リンドバーグ(その他表記)Charles Augustus Lindbergh

デジタル大辞泉 「リンドバーグ」の意味・読み・例文・類語

リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh)

[1902~1974]米国飛行家。1927年、ニューヨーク・パリ間の大西洋横断無着陸飛行に成功。また、31年には北太平洋横断飛行にも成功。

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精選版 日本国語大辞典 「リンドバーグ」の意味・読み・例文・類語

リンドバーグ

  1. ( Charles Augustus Lindbergh チャールズ=オーガスタス━ ) アメリカの飛行家、軍人。一九二七年五月の単身最初の大西洋無着陸横断(ニューヨーク・パリ間)飛行、三一年の北太平洋横断飛行に成功した。(一九〇二‐七四

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改訂新版 世界大百科事典 「リンドバーグ」の意味・わかりやすい解説

リンドバーグ
Charles Augustus Lindbergh
生没年:1902-74

アメリカの飛行家。1927年5月,史上初めて大西洋横断の単独無着陸飛行に成功した。デトロイト生れ。ウィスコンシン大学中退後,飛行学校に学び,郵便飛行士などを務める。懸賞金2万5000ドルのニューヨーク~パリ間無着陸飛行に挑戦するため,セント・ルイスの事業家の資金援助で特別機を注文製造。27年5月20日朝,スピリット・オブ・セント・ルイス号に乗りニューヨーク郊外のローズベルト飛行場を離陸,21日夜(パリ時間)パリ近郊のル・ブールジェ飛行場に無事着陸した。所要時間は33時間30分。この壮挙で,長身,遠慮深いハンサムな青年は一夜にして世界の英雄になり,アメリカでは〈ラッキー・リンディ〉〈ローン・イーグル(孤独なワシ)〉と呼ばれて,1920年代(ジャズ・エージ)の〈英雄のなかの英雄〉〈アメリカの夢〉の実現者として熱狂的に迎えられた。しかし32年3月,2歳弱の息子を誘拐され,愛児は約2ヵ月後死体で発見された。この事件を契機に,複数の州にまたがる誘拐犯行を連邦犯罪として取り締まるいわゆるリンドバーグ法が成立した。35-39年,リンドバーグはヨーロッパで過ごし,この間,フランスでは医師A.カレルに協力して人工心臓を試作し,ドイツではナチス党のH.ゲーリングから名誉勲章を授けられた。帰国後,アメリカが第2次大戦に対して中立を守ることを主張し,そのため親ナチスとして非難されたが,のちには太平洋戦線で軍顧問として戦闘任務についた。戦後は空軍や航空会社の顧問を務め,53年には単独飛行の回想録《翼よ,あれがパリの灯だ》(1954年ピュリッツァー賞受賞)を出版した。なお,夫人アン・モローAnne Morrow Lindbergh(1906-2001)はエッセー集《海からの贈物》(1955)などで知られる作家である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リンドバーグ」の意味・わかりやすい解説

リンドバーグ
りんどばーぐ
Charles Augustus Lindbergh
(1902―1974)

アメリカの飛行家。デトロイト生まれ。父はスウェーデン系移民で下院議員。ウィスコンシン大学機械工学科を中退、1925年陸軍飛行学校を卒業。郵便飛行士などを勤めたあと、1927年5月、単発機スピリット・オブ・セントルイス号により大西洋横断無着陸飛行(ニューヨーク郊外ルーズベルト飛行場―パリ近郊ル・ブルジェ飛行場)に成功、一躍世界の英雄となった。1929年5月、中南米親善飛行の途中知り合ったメキシコ駐在大使の娘アン・モローAnne Morrow(1906―2001)と結婚。アンはやがて夫の副操縦士となって夫婦でしばしば各地へ飛行する。1932年、2歳弱の長男が誘拐、殺害されるという悲劇にみまわれる(この事件を契機に、複数の州にまたがる誘拐犯行を連邦犯罪として取り締まるいわゆるリンドバーグ法が成立した)。1935~1939年、ヨーロッパに住む。この間、フランスでA・カレル博士と協力して人工心肺の1号機を開発。ドイツではナチスの領袖(りょうしゅう)ゲーリングから名誉勲章を授けられた。帰国後、第二次世界大戦へのアメリカの参戦に反対する勢力の中心的存在となるが、参戦後は陸軍省顧問となり、太平洋戦線に赴き、空中戦にも参加した。1954年、単独飛行の回想録によりピュリッツァー賞受賞。妻のアンは作家でもある。

[常盤新平]

『新庄哲夫訳『リンドバーグ第二次大戦日記』上下(1974・新潮社)』『佐藤亮一訳『翼よ、あれがパリの灯だ』(旺文社文庫)』『リンドバーグ夫人著、吉田健一訳『海からの贈物』(新潮文庫)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リンドバーグ」の意味・わかりやすい解説

