一燈園(読み)いっとうえん

精選版 日本国語大辞典 「一燈園」の意味・読み・例文・類語

いっとうえんイットウヱン【一燈園】

  1. 明治三八年(一九〇五四月西田天香によって創始された修養団体。また、その道場の名。正しくは財団法人懺悔(ざんげ)奉仕光泉林。道場は京都市山科区にあり、無所有、無一物の懺悔奉仕の生活を目指し、「光明祈願」を主旨とした共同生活を行なう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一燈園」の意味・わかりやすい解説

一燈園
いっとうえん

西田天香(にしだてんこう)が1905年(明治38)に京都で創始した信仰団体。西田は1872年(明治5)滋賀県長浜の紙問屋に生まれ、北海道で開墾事業の監督となったが、農民と資本主の紛争のなかで苦悩し、職を捨てて、求道(ぐどう)の放浪生活に入った。1903年(明治36)トルストイの『わが宗教』を読んで眼(め)を開かれ、無一物の禁欲、奉仕、内省の生活を始めた。1905年長浜の愛染(あいぜん)堂で断食中、乳児泣き声を聞いて、人生の理想は赤児のように無心となることであると悟り、京都鹿ヶ谷(ししがたに)に一燈園を開いて、托鉢(たくはつ)、奉仕、懺悔(ざんげ)の信仰生活を説いた。のち山科(やましな)に移り、日露戦争後から第一次世界大戦中には、一燈園が説く「おひかり」による内面的救済を求めて信者が急増した。1921年(大正10)西田の教話集『懺悔の生活』がベストセラーとなった。一燈園では、数百人の信者が、絶対平等、無所有、無一物の共同生活を営み、奉仕の托鉢行(ぎょう)を行った。大正末期から昭和初年に、光泉林(こうせんりん)、すわらじ劇園などの関連団体を設立し、朝鮮、中国、ハワイ、アメリカに進出した。西田は、光明祈願による新生活を提唱し、第二次世界大戦中、政治外交、社会問題などについて活発に発言した。戦後、西田は国民総懺悔を唱えて参議院議員となった。

 西田の没(1968)後、一燈園では、西田の教えを現代に生かすべく、人間回復のための懺悔と托鉢奉仕の信仰生活を呼びかけている。現在、光泉林(公称は「財団法人懺悔奉仕光泉林」)が存在する京都市山科(やましな)区四ノ宮に本部を置く。

[村上重良 2018年6月19日]

『西田天香著『懺悔の生活』新装版(1995・春秋社)』

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