翻訳|Le Mans
フランス北西部,サルト県の県都。人口14万6105(1999)。サルト川に臨む丘を3~4世紀の城壁が半ば囲んでおり,内部の旧市街にはサン・ジュリアン大聖堂(11~15世紀)をはじめ中世の建築物が多く残されている。古来,メーヌ地方の主都として交通の要衝であり,農産物の集散地,また僧服やろうそく,麻布などの地場産業の町であったが,1870年代以降,スポーツカーを中心に自動車工業の町となった。1923年には〈24時間ル・マンの自動車競走〉が始まり,36年にルノーの工場が移転してくるや,自動車産業とオートレースの町として世界的に知られるようになった。
執筆者:田辺 裕
石灰岩の大丘陵という立地条件により,3世紀末ローマ帝国によって建造された城壁が今も保存され,中世の市街をほぼ長方形に囲んでいる。11世紀末より1481年まで,イギリスのプランタジネット朝の治政下にあり,その時期に,サン・ジュリアン大聖堂をはじめ,ノートル・ダム・デュ・プレ教会,ラ・クテュール教会,王妃ベランジェールの館などが建造された。
初代司教ジュリアン(3世紀)にささげられた大聖堂の西正面は11世紀末に起工されたが,1134年の大火の後,身廊の大部分が再建された。南袖廊(トランセプト)扉口彫刻は12世紀に制作され,シャルトル大聖堂〈王の扉口〉の彫刻様式を伝える。13世紀に付け加えられた後陣(シュベ)は,独特のY字形の飛梁(フライイング・バットレス)をもつ。内部では,身廊の12世紀のステンド・グラス(〈昇天〉など)が鮮明な青と赤の対比でロマネスク様式を伝え,内陣の13世紀ゴシック様式のそれは,より深い青と赤の色彩対比をみせている。
執筆者:馬杉 宗夫
ハイチ現代文学の始祖。フランス留学から帰国後,1927年に《ルビュー・アンディジェーヌ》誌を発行し,ハイチにおけるアフリカの文化遺産を再発見するとともに,民族文化を確立することに努力した。メキシコ旅行中に執筆し死後に刊行された《露の支配者たち》(1944)は,ハイチの農村の日照りをテーマにしたロマンで,ハイチ文学史上の最高傑作といわれている。
執筆者:神代 修
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス中西部、サルト県の県都。パリの西南西211キロメートルに位置する。人口14万6105(1999)、14万3325(2015センサス)。周辺の農村地帯とは対照的な工業都市で、農業機械、電気機械、自動車、繊維、鉄鋼などの工業が盛ん。パリ、ブルターニュ、ノルマンディー、およびロアール川流域地方を結ぶ交通の要衝にあり、19世紀の中葉から鉄道網の発達で人口も急増した。20世紀に入り行政、商業、宗教上の地方中心都市となり、大学をはじめとする文化的機能も充実している。ローマ時代から栄えた古い町で、ジュリアン寺院(12世紀ロマネスク様式の本堂、13世紀ゴシック様式の内陣をもつ)、ノートルダム・ド・ラ・クチュール教会(10~13世紀)、市庁舎と県庁舎(18世紀)、美術館など歴史的建造物が多く、観光都市ともなっている。1923年以来、毎年6月に開催されるフォーミュラ・カーのグランプリ「ル・マン24時間自動車レース」は世界的に知られている。会場となるサルト・ロード・レーシング・サーキットは市街地の南部に位置する。自動車博物館もある。
[高橋伸夫]
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