リンドバーグ
Lindbergh, Charles Augustus

[生]1902.2.4. デトロイト
[没]1974.8.26. ハワイ
アメリカ合衆国の飛行家。ウィスコンシン大学を2年で中退し,ネブラスカ州リンカーンの航空学校入学。 1924~25年テキサスの陸軍飛行学校で教育を受け,1926年セントルイス-シカゴ間の郵便航空操縦士となった。この間にセントルイス財界の後援を得て,1927年5月 20~21日愛機『スピリット・オブ・セントルイス』号に乗り,ニューヨーク-パリ間の大西洋単独無着陸横断飛行に所要時間 33時間半で初めて成功,賞金2万 5000ドルを獲得した。 1932年3月2歳の息子が誘拐,殺害されて,別の意味で世間の関心を集めることとなり,夫妻は好奇の目を逃れてヨーロッパに移り住んだ。その後帰国したリンドバーグは,第2次世界大戦初期にアメリカ中立論を主張したが,アメリカ参戦後は民間人として積極的に協力。 1954年ドワイト・アイゼンハワー大統領によりアメリカ予備空軍准将に任命された。著書『翼よ,あれがパリの灯だ』 The Spirit of St.Louis (1953) はピュリッツァー賞を受賞。フランスの生理学者アレクシス・カレルとの共著『臓器培養』 Culture of Organs (1938) はこの方面の共同研究をまとめたもの。

リンドバーグ
Lindbergh, Anne Morrow

[生]1906.6.22. ニュージャージー,エングルウッド
[没]2001.2.7. バーモント,パサンプシック
アメリカ合衆国の作家,飛行家。飛行家チャールズ・A.リンドバーグ夫人。夫の飛行機に同乗した体験を描いた『聞け! 風が』 Listen! The Wind (1938) や人生論的なエッセー『海からの贈り物』 Gift from the Sea (1955) などのほか,小説『けわしい坂』 The Steep Ascent (1944) ,詩集『一角獣』 The Unicorn,and Other Poems (1956) などがあり,晩年には 1922~44年の日記を5巻にまとめて発表した。そのうちの1冊は『内と外との戦争』 War Within and Without (1980) 。

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百科事典マイペディア 「リンドバーグ」の意味・わかりやすい解説

リンドバーグ

米国の飛行家。ウィスコンシン大学を中退して飛行学校に入り,郵便飛行士となる。1927年5月20〜21日,ライアン単葉機スピリット・オブ・セント・ルイス号により,単身ニューヨーク〜パリ間の大西洋横断飛行に成功,一躍国民的な英雄とされた。以後も航空界で活躍,1931年には夫妻で北太平洋を横断飛行し8月霞ヶ浦に飛来。第2次大戦では陸軍省顧問となり,戦後准将。なお1932年長男が誘拐(ゆうかい)され殺害された事件は全米に衝撃を与え,子女誘拐犯に死刑を科する,いわゆるリンドバーグ法制定のきっかけとなった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リンドバーグ」の解説

リンドバーグ
Charles Augustus Lindbergh

1902~74

アメリカの飛行家。1927年ニューヨーク‐パリ間の大西洋横断単独無着陸飛行に成功(約5800km,33時間30分),一躍世界的に有名になる。第二次世界大戦に際してはアメリカ第一委員会に加わり,参戦反対の立場で活動した。

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世界大百科事典(旧版)内のリンドバーグの言及

【カレル】より

…第1次大戦に従軍し,創傷を防腐液で灌流するカレル=デーキン法を創始して死亡率を下げた。大西洋横断飛行のC.リンドバーグと共同で35年人工心臓装置を試作した。著書《人間,この未知なるものL’homme,cet inconnu》(1935)は有名。…

【航空】より

…目的地に着陸の際墜落死亡),13年,フランスのガロスRoland Garros(1888‐1918)の地中海横断(サンラファエル~ビゼルト間)と続く。第1次世界大戦後,世界の飛行家の目は大西洋に向けられ,19年,イギリスのアルコックJohn William Alcock(1892‐1919)およびブラウンArthur Whiten Brown(1886‐1948)は初めて無着陸横断(ニューファンドランド~アイルランド間)に成功,27年にはアメリカのC.リンドバーグはニューヨーク~パリ間を単独で飛んで,無名の郵便飛行士から一躍空の英雄となった。さらに南太平洋(1928),北太平洋(1931),北極(1926),南極(1929)なども飛行機によって征服され,1930年代前半までには,飛行機の航跡は地球上のすべての部分をおおいつくした。…

【つばさ】より

…キング・ビダー監督によるMGMの戦争映画の大作《ビッグ・パレード》(1925)に対抗してつくられたパラマウントの戦争映画で,第1次大戦を背景に男の友情と恋のドラマを描き,悲劇に終わる青春ロマンス的な物語であるが,見せ場は20台をこえるカメラを駆使して撮影したといわれる空中戦である。この映画が公開される2ヵ月あまりまえにチャールズ・リンドバーグが大西洋無着陸横断単独飛行に成功し,航空熱が高まっていたことも手伝って興行的にも大成功し,その後《暁の偵察隊》(1930),《最後の偵察》(1931),《火の翼》(1932)などの〈航空映画〉が流行するさきがけともなった。アメリカのロードショーでは,上映時間2時間16分の約半分が映写機に補助レンズをつけて映像を拡大する〈マグナスコープMagnascope〉と呼ばれる拡大スクリーンに,そして空中シーンの一部は青と赤の二色法カラーで上映された。…

※「リンドバーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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