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ダルマツィア出身のオーストリアの指揮者。グラーツとライプチヒで学び,1883年ワイマールでリストに師事。ケーニヒスベルク(現,ロシアのカリーニングラード),マンハイム,ベルリン,ミュンヘンなどで指揮活動ののち,1908-11年ウィーン宮廷歌劇場指揮者,08-27年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者を務める。ダルムシュタットの音楽総監督,ウィーンのフォルクスオーパー監督,バーゼル音楽院長などを歴任ののち,35-36年音楽監督としてウィーン国立歌劇場(旧,宮廷歌劇場)に帰る。透徹した客観的視点に立つ指揮は過去の作品に新鮮な美をよみがえらせた。R.ワーグナーの影響を示すオペラ,管弦楽曲などの作曲もある。1937年来日,新交響楽団(現,NHK交響楽団)を指揮した。このとき〈ワインガルトナー賞〉を設けて日本の管弦楽作品を募集(早坂文雄,尾高尚忠,箕作秋吉,大木正夫,呉泰次郎が受賞),演奏界のみならず作曲界にも刺激を与えた。
執筆者:大木 正興
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オーストリアの指揮者で、20世紀前半を代表する大家の一人。ザーラ(現クロアチア南西部のザダル)生まれ。グラーツとライプツィヒでピアノと作曲を学び、さらにワイマールでリストに師事した。ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)の歌劇場指揮者を振り出しに各地で活躍、1891年からベルリン宮廷歌劇場首席指揮者。1908年マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場指揮者に転じ、あわせて08~27年ウィーン・フィルハーモニーの常任指揮者を務めた。14年からはダルムシュタット歌劇場、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者、バーゼル音楽院長を歴任、35~36年ウィーン国立(旧宮廷)歌劇場総監督。37年(昭和12)来日、新交響楽団(現N響)を指揮して楽員と聴衆に深い感銘を与えた。ナチスによるオーストリア併合のため、38年以後はフランスとイギリスで活動、スイスで死去。古典的な形式美を重んじた典雅な演奏スタイルで知られ、またベートーベン解釈の権威として大きな影響を及ぼした。
[岩井宏之]
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