ルイ王朝様式(読み)ルイおうちょうようしき

改訂新版 世界大百科事典 「ルイ王朝様式」の意味・わかりやすい解説

ルイ王朝様式 (ルイおうちょうようしき)

本項では,フランス国王ルイ13世,14世,摂政オルレアン公フィリップ2世,ルイ15世,16世のそれぞれの統治下の装飾様式を統一的に記述する。本来は,それら歴代の,建築,室内装飾,家具,工芸の様式の異別を明らかにするために,〈ルイ14世様式〉などの各様式名が用いられる。

 主としてイタリアの影響下にあり,家具も多くはイタリアその他からの輸入に頼ったルイ12世時代(1498-1515)のあと,アンリ4世(在位1589-1610)からルイ13世(在位1610-43)にかけての時期の美術は,まだイタリアやフランドルの影響,フォンテンブロー派の伝統などの混在する状態であったが,田園の城館(シャトー)での封建領主的な生活のなされたこの時代には独自の趣味を示す装飾形式が生まれる。通常は,アンリ4世時代をふくめて〈ルイ13世様式style Louis ⅩⅢ〉と名づける。建築では,J.ルメルシエ,F.マンサールらの作品がそれに相当し,壁面は多色の板張り,天井は明快な桁構(けたがまえ)を特色とし,室内装飾は,壮大な暖炉を中心とし,石,石膏による重厚な人像柱,渦巻文,カルトゥーシュ,パルメット類が豊富に用いられる。家具もルネサンス風の壮大さをそなえ,食卓,飾戸棚,ときには椅子にまで,ねじり柱(ときにはねじれのない)が脚部として好んで用いられた。とくにこの時代の家具の中心をなすのは黒檀(こくたん)を用いたキャビネcabinet(飾戸棚)で,しばしば貝類,銀,鼈甲(べつこう)のたぐいが嵌入(かんにゆう)され,鍍金ブロンズの飾りなども用いられる。しかし全体としてこの時代の装飾は,まだ粗野な部分を残し,やがてルイ14世様式で完成される方向を示している。

 〈ルイ14世様式style Louis ⅩⅣ〉は,実際には,〈太陽王〉が絶対的な権力をそなえる1661年から,90年ころに行われた。同王の専制権は,王立絵画・彫刻アカデミーを創設(1648)し,王立ゴブラン製作所をも設立(1667)した宰相コルベールの,中央集権的な芸術政策によって,芸術の分野にも及んだ。コルベールの政策は,基本的にはイタリア・バロックの影響下に,動勢と統一性,豪奢(ごうしや)さと恍惚感を求めながら,他方では,秩序,威厳,古典主義的な性格によってフランス独自の様式の確立をめざすものであり,それは建築家J.H.マンサールによるベルサイユ宮殿の造営に典型的にあらわれる。同宮殿の彫刻装飾その他の総監督の地位にあったC.ル・ブランが,ルイ14世様式の具現者であった。ブロンズもしくは鍍金スタッコのコリント式柱頭をもつ柱列,色大理石と鏡を多用し,ゴブラン織の装飾をそなえた壁面,〈イタリア風〉に描かれた天井は,同宮殿〈鏡の間〉その他に見られる。タピスリーとともに金銀細工の豪華な調度類もル・ブランによってデザインされている。こうした豪華さは家具類にも影響し,渦巻型コンソール,マスク類,人像柱,欄干,パルメット,円光,冠,貝殻(切断されていない)などの豊富な装飾と,きびしく重々しい形態感をそなえる多種類の家具が製作された。前時代以来のキャビネ,ビューロー(執務机)などのほか,各種の簞笥(たんす),椅子,机などが,しばしばゴブラン織やその他の高価な織物類,鍍金木彫装飾,黒檀などの貴重な素材によって生みだされ,王朝風家具の基準を形づくっている。この時代を代表する家具師(エベニスト)としてA.C.ブールとその一家をあげることができる。陶器の製作もこの時期に発展し,その装飾も,ゴブランなどから借用されたモティーフが,ルーアンの製陶場で生みだされている。

