ルージュモン(その他表記)Denis de Rougemont

改訂新版 世界大百科事典 「ルージュモン」の意味・わかりやすい解説

ルージュモン
Denis de Rougemont
生没年:1906-85

スイスの思想家。1906年ヌシャテル州のクーベに牧師の長男として生まれる。1930年ヌシャテル大学文学士。翌31年よりフランスに住みA.ジッド,J.シュランベルジェ(1877-1968)などの知遇を得る。プロテスタントで雑誌《新秩序》,32年E.ムーニエによって創刊された人格主義の雑誌《エスプリ》誌の寄稿者となり編集にも協力する。これらの論文は45年《劇的人間像》に集められた。1936年《手で考える》,37年《失業者の日記》(石川湧訳,1938)を刊行。39年に刊行した《恋愛と西欧》(邦訳《愛について》1959)は既婚貴婦人に騎士の捧げる,12世紀からといわれるヨーロッパ宮廷風恋愛,とくにトリスタンイゾルデ伝承をカタリ派異端と結びつけて描いたため論議の的となった。40年第2次大戦に際してアメリカに渡り,41年《ヨーロッパの心臓スイス》を英語で出版,また42-43年フランス向け放送〈ボイス・オブ・アメリカ〉を担当した。44年現代ヨーロッパ精神の危機を論じた《悪魔の取り分》,47年アメリカ文化論《アメリカに暮らす》を刊行。この年7月フランスに戻り,50年ジュネーブにヨーロッパ文化センターを開設した。《西欧人の冒険》(1957),《28世紀間のヨーロッパ》(1961),《ヨーロッパのチャンス》(1962)などの文明論著し,ヨーロッパ諸国の協力の必要を説いている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルージュモン」の意味・わかりやすい解説

ルージュモン
Rougemont, Denis de

[生]1906.9.8. ヌーシャテル
[没]1985.12.6. ジュネーブ
スイスの評論家。 1932年ムーニエの人格主義の雑誌『エスプリ』の創刊に参画。 1950年ジュネーブに連邦主義に拠る「ヨーロッパ文化研究所」を設立した。著書には,西欧的愛の起源を探る『愛と西欧』L'Amour et l'Occident (1939) のほか,『手で考える』 Penser avec les mains (1936) ,『人間の西欧的冒険』L'Aventure occidentale de l'homme (1957) ,『ヨーロッパの 2800年』 Vingthuit siècles d'Europe (1961) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルージュモン」の意味・わかりやすい解説

ルージュモン
るーじゅもん
Denis de Rougemont
(1906―1985)

スイスの作家。ヌーシャテルに生まれ、フランス語で執筆。1932年、E・ムーニエに協力、人格主義を標榜(ひょうぼう)する『エスプリ』誌の創刊に加わるが、39年の『西欧と愛』L'Amour et l'Occidentで注目される。第二次世界大戦中をアメリカで過ごしたあと、『悪魔の分け前』(1944)でヨーロッパ的意識の危機を分析し、50年にジュネーブにヨーロッパ文化センターを創立、『連邦主義と民族主義』、『ヨーロッパの18世紀』(1961)、『ヨーロッパのチャンス』(1962)、『ヨーロッパ人への手紙』(1970)などを著す。

[西永良成]

『波木居純一訳『ヨーロッパ人への手紙』(1975・紀伊國屋書店)』

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