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リミニ Rimini

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リミニ
Rimini

イタリア北部,エミリアロマーニャ州南東部,フォルリ県にある都市。アドリア海に注ぐマレッキア川の河口付近に位置する。古代ローマのエミリア街道の東端にあり,エトルリア人の町であったが,前 268年にローマ人によって占領され,その植民都市として発達した。第2次ポエニ戦争ではローマ軍の重要基地となり,その後ビザンチン,ゴート,ランゴバルド,フランクの諸勢力に相次いで支配された。 13世紀には独立の都市となったが,同世紀末から 16世紀初頭までマラテスタ家がここを治め,1509年以来教皇領となり,1860年にサルジニア王国に併合された。現在は保養地,海水浴場として知られるほか,食品,たばこ,繊維,薬品,家具などの工業も発達。南の入口には,前 27年に建設されたアウグスツスの凱旋門が残り,マレッキア川にかかる橋も同時代のものである。そのほかローマの円形劇場,13世紀の聖堂,15世紀のマラテスタ城址などがある。人口 14万3321(2011推計)。

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世界大百科事典 第2版の解説

リミニ【Rimini】

イタリア北部,エミリア・ロマーニャ州の都市。人口13万0006(1994)。古代ローマのフラミニア街道アエミリア街道合流点で,現在も交通の要所である。アドリア海に面し,イタリア最大の海水浴場でもある。前268年,ローマ人は先住民のウンブロ・エトルリア人を征服し,リミニに植民地を建設した。ローマ教会とアリウス派とのあいだに聖体論争がもちあがり,359年,リミニで宗教会議が開かれた。4世紀ゴート族に征服されたが,538年,東ローマ帝国はこれを奪回した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

リミニ
りみに
Rimini

イタリア北東部、エミリア・ロマーニャ州リミニ県の県都。人口12万8301(2001国勢調査速報値)。アドリア海に面し、マレッキア川河口に位置する。フラミニア街道の終点、エミリア街道の起点として、古代ローマ時代には軍事的要地となった。ラテン名アリミヌムAriminum。現在は海水浴場としての名声が高く、19世紀後半以来海岸地帯が開け、ホテル、レストランが建ち並ぶようになった。第二次世界大戦中に建物の90%が破壊されるほど大きな被害を受けた。両街道の分岐点に建てられ、現存する最古のローマ時代のアーチであるアウグストゥスの門(前27)や、15世紀におけるマラテスタ家の栄華の名残(なごり)をみせるサン・フランチェスコ教会(マラテスティアーノ寺院ともいわれる)などがある。サン・マリノ共和国への玄関口となっている。[堺 憲一]

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