基本情報
正式名称=コートジボアール共和国République de Côte d'Ivoire
面積=32万2463km2
人口(2010)=2160万人
首都=法律上はヤムスクロYamoussoukroだが,事実上はアビジャンAbidjan(日本との時差=-9時間)
主要言語=フランス語,多くの民族語
通貨=CFA(中央アフリカ金融共同体)フランFranc de la Communauté Financière Africaine
西アフリカ,ギニア湾に面した共和国。東はガーナと,北はマリ,ブルキナファソと,西はギニア,リベリアと国境を接し,南はギニア湾に面する。国名は象牙海岸の意で,かつてこの地方の海岸で象牙が多く取引されたことに由来するもので,15世紀後半以後,ポルトガルを中心とする貿易でその名が知られた。
国土の形状はほぼ正方形をなし,地形は北に高く南に低くなっている。国内を流れる主要河川のコモエ川,バンダマ川,ササンドラ川などは,いずれも南に流れてギニア湾に注いでいる。内陸部はほとんどが標高300mをこえる程度のゆるやかな起伏をもつ台地であるが,北西部のギニアとの国境近くは山地をなしている。最高峰はギニアとリベリアとの国境にあるニンバ山(1768m)である。海岸地帯は,潟湖(かたこ)(ラグーン)が発達した低地となっている。
気候も比較的規則正しく変化し,南部のギニア湾沿岸地方では高温多湿な熱帯雨林気候を示すのに対して,内陸へ向かうほど乾燥し,中部から北部にかけてはサバンナ気候となる。植生はこの気候帯の変化に対応しており,南部は熱帯雨林が各所に分布し,とくに南西部地方からはマホガニーなど良質の木材を多く産する。中部から北部にかけてはサバンナとなるが,北西部の山地は熱帯森林におおわれている。
執筆者:端 信行
コートジボアールには,約60の部族が存在するといわれるが,大別すると四つのグループに分かれる。その第1は,アニ族,アブロン族,バウレ族などアカン系諸語を話すグループであり,17世紀末から東の現ガーナ方面から移住してきたものである。これらの部族は王国形成を行っている。第2はディダ族,ベテ族,ゲレ族などクル語系グループで,同国の西部から隣国のリベリア東部にかけての森林地帯に居住している。第3はグロ族,ダン族などマンデ語系グループで,マリ南部を中心に同国北西部にかけて分布する。北部のマリンケ族やジュラ(ディウラ)族もこのグループに属する。第4は,セヌフォ族,クランゴ族,ロビ族などのボルタイック・グループで,ブルキナファソに中心をもち,この国に南下してきたものである。これら諸部族のなかで最大のものはバウレ族で,人口は70万をこえると推定されている。仮面や彫像の木彫技術,蠟型鋳造法による金やブロンズの彫像などで名高い。またセヌフォ族の優美な表情の仮面も著名である。これら仮面や彫像は,秘密結社や祖先の祭祀などの宗教儀礼にかかわって機能を果たしている。今日のコートジボアールではキリスト教の普及がかなり進んでおり,また北部ではイスラムも浸透しているが,なお伝統的な宗教も村落部で強く生きつづけている。現在コートジボアールでは住民の移動が観察される。南部のコーヒー,カカオ栽培地帯では,農業労働者として40万人もの北からの流入があるといわれている。またアビジャンにも北部やさらにブルキナファソ,マリなど近隣諸国からの移入がみられ,同市の人口の30%以上にも及んでいる。
執筆者:赤阪 賢
15世紀ころからヨーロッパ人が来航し,象牙の買付けが行われていたことから,ヨーロッパ人によって象牙海岸(コート・ジボアール)と呼ばれるようになった。しかし19世紀末にフランスによって植民地化されるまでは,外界との接触はサハラ縦断交易を通じてのアラブ世界との接触が主で,北部には商業都市コングなどが建設され,繁栄した。そして植民地化前夜の一時期(1887-96)には,内陸の一部はフランス植民軍に武力抵抗をつづけながら急速に台頭してきたサモリ帝国(第2次)の支配下に入っていた。フランスによる植民地化は1843年,沿岸のアシニの首長との間に保護領条約を結んだのを皮切りに,しだいに内陸部に浸透し,19世紀末までには今日のコートジボアールのほぼ全域の植民地化が完了し,93年,フランス領植民地コート・ジボアールが誕生した。1904年には,西アフリカの他のフランス植民地とともにセネガルのダカールに総督府をおくフランス領西アフリカに編入された。
