ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワルシャワ蜂起」の意味・わかりやすい解説
ワルシャワ蜂起
ワルシャワほうき
Powstanie Warszawskie
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第2次大戦末期に起こったポーランド地下軍(国内軍)とワルシャワ市民とによるドイツ占領軍に対する蜂起。軍事的には反ドイツ,政治的には反ソ連の性格をもった。ロンドン亡命政府につながる国内軍司令部は,ソ連軍によるワルシャワ解放が目前に迫ったかに思われた1944年7月下旬に一斉蜂起を決定,首都の主人として解放者を迎えようとした。8月1日共産党員を含むほとんど全市民の参加のもとに蜂起が敢行され,市の中心部が解放された。ソ連ははじめ蜂起に関心を示すかに見えたが,その反ソ的性格を見抜くやビスワ川対岸で進撃を停止して,いっさいの援助を控え,西側の援助行動にも非協力的態度をとった。ようやく9月10日以降若干の援助物資を投下し,ポーランド人部隊の渡河作戦を許したが,蜂起を救うには遅すぎ,かつ不十分であった。孤立した蜂起軍と市民はしだいにドイツ軍に圧迫され,20万の死者と全市の破壊という犠牲をもって10月2日降伏を余儀なくされた。
執筆者:伊東 孝之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
1944年8月から10月にかけてポーランドの首都ワルシャワで起こった,ドイツ占領軍に対する蜂起。ロンドンにあった亡命政府系の国内軍が首都の自力解放をめざし,ソ連軍の接近に合わせて8月1日に蜂起した。蜂起軍はおよそ4万だったが,武器は不足し,連合国の支援もほとんどなかった。市民を巻き込んだ市街戦は,装備にまさるドイツ軍の優位に展開し,蜂起軍は10月2日に降服した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…連合軍によっていわば〈外から〉解放され,国王権力を頂くバドリオ政権の下に置かれた南部と,パルチザン闘争によってレジスタンス勢力が自立的な解放を多くの地域でなしとげ,ファシズム体制を超える新しい戦後のあり方をそのなかから生み出しつつあった北部と,この違いのなかで両者の合体によって生まれた解放後のイタリアの権力のあり方は,ファシズムを支えていた既成の支配構造の清算の問題を,戦後に持ち越さざるをえなかったのであった(〈反ファシズム〉の項目を参照)。
[パリ解放とワルシャワ蜂起]
1944年8月のパリ解放は,ド・ゴールとパリ解放委員会を軸にするレジスタンス勢力との主導権争いを含みながら,連合軍の意図を超えてフランス人によるみずからの手による解放という,国民蜂起の形をとって実現された。しかし,これと悲劇的な対照をなしたのは,ポーランドのワルシャワ蜂起であった。…
※「ワルシャワ蜂起」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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