国連難民高等弁務官事務所(読み)こくれんなんみんこうとうべんむかんじむしょ(英語表記)Office of the United Nations High Commissioner for Refugees

精選版 日本国語大辞典 の解説

こくれん‐なんみんこうとうべんむかんじむしょ ‥ナンミンカウトウベンムクヮンジムショ【国連難民高等弁務官事務所】

(Office of the United Nations High Commissioner for Refugees の訳語) 紛争・災害による難民の保護、救済、自発的帰国または定住を促進するための国際連合の下部機関。一九五一年開設。本部ジュネーブ。UNHCR。

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デジタル大辞泉 の解説

こくれん‐なんみんこうとうべんむかんじむしょ〔‐ナンミンカウトウベンムクワンジムシヨ〕【国連難民高等弁務官事務所】

ユー‐エヌ‐エッチ‐シー‐アール(UNHCR)

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

国連難民高等弁務官事務所
こくれんなんみんこうとうべんむかんじむしょ
Office of the United Nations High Commissioner for Refugees

略称UNHCR。1949年12月の国連総会決議によって設立が決定され、1951年1月1日に発足した国連の機関で、難民の保護と、難民問題の永続的解決の促進とを目的としている。高等弁務官の仕事は完全に非政治的性格のもので、人道的かつ社会的でなければならず、また原則として、難民のグループ(集団)およびカテゴリー(部類)に関係するものでなければならない。しかし1971年以降は、定義上は難民とはいえないが、難民同様の状況にあり国際的援助を必要とする、住むべき土地を奪われた流民のための特別活動を行ってきている。難民・流民のための救済基金は、各国政府や民間からの自発的醵金(きょきん)に頼っており、近年では15億ドルに達している。もっとも難民の多いのはアフリカで、多くは国連難民高等弁務官が運営する難民キャンプで生活している。ジュネーブの本部のほか、世界の約200か所に事務所がある。1954年および1981年の2回にわたりノーベル平和賞を受賞した。1991~2000年、日本の緒方貞子(おがたさだこ)が国連難民高等弁務官(第8代)を務めた。

[芹田健太郎]

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

国連難民高等弁務官事務所 (こくれんなんみんこうとうべんむかんじむしょ)
Office of the United Nations High Commissioner for Refugees

難民の国際的保護のための国際連合の機関。略称UNHCR。1950年12月14日の国連総会決議にもとづき設置され,それまで難民問題を担当し,51年に解散した国際難民機関(IRO)の事業を引き継いだ。高等弁務官は,その権限の範囲内にある難民に対して国連の権威の下に国際的保護を与え,これら難民の自発的帰国または新しい国家社会への同化を容易にするために援助することにより,難民問題の恒久的解決を図り,また難民に法的,物的両面での保護,救済を与えることを目的とする。本部はジュネーブにあり,世界各地の116ヵ国に事務所をもち,日本には東京に駐日代表事務所を置く。1991年から10年間,緒方貞子(日本)が8代目高等弁務官を務めた。UNHCR事務所の財政は,職員の給与などの行政的経費以外は,国連の予算でなく,国連加盟国の自発的拠出金により賄われる(日本はアメリカに次ぐ拠出国)。75年以来,インドシナからの難民の増大にともない,日本に一時上陸許可を求める難民が相次ぎ,日本は随時,難民の定住枠を拡大し,現在1万人となっている。また82年に〈難民の地位に関する条約〉の当事国となるに及んで,UNHCRとの関係が深まり,日本の自発的拠出金の額も急増している。UNHCR事務所の活動に対して,1954年および81年にノーベル平和賞が与えられた。
難民
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百科事典マイペディア の解説

