ムーニエ(読み)むーにえ(英語表記)Constantin Meunier

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムーニエ」の意味・わかりやすい解説

ムーニエ(Emmanuel Mounier)
むーにえ
Emmanuel Mounier
(1905―1950)

フランスの哲学者。グルノーブルに生まれる。グルノーブルとソルボンヌパリ大学)の両大学に学んだが、その間詩人・思想家ペギーに傾倒し、その研究書を刊行した。1932年に雑誌『エスプリ』を創刊、第二次世界大戦中は発禁処分を受けて中断し、地下に潜ってレジスタンス運動に加わった。1944年終戦とともに、雑誌を再刊して健筆を振るった。彼の思想的立場はペルソナリスム(人格主義)であり、それをまとまった形で述べているのが『人格主義とは何か』(1947)および『人格主義』(1949)である。彼が「ペルソンヌ(人格)」とよんでいるものは、自由にして、かつ創造的な人間、けっして客体化されない主体的人間のあり方を意味し、その点で「実存」とほぼ同じ概念と解してよかろう。

[西村嘉彦 2015年6月17日]

『E・ムーニエ著、竹下春日訳『実存主義案内』(1964・理想社)』『木村太郎・松浦一郎・越知保夫訳『人格主義』(白水社・文庫クセジュ)』『池長澄著『エマニュエル・ムゥニエ』(澤瀉久敬編『現代フランス哲学』所収・1968・雄渾社)』


ムーニエ(Constantin Meunier)
むーにえ
Constantin Meunier
(1831―1905)

ベルギーの彫刻家、画家ブリュッセルに生まれる。最初彫刻を学ぶが、のち絵画に転向し、シャルル・ド・グルー(1825―70)に師事する。1859年ウエストマール・トラピスト修道院に滞在し、以後20年間修道院生活を題材にした作品を制作。78年以降、ベルギーの工業地帯を訪れて労働者をテーマに社会批判的な作品を制作する。85年、絵画とともに彫刻をも手がけ、鋳銅と石とをおもな素材に、炭坑夫、製鉄工、人夫などをモデルに力強いリアリズムの制作を行うかたわら、絵画ではとくに煤煙(ばいえん)や炎を暗い色調で描いた。主題の選択ではミレーの影響があるとされるが、バルビゾン派のリアリズムよりもさらに明確な象徴性と社会主義的な感情が作風の基盤をなしている。とくに彫刻ではベルギーを代表する存在で、労働者を造形化した最初の作家として知られる。死後、ブリュッセルの住居はムーニエ美術館となった。

[野村太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムーニエ」の意味・わかりやすい解説

ムーニエ
Mounier, Emmanuel

[生]1905.4.1. グルノーブル
[没]1950.3.22. シャトネイマラブリ
フランスの哲学者。 1924年グルノーブルでジャック・シュバリエに師事,27年パリに出,C.ペギー研究会をつくり,それを発展させて 32年に雑誌『エスプリ』 Espritを創刊。 33~39年ブリュッセルの高等学校で教鞭をとり,39~40年従軍。 41年,雑誌は発禁となり,42年には反政府運動のかどで投獄された。 44年 12月に復刊,45年にはパリ郊外に共同体施設「シャトネイの家」を建てた。キリスト教に深く根ざしたその人格主義は実存主義に近似しているが,個人主義を全体主義と等しく退ける。また,現代社会における教会の意味,役割を考察し,若いカトリック信者に影響を与えた。主著『人格主義のための宣言』 Manifeste au service du personnalisme (1936) ,『性格論』 Traité du caractère (48) ,『人格主義』 Le Personnalisme (49) 。

ムーニエ
Mounier, Jean-Joseph

[生]1758.11.12. グルノーブル
[没]1806.1.26. パリ
フランスの政治家。グルノーブルで国王裁判官をつとめ,1788年ドーフィネの地方三部会を招集し,89年6月 20日第三身分代表として「テニスコートの誓い」を発議,指導。立憲派として,国民議会議長をつとめたが,同年 10月5,6日の民衆のベルサイユへの行進に反対し,90年亡命。ブリュメール十八日のクーデター後帰国し,1805年コンセイユ・デタの成員となった。主著『フランス人が自由になるのを妨げた原因についての研究』 Recherches sur les causes qui ont empeché les français de devenir libres (2巻,1792) 。

ムーニエ
Meunier, Constantin

[生]1831.4.12. エテルベーク
[没]1905.4.4. イクセル
ベルギーの彫刻家,画家。フルネーム Constantin Emile Meunier。ブリュッセルの美術学校で学び,シャルル・ド・グルーに師事。初め『農民戦争』(1875,ベルギー王立美術館)のような歴史画や宗教画を描いたが,1880年以降,多く炭鉱労働者の生活を題材とした。1882年スペインに行き,『セビリアのよき金曜日の行列』(1882~83,ムーニエ美術館)その他を制作。帰国後主として彫刻に専念し,『錬鉄工』(1885,ベルギー王立美術館)などの労働者への共感をこめた写実的作品を制作。1896年政府から記念碑制作の委嘱を受け,『労働記念碑』を制作中死亡。没後彼の家にムーニエ美術館が創設された。

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