 〈レジャンス(摂政)様式style Régence〉は,ルイ14世時代とルイ15世時代をつなぐ過渡期の様式としてあらわれる。したがって,太陽王の統治末期から(とくに家具,工芸)1730年ころまで,オルレアン公フィリップ2世の統治期(1715-23)をこえて行われた。同様式は,ナントの王令廃止後のルイ14世統治末期の暗い政治的社会的な空気への反発として生まれたもので,宮廷での生活よりも私的なオテル(邸館)での自由な生活を求める貴族,富裕な市民の情緒的反映であり,ルイ15世様式あるいはより一般的にはロココ様式として完成されてゆく。建築では,J.H.マンサールによって開始されたベルサイユ宮殿礼拝堂を完成させたド・コットRobert de Cotte(1656-1735)がその代表である。室内装飾では,オードランClaude Ⅲ Audran(1657-1734),J.ベランたちの名があげられる。前様式のバロック的モティーフを受け継ぎ,より自由で幻想的な,そして軽快な使用法を特色とする。家具では,オルレアン公付きの家具師クレッサンCharles Cressent(1685-1768)が,ド・コットとともに全ヨーロッパ的な名声を得ている。このとき,家具の種類も多様化したが,とくに中心となるのは,1700年ころから流行するコモードcommodeで,鍍金ブロンズ,ロカイユ装飾,こうもりの翼型装飾,ゴドロン(円襞飾り)などで飾られている。

 〈ルイ15世様式style Louis ⅩⅤ〉は,レジャンス様式を継承完成させたもの,いわゆるロココ様式の頂点にあたり,1730年ころからルイ15世の統治時代(1715-74)の,末期60年ころに行われた。すでに前時代に始まった,軽やかさ,自由な発想,私的で親密な空間を求める態度は,ルイ15世時代の経済的繁栄によって,広範囲な社会階級のあいだに広がる。公共建築ではJ.A.ガブリエルによるパリのルイ15世広場(現,コンコルド広場)やエレEmmanuel Héré de Corny(1705-63)によるナンシーのラ・カリエール広場などがこの時代を代表するが,むしろルイ15世様式は,室内装飾の細部に典型的にあらわれる。壁面は鏡板張りで区画され,それらの鏡板は,曲線,反曲線による縁飾りをそなえるだけで多くは白などを塗られて,バロック期のように壁画や彫刻が施されない。天井やその他も同様で,繊細さ,洗練,シンメトリーが装飾の基調となる。いわゆるシノアズリーが好まれたのもこの様式の特色である。G.ボフランによるオテル・ド・スービーズの室内装飾などがその例である。家具はこの時代に種類が増え質も高まり,たとえば,従来,素朴なテーブルとベンチ,衣装箱しか備えなかった農民の生活においてさえ,快適な椅子,長椅子,ビュッフェ(食器棚),コモードの類いが一般化する。貴族たちや富裕な市民たちのあいだでは,ロカイユ型コンソールなど多様な,洗練された家具が,生活のあらゆる需要に適応しつつ生みだされた。とくにサロンの会話のためにつくられたカブリオールと呼ばれる長椅子がこの時代の様式を象徴する。農民や庶民の家具は果実材で製作されたが,高級な家具には十分に乾燥された高価な材質が用いられ,家具師たちは,彼らの作品に署名するほど,家具・指物師の権威も高められた。ゴードローAntoine Robert Gaudreaux(1682ころ-1746),J.F.エバンなどがその代表的な例である。

 〈ルイ16世様式style Louis ⅩⅥ〉は,すでに1760年ころ,古代趣味,新古典主義的風潮の高まりとともに始まり,ルイ16世(在位1774-92)時代末まで流行する。建築,室内装飾,家具のすべての領域で,新古典主義の流行は,たとえばロカイユ装飾,対立法的な装飾などを放棄させ,直線が採用される(細部では,ロココ風,ルイ15世様式風が多く残存する)。建築では,柱列アーキトレーブをそなえ,室内でもやはりイオニア式あるいはコリント式の柱によって壁面が区画され,細部には,しばしばギリシア式雷文(メアンデル),アカンサス模様,メダイヨン型などが装飾モティーフとして用いられる。トロフィーあるいはトロフィー型装飾も多用された。家具においても直線が支配的になり,人像柱,トロフィー,その他の古代風モティーフが豊富に用いられ,材質は主としてマホガニーの鏡板張りが好まれ,鍍金ブロンズの彫刻があらゆる部分に用いられている。J.H.リーズナーなどが代表的な家具師。古代風の荘重さと格式を求めた同様式は,前代の様式の快適さや軽やかさを犠牲にした部分も少なくないが,仕上げの精密さや完全さでは家具工芸の極点を形づくっている。
ロココ美術
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルイ王朝様式」の意味・わかりやすい解説

