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昭和期の作曲家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
作曲家。独学でピアノと作曲を学び,1934年に札幌で,作曲家伊福部昭(いふくべあきら)や評論家三浦淳史とともに〈新音楽連盟〉を結成し,反アカデミズムを主張してサティらの音楽に影響を受けた。雅楽に素材を求めたオーケストラ曲《古代の舞曲》(1938)で,ワインガルトナー賞を獲得し,以後東京に居を移し,東洋的な時間と空間の感覚を生かした〈汎東洋主義〉という作風を掲げて,《左方の舞と右方の舞》(1942)などの作品を発表。第2次大戦後は,清瀬保二,松平頼則らと〈新作曲派協会〉を結成し,民族主義的な交響組曲《ユーカラ》(1955)で注目された。《羅生門》(1950),《雨月物語》(1953)など映画音楽にも大きな功績を残し,また〈汎東洋主義〉の思想と様式は,武満徹らの新しい世代の作曲家に影響を与えた。主著《日本的音楽論》(1942)。
執筆者:船山 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
作曲家。仙台生まれ。幼時札幌に移り、独学で作曲、ピアノを学ぶ。1932年(昭和7)北海中学校卒業。1934年伊福部昭(いふくべあきら)らと「新音楽連盟」を結成。早くから日本、東洋の伝統的諸芸術に関心をもち、当時西洋を志向していた中央の楽壇から離れ、「汎東洋主義(パン・エイシアニズム)」の考えから独自の作風を展開していった。主要作品に、雅楽を題材とした管弦楽曲『古代の舞曲』(1937)と『左方の舞と右方の舞』(1942)、遺作の交響的組曲『ユーカラ』(1955)など。また映画音楽の分野でも活躍し、黒澤明監督の『羅生門(らしょうもん)』『七人の侍』、溝口健二監督の『雨月物語(うげつものがたり)』『山椒大夫(さんしょうだゆう)』など多くの名作を残した。「汎東洋主義」の音楽思想は武満徹(たけみつとおる)らの新しい世代の作曲家に大きな影響を与えた。
[船山 隆]
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…〈彼は鼻と唇をかんだ〉などというのは誤用だろうが,〈スカートとスピーチは短いほどいい〉というふうにうまく決まっている場合は,修辞的な遊戯といえる。(13)早口言葉 〈舌もじり〉ともいう。〈生麦生米生卵〉〈坊主が屛風に上手に坊主の絵をかいた〉など。…
※「早坂文雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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