第2次大戦後,コーヒー,カカオ栽培農民を中心に結成された農民組合を基盤に台頭してきたウフエ・ボアニーFélix Houphouët-Boigny(1905-93)を中心に,独立運動が展開された。彼は,フランス領西アフリカ各地の政治指導者を結集して46年に結成されたアフリカ民主連合の委員長に選出され,またそのコート・ジボアール支部としてコート・ジボアール民主党を結成した。同党は結成当初はフランス共産党とも連携を保っていたが,50年以降決裂してしだいに保守化し,58年のド・ゴール憲法国民投票に賛成してフランス共同体内の自治共和国となり,60年8月7日に完全独立国に移行した。独立当初,アフリカ諸国のなかにあって社会主義陣営と連携を強め革新的な外交路線をとったガーナ,ギニアなどカサブランカ・グループに対抗して,コートジボアールは親西欧路線のモンロビア・グループのリーダー的な役割を演じてきた。
1960年8月に独立し,同年10月に憲法を制定した。大統領制の共和国で,国民議会の議席数は175議席,議員の任期は5年。大統領も議員も任期は5年。初代大統領は独立運動時代からの政治指導者であるウフエ・ボアニーが就任した。独立以来,1990年までウフエ・ボアニー大統領の率いるコート・ジボアール民主党(PDCI)の一党制下にあったが,90年春,いわゆる政治的民主化を求める反体制運動によってひきおこされた政治動乱の収拾策として,複数政党制に移行した。しかし複数政党制のもとで初めて行われた90年秋の大統領選挙でも,ウフエ・ボアニーは対立候補のイボアール人民戦線(FPI)のバボ書記長を破って独立以来の7期連続当選を果たし,国父的権威を確立した。93年12月,彼は任期なかばで病死し,憲法の規定によりベディエKonan Bédié国民議会議長が残余の任期を継承し,さらに95年の大統領選でも当選した。
外交的には独立以来,終始親西欧路線を維持し,フランスをはじめとする外国資本の導入に積極的な姿勢を保持してきた。そのため同じフランス領西アフリカから独立したギニア,マリなど急進的な路線をとる国との外交関係が悪化した時期もあったが,1970年代末からそれらの国の路線転換もあって関係は正常化した。現有兵力は正規軍5000名と憲兵隊,警察など3000名とからなる。アフリカ諸国に多い軍部クーデタは,コートジボアールでも数度企図されたことがあったが,いずれも失敗に終わっている。アビジャン市郊外には独立以後もフランス軍の基地が置かれている。1983年,首都はアビジャンから内陸のウフエ・ボアニーの生地ヤムスクロYamoussoukro市(人口10万6786,1988)に法制的には遷都されたが,実質的な首都機能は依然としてアビジャン市にある。教育にも力を注ぎ,1963年のアビジャン大学(のちにコートジボアール国立大学と改称)設立をはじめ,初等・中等教育の普及,拡大をはかり,就学学童数は1960年の20万から85年には120万に増加,就学率は70%の水準に到達している。
独立以降,周辺諸国の停滞をしり目に,1960年代,70年代を通じて年平均8%の高度経済成長を持続し,1人当り国内総生産は77年ですでに20万CFAフラン(≒1000ドル)の水準をこえ,〈イボアールの奇跡(ミラクル・イボアリアン)〉〈黒い日本〉などと呼ばれ,内外の注目を集めてきた。この高度成長の要因は,第1にコーヒー,ココアなど熱帯産品の生産,輸出の増大であり,第2にはおもに外国資本による急速な工業化であった。アフリカ人小農を担い手とするコーヒー,ココア生産は,1950年代いずれも5万tの水準にとどまっていたが,70年代末には6倍の30万tの水準に達し,世界屈指の生産・輸出国となった。他方,外国資本による工業化は輸出産品の加工,繊維産業など輸入消費財の代替産業などを中心に年平均15%の急速な成長を示し,1960年に国内総生産の15.2%を占めるにすぎなかった第2次産業部門が,76年には25%を占めるまでに拡大した。しかし80年代を迎え,外債の金利負担の増大,コーヒー,ココアの国際市況の悪化などにより経済は独立以来初めて難局に立たされ,構造的不況を迎える。そして80年代末からのIMF主導の構造調整政策による財政の建直し,94年1月のCFAフランの切下げなどによって,90年代後半からコートジボアール経済は長期にわたる構造的不況からの脱却の兆しをようやくみせはじめている。
執筆者:原口 武彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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