ルイ王朝様式
るいおうちょうようしき

フランスのルイ14世(在位1643~1715)から、19世紀前半のルイ・フィリップ(在位1830~48)の治世にかけて流行した装飾美術の様式の総称。とくに室内装飾や家具に特色があり、それらは君主の好みや求めによってつくられたので、各時代の様式にはそれぞれの君主名がつけられている。

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ルイ14世様式

le style Louis ⅩⅣ 太陽王といわれたルイ14世は国家的事業であるベルサイユ宮殿の造営にあたって自ら建設の指揮をとり、豪壮・華麗な室内装飾や工芸品で宮殿内を飾った。様式はイタリア・バロックの影響をみせながらも、絶対君主の尊厳と栄光を強調しており、この風潮はベルサイユ宮殿のみならず、他の宮殿にも及んだ。代表的な建築としては、ルボーによるベルサイユ宮殿の室内、とくにアルドゥアン・マンサールの「鏡の間」、ルブランの天井装飾画、マンサールとロベール・ド・コットの内部装飾による王室礼拝堂のほか、クロード・ペローによるルーブル宮がある。工芸では1662年に創設された王立ゴブラン製作所で、画家ルブランの指導のもとにいわゆるゴブラン織、じゅうたん、家具など多くの優れた製品がつくられた。ことにルイ14世の事績を織った14枚のタペストリーはその豪華な作例といえよう。めっき、象眼(ぞうがん)など金工品の技法も発達し、食器、装飾品などでも曲線が踊り狂うと評されたバロックのダイナミックな彫金が豪華さを競い合った。

 家具にはその所有者のステータス・シンボルを明示するための装飾が施された。ルイ14世の宮廷作法は厳格で、身分、位階、王の愛顧の度合いに応じて着座する椅子(いす)や腰掛のデザインに格差が設けられた。フォトゥーユとよばれる肘(ひじ)掛け椅子に座するのは君主に限られ、木部は彫刻や塗金、象眼が施され、背と座をゴブラン織で張り込みにした椅子である。また4脚のタブレや折り畳み式のプリアンとよばれる腰掛け式椅子は、上流婦人のうちでも国王に許可された女性だけが腰掛ける特権を与えられていた。いずれも脚部や座枠に塗金し、綴織(つづれおり)やビロードのクッションをのせて使用した。家具作家アンドレ・シャルル・ブールは、象牙(ぞうげ)、ベっこう、金、銀、銅、真鍮(しんちゅう)などを家具木部に象眼、ブールのマーケットリとしてルイ14世式家具の特色となった。

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レジャンス様式

le style Régence 太陽王没後、幼いルイ15世の摂政(レジャンス)としてオルレアン公フィリップが国務を代行した時期(1715~23)に流行した様式。荘重なバロックのルイ14世様式から解放されて、軽快で優雅な趣向が好まれるようになる。装飾のモチーフとして従来の植物文・動物文のほかに支那(しな)趣味が導入され、建築内部も柱身に装飾を施し、壁面は湾曲して天井に移行し、壁にメダイヨンとよぶ楕円(だえん)形の絵が掛けられ、窓や出入口にアーチ形が採用された。この時代および次のロココ初期を代表する家具作家にシャルル・クレッサン、建築家にジル・マリー・オプノール、ロベール・ド・コットらがいる。レジャンス時代は短くはあったがきわめて質の高い装飾芸術をみせ、次のロココへの先駆となった。