国連難民高等弁務官事務所【こくれんなんみんこうとうべんむかんじむしょ】

国連経済社会理事会の特別機関。United Nations High Commissioner for Refugees,略称UNHCR。1951年設立。当初は臨時機関だったが,のち国際難民機関の任務を継承。他の機関の管理下にある地域(パレスティナ,インド,パキスタンなど)以外の難民の救済事業を行う。本部はジュネーブ。1954年,1981年ノーベル平和賞受賞。1991年−2000年,緒方貞子が高等弁務官に在任した。
→関連項目国際連合難民条約ノーベル平和賞

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

国連難民高等弁務官事務所
こくれんなんみんこうとうべんむかんじむしょ
Office of the United Nations High Commissioner for Refugees

略称 UNHCR。第2次世界大戦直後に設けられた戦時難民救済のための国際難民機関 IROの業務を引継ぐため,1951年1月,ジュネーブに設立された国連経済社会理事会の特別機関。臨時の機関であったが,任期の更新により事実上の常設機関になった。 UNHCR規程も 51年の難民条約も,50年末日までの事件による難民を対象としたが,この期日は 67年の難民議定書で撤廃された。なお規程,条約とも国連パレスチナ難民救済事業機関 (1949年設置) の被援助者は対象外としている。 56年のハンガリー動乱で多数の難民が生じ,また特に第三世界で戦火や天災による難民の大量発生が継起したため,国連決議により UNHCRの任務は次々と拡大された。冷戦終結後は旧ユーゴスラビア,旧ソ連,アフリカ,アフガニスタンなどの地域で武力紛争が生じ,新たな難民問題が発生した。 UNHCRは行政費のみを国連の通常予算に依存し,事業費は各国政府や民間の寄付でまかなう。日本ではインドシナ難民問題に直面した際,79年に UNHCR駐日事務所が開設された。 54年と 81年にノーベル平和賞を受賞。

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知恵蔵 の解説

国連難民高等弁務官事務所

1950年に国連総会が設立し、翌年活動を開始した難民保護機関。本部ジュネーブ。5年ごとに存続が更新され、当面は2008年末まで。基本的任務は51年の難民の地位に関する条約に沿って、難民に避難先での雇用や教育などの面で法的保護を与えることだが、本国への自発的帰国や第三国への定住の手助けもする。過去数年、対象とする難民その他の避難民は約2000万人。116を超える国で260以上の事務所を展開し、スタッフは6000人を超える。紛争の増加に伴い、予算もふくらむ傾向にあり、最近では年間12〜13億ドル。各地で活動するが、ここ数年は特にアフガニスタン難民の帰還、イラク難民のケアのほか、スーダン・ダルフール、レバノンでの緊急救援活動にも全力をあげている。54年と81年にノーベル平和賞受賞。91年から00年末まで、日本の緒方貞子が高等弁務官を務めた。

(最上敏樹 国際基督教大学教授 / 2007年)

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世界大百科事典(旧版)内の国連難民高等弁務官事務所の言及

【児童福祉】より

…また世界の児童の保健問題については世界保健機関(WHO)が飢饉や戦乱で食糧危機にみまわれた児童の援護に当たり,飢餓状態の人々に対しては世界食糧理事会(WFC)や国連食糧農業機関(FAO)が介入する。今日戦争や政変が人間の生存条件を奪い,難民を生む中で,難民児童に援助の手をさしのべているのは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)である。 一方,民間サイドの国際児童機関としては国際養子縁組で長い歴史をもつ国際社会事業団(ISS)や,児童の救護事業にかかわる国際赤十字や,児童福祉の国際的連絡調整機関である国際児童福祉連合(International Union for Child Welfare)がある。…

【難民】より

…これに対し,1921年以来国際連盟は難民問題の解決を図るための努力をしてきた。この事業は国際連合に引き継がれ,51年国連難民高等弁務官事務所UNHCRが設置され,7月には難民の保護が具体的に守られるようになった(難民の地位に関する条約)。UNHCR設置の背景には,第2次大戦中のヨーロッパの難民が4050万人にも及んだという事実が大きく働いている。…

※「国連難民高等弁務官事務所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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