションが主要な生産者であったが、東南アジア(マレーシア)の生産者との競争に敗れ、ファイアストン社は、1983年にそのリベリア系株式を、ブリヂストン社(日本)に譲渡し、同年、グッドリッチ社はマレーシア系ガスリーグループにプランテーションを譲渡した。一方、リベリア人小規模生産者の多くもゴム生産を停止した。国際ゴム研究グループの推定によれば、ゴム生産量は1989年の10万6000トンから1995年には1万3000トンに低下した。コーヒー、ココアはおもに小規模農業者によって生産されている。コーヒーはロブスタ種が北部で栽培され、内戦以前には8000ないし1万トンを生産、その半分が輸出されていたが、FAO(国連食糧農業機関)の推定によれば、1994年の生産量は300トンに低下した。ココアはメリーランド州に導入されたが、内戦期に、生産量は激減した。
 貿易は、内戦直前の1989年に、輸出ではドイツ32.2%、アメリカ19.3%、イタリア15.7%、輸入ではアメリカ32.2%、ドイツ9.7%、日本8.4%であり、欧米日先進諸国が圧倒的な比重を占め、近隣アフリカ諸国との貿易額はきわめて少ない。貿易品目別にみると、輸出では鉄鉱石55.1%、ゴム28.0%、木材8.4%、輸入では機械・輸送機器31.1%、石油・同製品22.7%、軽工業品16.4%、食料16.4%がそれぞれ上位を占める。
 リベリアは便宣置籍船制度によって1992年までは、世界最大の船舶保有国であったが、1993年にはパナマに次いで第2位となった。1995年登録の船舶登録トン数は9229万1000トン(12.2%)で、パナマの9840万9000トン(14.6%)に次いで世界第2位である。しかし、これは名目上の船舶登録数の多さを示すもので、実際のリベリア船のほとんどは、アメリカ人やギリシア人など欧米の船主の持ち船である。この便宣置籍船制度による収入は、歳入の10%を占めている。
 中央銀行としてリベリア国立銀行National Bank of Liberiaがリベリア・ドル紙幣を発行している。リベリア・ドルとアメリカ・ドルとは平価で交換可能であったが、1982年から1989年に至る時期の新5リベリア・ドル貨幣の乱発により、アメリカ・ドルの退蔵化が始まり、内戦がさらにそれを悪化させた。アメリカ・ドル紙幣は、リベリア・ドル紙幣の30倍以上の交換比率となり、1996年4月から5月の戦闘時期には、72対1の比率になった。1992年1月に発行された新5リベリア・ドル紙幣(通称リバティー・ダラー)は、NPFLが非合法通貨とみなしていたが、1994年3月に暫定国家評議会(TCS)成立後、旧紙幣・新紙幣とも合法とされた。[中村弘光]

社会・文化

住民は、約26の部族からなる先住民のスーダン系黒人が96%を占める。言語系でみれば、マンデ系(北部・西部)、クル系(東部・南東部)、メル系(北西部)に分けられる。建国時にアメリカから入植した解放奴隷の子孫であるアメリコ・ライベリアンAmerico-Liberianは人口の約3%にすぎないが、支配勢力であった。また、レバノン系移住者を中心とする外国人の勢力も根強く、おもに商工業を支配している。公用語は英語であるが、各部族語も日常的に使用される。
 宗教は31%がイスラム教、アメリコ・ライベリアンを中心に10%がキリスト教(ローマ・カトリック系がもっとも多い)、59%が部族宗教と推定(1994)されている。
 教育は、第二次世界大戦時までは公的教育の約80%が伝導団などによるものであった。現在は、7~16歳までの9年間が義務教育で、初等教育(6年間)の就学率は35%、成人識字率は、40%(男性50%、女性29%)と推定されている(1990)。高等教育機関としては、1862年にリベリア・カレッジとして創設され、1951年に改称したリベリア大学がモンロビアにある。新聞は、『デイリー・オブザーバー』(日刊紙)、『サンデー・エキスプレス』(週刊紙)などいずれも英語紙である。テレビ放送は政府系のELTV(リベリア放送システム)1局のみであるが、ラジオ放送は政府系のELBCのほか、LAMCO放送局(ニンバ)もELBCと協力して英語、リベリア諸語による放送を行っている。
 医療は、内戦前の1985年には、医師が住民9687人につき1人、病院ベッドが653人につき1台で、サハラ以南アフリカ諸国の平均を超えている。平均余命は、1990~1995年の推計で男54歳、女57歳とされ、1980~1985年推計の男50歳、女53歳より上昇している。
 1989年12月に始まった内戦によって、1990年には約100万人の難民が近隣諸国に流出した。戦闘状態の変動に伴って、難民数は増減したが、1995年1月にはギニアに47万1000人、コートジボワールに36万人、シエラレオネに1万6000人、ガーナに1万4000人、ナイジェリアに4000人のリベリア難民が流出し、また、リベリア国内にはシエラレオネ難民が約12万人流入していると、国連難民高等弁務官(UNCHR)は報告している。1996年4~5月のモンロンビア近辺における戦闘は、難民数をさらに増加させ、15万ないし20万人の一般市民が死亡したと推定されている。[中村弘光]

日本との関係

1962年(昭和37)5月に日本との外交関係が樹立され、1969年2月に在日リベリア大使館が、1973年1月に在リベリア日本大使館(1990年内戦激化のため一時閉鎖)が設置された。また、1978年8月には青年海外協力隊の派遣が決定した。経済協力では、1993年まで有償で道路建設機械購入(68億5000万円)、無償で食糧援助、モンロビア病院設立(75億3700万円)などがあり、技術協力では1958~1985年に、研修員13名、専門家29名、調査団87団、協力隊50名が派遣されている。日本との貿易は輸出が機械類など900万円、輸入が786億7900万円(2000)で大幅な輸入超過となっている。これはリベリアの便宜置籍船制度によるもので、輸入額の約80%は船舶輸入である。[中村弘光]

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世界大百科事典内のリベリアの言及

【便宜置籍船】より

…したがって,多くの船主は比較的自由に登録国を選択できる立場にある。こうした一般的船舶登録環境のなかにあって,例外的事例として,外国の船主による登録を受け入れるばかりでなく,登録手続がきわめて簡単で,しかも所得税や法人税をほとんど課さず,さらに乗組員の配乗に制限を加えないで船主の自由にまかせる,リベリア,パナマ,ホンジュラスなどの国があり,ギリシア船主,アメリカ船主をはじめとする多くの先進海運国船主がこれらの国を便宜的に置籍国として利用している。このような便宜置籍船はすでに世界商船隊のなかで大きな比重を占めているが,高い海難事故率,劣悪な海上労働条件,発展途上国海運の発達に及ぼす影響等の弊害をもたらす要因になっているとして,国際的な場で問題視されている。…

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