カップ一揆(読み)カップいっき(英語表記)Kapp Putsch

改訂新版 世界大百科事典 「カップ一揆」の意味・わかりやすい解説

カップ一揆 (カップいっき)
Kapp Putsch

1920年3月13日,ワイマール共和国革命運動を打倒するため,軍の一部と反共和派政治家が企てたクーデタ。近年では指導者2人の名をとってカップ=リュトウィツ一揆と呼ばれる。ドイツ革命共和国成立に反対し,戦前帝政を志向する保守的帝政派・国粋主義者はカップWolfgang Kapp(1858-1922)を中心に体制の打倒を目ざして国粋連盟を組織,ベルサイユ条約による軍備制限に不満を持つ将軍リュトウィツWalther Freiherr von Lüttwitz(1857-1942),義勇軍の一部もこれに参加した。彼らはブルジョア政党,経済界の一部から支援されたが,準備が整わないうちに,20年3月リュトウィツ指揮下の軍団解散を命ずる政府と,それを拒むリュトウィツの対立が起こり,罷免されたリュトウィツは配下のエアハルト軍団を率いて13日ベルリン占領,カップ新政府の樹立を宣言した。国防軍がクーデタ鎮圧を拒否したため,合法政府は南ドイツのシュトゥットガルトに逃れたが,社会主義諸政党,労働組合ゼネストを指令してクーデタに対抗した。ゼネストは広い支持を受け,労働者工業地帯を中心に武装して蜂起したため,カップは17日退陣,亡命してクーデタは失敗した。クーデタは大衆基盤を持たない反動的な反共和国の軍事行動が,見込みのないことを明らかにした。他方これを機に労働者政府を樹立して革命の安定を図ろうとする労働者の試みも失敗し,武装労働者軍がその後厳しく弾圧されたことから,彼らの徹底した民主化要求も実現されないままに終わった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カップ一揆」の意味・わかりやすい解説

カップ一揆
かっぷいっき
Kapp-Putsch

1920年3月に、ベルリンで反動的政治家カップWolfgang Kapp(1858―1922)、国防軍第1軍団司令官フォン・リュトウィッツ将軍を中心として企てられた反共和主義的クーデター。彼らはベルサイユ条約に基づく兵力削減に反対し、同月13日、解散の対象とされていたエアハルト海兵団を先頭にベルリンを占領、新政府の樹立を宣言した。ワイマール共和国政府は国防軍に協力を求めたが拒否されたため、ドレスデン、ついでシュトゥットガルトに逃れた。労働組合がゼネストでカップに抵抗、民主党もこれに協力したので、右翼政党や国防軍もカップを見放し、17日、一揆は失敗に終わった。しかし一揆は共和国の弱体性と国防軍のもつ意義を浮き彫りにし、政治上大きな影響を残した。

[松 俊夫]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カップ一揆」の解説

カップ一揆(カップいっき)
Kapp-Putsch

1920年3月13日ベルリンで起こった右翼反動分子によるクーデタ。大戦中の祖国党の創立者の一人で,排外的国粋主義を唱えていたヴォルフガング・カップを首領とし,フォン・リュトヴィッツ将軍らの帝制派軍人が,エールハルト旅団らの極右的義勇軍の支持を得て,ベルリンを占領し,軍事独裁を試みた。共和国政府はドレスデン,そしてシュトゥットガルトに逃れた。しかし,労働組合はゼネストに訴え,官吏もこれにならい,国防軍首脳も形勢をみて反乱を支持しなかったので,一揆の主導者は17日国外に逃亡し,反乱は失敗した。

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百科事典マイペディア 「カップ一揆」の意味・わかりやすい解説

カップ一揆【カップいっき】

1920年3月,W.F.vonリュトウィツ,W.カップらを指導者としてドイツ右翼・帝政派が起こしたクーデタ。ワイマール共和国政府によるベルサイユ条約調印を不満とし,一部義勇軍の支持を得て一時ベルリンを握ったが,労働者のゼネストによる反抗で失敗。

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旺文社世界史事典 三訂版 「カップ一揆」の解説

カップ一揆
カップいっき
Kapp Putsch

1920年3月,ベルリンで起こった帝政派軍部によるクーデタ
ヴァイマル(ワイマール)共和国の中道政府であるドイツ社会民主党政権によって共産党,独立社会民主党などの左翼政党が弾圧されたのを機に帝政派軍部が起こした。その結果,カップ(1858〜1922)を首相とする独裁政権が成立したが,労働組合のゼネストと国防軍の中立で孤立し,わずか5日間で崩壊,中道政府が復帰した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カップ一揆」の意味・わかりやすい解説

カップ一揆
カップいっき
Kapp Putsch

1920年3月 12日ドイツ帝政派による不成功のクーデター。保守派の W.カップを中心に国防軍の一部が共和政と民主憲法廃止を唱えて反乱を起し,ベルリンを占領,新政府の樹立を宣言したが,労働者のゼネストによってベルリンは麻痺し,一揆はわずか5日間で崩壊した。

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世界大百科事典(旧版)内のカップ一揆の言及

【ドイツ革命】より

…そして7月,国民議会は〈ドイツ国憲法〉(〈ワイマール憲法〉)を採択した。
[革命の終焉]
 1920年3月,前々月に発効したベルサイユ条約にもとづく兵力削減を契機として,旧軍将校やユンカーを中心とする反共和国勢力が〈カップ一揆〉をおこすと,大統領エーベルトをはじめとする社会民主党閣僚やレギーンの率いる労働組合はゼネストを呼びかけ,労働者はゼネストに立ち上がった。ルール地方や中部ドイツでは,革命派を中心とした労働者が一揆支持の国防軍部隊を武装闘争で圧倒した。…

※「カップ一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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