ヴァイマル共和国(英語表記)Weimarer Republik

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヴァイマル共和国」の解説

ヴァイマル共和国(ヴァイマルきょうわこく)
Weimarer Republik

ドイツ革命に伴い1918年11月に成立した共和制ドイツの通称憲法制定国民議会の開催地ヴァイマルにちなむ。19年8月ヴァイマル憲法発布。大統領エーベルトのもと,社会民主党中央党民主党が「ヴァイマル連合」を形成して発足当初の共和国を支えた。共和国は帝制の専制機構を排除したが,反共和国勢力は残り,ヴァイマル連合も20年には早くも政権を失って,25年にはヒンデンブルクが大統領に選出された。カップ一揆など初期の反革命の動きは,シュトレーゼマンらの努力でインフレが収束され,賠償問題が解決に向かうとともに克服され,25年頃から共和制の安定,国力復興の道が開けた。しかし,29年の大恐慌で経済秩序が混乱すると,右翼勢力が全面的に復活し,その反革命的攻勢は,33年1月,ヒトラー内閣成立による共和国の崩壊を導いた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ヴァイマル共和国」の解説

ヴァイマル共和国
ヴァイマルきょうわこく
Weimarer Republik

ドイツ革命の結果,1919年に成立したドイツ共和国の通称。名称は,憲法を定めた国民議会の開催地ヴァイマルに由来する
初代大統領はエーベルト。第一次世界大戦の敗戦によりドイツに革命が起こり,ヴァイマル憲法の制定によってドイツは君主政国家から西欧型の民主主義国家へ移行した。レンテンマルクの発行によりインフレの収拾を成功させ,1926年には戦前の経済水準を抜くに至った。しかし共和国成立当初からの小党の分立,主義主張の対立は,初めは与党連合(ヴァイマル連合)などによってやわらげられていたが,のちしだいに激しくなり,議会政治に対する極右・極左勢力の公然の攻撃を受け,加えて1930年以後の不況による社会不安によってますます政情は動揺し,共和国はその実質を喪失した。1933年ヒトラーが政権を掌握し,授権法によって実質的に憲法を停止した。1934年8月,大統領ヒンデンブルクの死を契機にヒトラーの独裁が確立し,共和国はまったく崩壊した。

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