出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
インド、西ベンガル州北部ダージリン付近(推計人口約2万5000人、1995)と、シッキム南部、ブータン西部、ネパール東部に住む人々。チベット・ビルマ系言語(レプチャ語)を用いる。「レプチャ」ともよばれたが、「レプチャ」はネパール人による最下層民をさす蔑称(べっしょう)であるので使用をさけるべきだろう。大麦、小麦、陸稲、ソバを移動耕作していたが、現在では棚田(たなだ)耕作に移行し、茶園での雇用も主要収入源である。家族は拡大的で一夫多妻、一妻多夫ともにみられる。外婚集団はない。宗教は紅帽派チベット仏教(ラマ教)だが、ロン出身の僧は少ない。ヤギ、牛を供犠(くぎ)する古い信仰がとくに葬礼に残っており、土葬が多く火葬は上層に限られている。17世紀初めのボーティア(チベット人)侵入以後、政治的支配の手段でもあった村の寺院を中心にチベット仏教化が進行した。さらに18世紀初めにはヒンドゥーのネパール人が侵入した。中・近世ロン文化はチベット文化圏の一部をなし、南アジアと本格的に接触したのは、中・近世の自然国境だったテライ(ヒマラヤ山塊南側の平地の沼沢森林地帯)を越えてイギリス領化され、ダージリンを中心とした茶のプランテーション栽培が拡大してからの近代的現象である。
[佐々木明]
フランスの女流ピアノ奏者。生地ニームの音楽院、ついでパリ音楽院に学ぶ。近代フランスのピアノ音楽、とりわけドビュッシーとラベル、フォーレの解釈者としてはその交友を通じての著書もあり、フランスのピアノ曲を内外に積極的に紹介、初演した曲も少なくない。明快で知性的な演奏と評された。1906~40年パリ音楽院教授、43年バイオリンのジャック・チボーとロン‐チボー国際コンクールを創設、後進の育成と発掘・紹介にも尽力した。パリに没。
[岩井宏之]
『室淳介訳『ドビュッシーとピアノ曲』(1969・音楽之友社)』▽『北原道彦・藤村久美子訳『ラヴェル 回想のピアノ』(1985・音楽之友社)』
フランスの女流ピアニスト。1891年にパリ音楽院を卒業,引き続きA.F.マルモンテルに師事。1906年から40年まで母校で教える一方,20年にはバイオリニストのJ.ティボーと協力して音楽学校を設立。また43年には〈ロン=ティボー国際音楽コンクール〉を創始。ロンはまたフォーレ,ドビュッシー,ラベル,ミヨーら,フランス近代の作曲家たちと親しい友人関係にあり,彼らの新しい作品を紹介し続けた功績は大きい。例えばラベルは1919年に《クープランの墓》,32年に《ピアノ協奏曲》を初演している。
執筆者:後藤 暢子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…フランスの高名な二人の演奏家,ピアノのロンとバイオリンのティボーによって1943年に創設されたコンクール。初めの3回は3年ごとに行われたが,その後2年ごとの周期となって今日に至る。創設者の専門とした楽器,すなわちピアノおよびバイオリンの2部門が毎回行われている。賞は年度により多少の違いがあるが,第8位あたりまで決まっており,第1位から第3位までは,それぞれ〈大賞〉(グラン・プリ)がつく。第1位大賞のおもな受賞者は,ピアノでは,S.フランソア(1943),A.チッコリーニ(1949),バイオリンでは,M.オークレール(1943),B.グトニコフ(1957)ら。…
…フランスの高名な二人の演奏家,ピアノのロンとバイオリンのティボーによって1943年に創設されたコンクール。初めの3回は3年ごとに行われたが,その後2年ごとの周期となって今日に至る。…
※「ロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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