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ルイ15世様式

le style Louis ⅩⅤ ルイ15世の治世(1715~74)のうち1730年ごろからほぼ30年間にわたって流行し、フランスのロココ様式を形成してヨーロッパの宮廷芸術に大きな影響を与えた。その特徴は、ルイ14世時代の荘重な権威主義にかわって軽快、優美、機知、洗練さなどが重視され、建築も巨大な広間よりも快適な小室が好まれ、パリ近郊にパビヨンとかオテルとよぶ小規模な貴族の邸館がつくられて、建物の外観よりも室内装飾に重点が置かれた。オテル建築では、ガブリエル・ジェルマン・ボフラン設計のパリの多くのオテルがある。宮廷は優雅な社交場であり、人々はアルコーブとよばれる婦人の私室に集まって社交生活を楽しんだ。その結果、家具調度にも女性の趣味が強く反映された。家具もコモードとよばれる洋だんすや肘掛け椅子は、バロックの太くたくましい脚部から細く軽やかな曲線へと変わった。ガブリオル(曲り脚)はロココ時代の椅子の脚に共通したデザインで、バレリーナの跳躍(ガブリオル)から取り入れたといわれ、日本では「猫脚」とよんでいる。角のとれた背もたれや低い扇形の座など、疲れない自然な姿勢で掛けられるように座り心地のよさが重視され、人間工学的にも優れた作品が数多くつくりだされた。装飾モチーフとしては渦巻、アカンサスの葉、ロカイユとよばれる貝殻装飾、連続唐草(からくさ)が引き続き用いられ、壁面もアイボリー・ホワイトなどのパステルカラーが好まれた。家具に中国風の漆や磁器が用いられたのもこの時代の特色で、セーブルの王立磁器製作工場でつくられたタイルがテーブルの天板や棚に用いられ、また遊戯的な情趣の磁器の小彫刻がインテリアに使われた。この時代の代表作家に家具には、シャルル・クレッサン、金工にジュスト・オレール・メソニエ、ジャックとフィリップのカフィエリ父子らがいる。

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ルイ16世様式

le style Louis ⅩⅥ ルイ16世の治世(1774~91)に盛行した様式。前代の優美繊細なロココへの反動として、ポンペイなどの古代遺跡の発掘に刺激され、簡素、端正な新古典主義ともいうべき様式が生まれた。建築はA・G・ガブリエル設計の小トリアノン(ベルサイユ)、スーフロー設計のパンテオン(パリ)に代表される簡素明快な形式で、椅子の脚に古代建築の柱身を模した縦溝を彫ったり、飾り棚にも古代風な女神像を置くなど古典回帰がみられる。収納家具は曲線が影を潜め、四角で容量は増えたが、椅子は直線でかならずしも座り心地がよいとはいえない。家具・金工の代表作家にジャン・アンリ・リースネル、アダム・ウェースウェーレル、ダービト・レントゲンらがいる。

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ルイ・フィリップ様式

le style Louis Phillippe ルイ・フィリップの治世(1830~48)の王政復古時代に流行した様式。イギリスの初期ビクトリア様式、ドイツのビーダーマイアー様式(メッテルニヒ体制下の1815~48年の様式でとくに家具の意匠に現れている)と並行する。ナポレオン時代の堅苦しいアンピール様式から脱してルイ王朝風の軽快な作風が復活し、イギリスのビクトリア様式と多くの共通性をもつ。当時開発された新素材や技法を取り入れてはいるが、モチーフの扱い方などはロココの表面的な模倣や過剰な装飾、猫脚の乱用が目だち、一貫した装飾理念がみられない。こうして19世紀末には質的にも低下したまま20世紀へと引き継がれることになる。

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世界大百科事典(旧版)内のルイ王朝様式の言及

【ディレクトアール様式】より

…〈メシドール(収穫月)様式style Messidor〉ともいう。ルイ16世様式(ルイ王朝様式)とアンピール様式の間にあって前者の様式を反映し,また後者への過渡的推移を示す。この時代の不安定さのため建築の実例はなく,室内装飾の残存例も少ない。…

【バロック美術】より

…コルベールは織物,陶磁器,木工,金工の大工房を保護し,王立家具製作所(ゴブラン製作所)をル・ブランに指導させ,〈ルイ14世一代記〉などの豪華なタピスリー連作を作らせた。家具においても,ダイナミックな曲線様式を特色とするルイ14世様式が起こり,ファンタスティックなアラベスクやカルトゥーシュの奔放なデザインが,この時代の趣味を代表することとなった(ルイ王朝様式)。これらはいずれも,最初はイタリア人およびその様式が支配的であったが,しだいにフォンテンブロー派以来のフランス的優美さと洗練に向かい,18世紀に入るとともにロカイユに移行する。…

※「ルイ王朝様式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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