一龍斎貞山(読み)いちりゅうさいていざん

精選版 日本国語大辞典 「一龍斎貞山」の意味・読み・例文・類語

いちりゅうさい‐ていざん【一龍斎貞山】

  1. 講談師
  2. [ 一 ] 初代。本名中村貞之助。錦城斎典山門弟。同じく隻眼であった伊達(だて)政宗の法名貞山院にちなんで貞山と号し、「伊達評定」を得意とした。安政二年(一八五五)没。
  3. [ 二 ] 二代。東京、日本橋浜町矢の倉に住んで矢の倉貞山と呼ばれ、世話狂言に長じた。天保一〇~明治七年(一八三九‐七四
  4. [ 三 ] 五代。本名青山岳次郎。のち三代錦城斎典山。時代もの、世話ものに名人芸をうたわれた。文久三~昭和一〇年(一八六三‐一九三五
  5. [ 四 ] 六代。本名桝井長四郎。気品のある芸風で「赤穂義士伝」を得意とし、講談界の第一人者として勢力があった。明治九~昭和二〇年(一八七六‐一九四五
  6. [ 五 ] 七代。本名佐藤貞之助。怪談ものを得意とした。明治四〇~昭和四一年(一九〇七‐六六

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「一龍斎貞山」の解説

一龍斎 貞山(7代目)
イチリュウサイ テイザン


職業
講談師

本名
佐藤 貞之助

別名
前名=一龍斎 貞之助,一龍斎 貞鏡

生年月日
明治40年 6月2日

出生地
東京市 深川区(東京都 江東区)

学歴
深川猿江小卒

経歴
大正11年6代目一龍斎貞山に入門、貞之助(本名のまま)、昭和6年貞鏡を名乗り真打ちに昇進。師の死後、22年に7代目を襲名した。道具仕掛けの怪談の分野を開拓、お化けの貞山といわれた。また長らく講談組合の副頭取を務めた。

没年月日
昭和41年 12月7日 (1966年)

家族
息子=一龍斎 貞山(8代目)

伝記
芸人論〈1〉鬼籍名人貞丈のお笑い芸界銘々伝 立川 談志 著一龍斎 貞丈 著(発行元 講談社日本デザインクリエーターズカンパニー ’02’90発行)


一龍斎 貞山(3代目)
イチリュウサイ テイザン


職業
講談師

本名
内山 孝七

別名
前名=伊東 花林,一龍斎 貞吉(初代),一竜斎 貞山(3代目)

生年月日
天保6年

経歴
本名は孝吉とも伝わる。初代伊東潮花に入門して花林を名乗るが、訥弁のため見込み無しとされた。やがて2代目一龍斎貞山の門に移って頭角を現し、初代貞吉を経て、明治7年師の急逝に伴い、3代目一龍斎貞山を襲名。18年弟子の初代一龍斎貞丈に4代目貞山を譲り、錦城斎一山を名乗った。「義士伝」や「伊賀の水月」「黒田騒動」などの軍談物を得意とし、明治初期の講談界における大看板の一人と目された。特に「義士伝」で尊敬する大石内蔵助の名を語るときは、その名前を決して呼び捨てにしなかったという。門下からは2代目一龍斎一山、5代目一龍斎貞山(3代目錦城斎典山)、2代目一龍斎貞吉(邑井一)らを輩出した。大頭のため、“頼朝公”のあだ名があった。

没年月日
明治22年 3月21日 (1889年)


一龍斎 貞山(6代目)
イチリュウサイ テイザン


職業
講談師

肩書
講談落語協会会長

本名
桝井 長四郎

別名
前名=一龍斎 貞花(3代目),昇龍斎 貞丈(3代目)

生年月日
明治9年 11月26日

出生地
東京府京橋(東京都 中央区)

経歴
明治19年4代目貞山に入門、4代目没後の23年5代目貞山の門に入り、40年5代目が錦城斎典山となって、貞丈から6代目貞山を襲名した。細目のさわやかな声で「赤穂義士伝」を読み、ラジオが普及した昭和初期、電波に乗って全国的に名を知られた。15年講談落語協会初代会長も務めたが、東京大空襲で戦災死した。

没年月日
昭和20年 3月10日 (1945年)


一龍斎 貞山(4代目)
イチリュウサイ テイザン


職業
講談師

本名
杉江 勝太郎

別名
前名=一龍斎 貞花(初代),昇竜斎 貞丈(初代)

生年月日
安政1年

経歴
3代目一龍斎貞山門に入り、初代貞花、初代昇龍斎貞丈を経て、明治18年師が錦城斎一山と改名したことに伴い4代目貞山を襲名。

没年月日
?

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「一龍斎貞山」の解説

一龍斎 貞山(6代目)
イチリュウサイ テイザン

明治〜昭和期の講談師 講談落語協会会長。



生年
明治9年11月26日(1876年)

没年
昭和20(1945)年3月10日

出生地
東京府京橋(現・東京都中央区)

本名
桝井 長四郎

別名
前名=一龍斎 貞花(3代目),昇龍斎 貞丈(3代目)

経歴
明治19年4代目貞山に入門、4代目没後の23年5代目貞山の門に入り、40年5代目が錦城斎典山となって、貞丈から6代目貞山を襲名した。細目のさわやかな声で「赤穂義士伝」を読み、ラジオが普及した昭和初期、電波に乗って全国的に名を知られた。15年講談落語協会初代会長も務めたが、東京大空襲で戦災死した。


一龍斎 貞山(7代目)
イチリュウサイ テイザン

昭和期の講談師



生年
明治40(1907)年6月2日

没年
昭和41(1966)年12月7日

出生地
東京市深川区(現・東京都江東区)

本名
佐藤 貞之助

別名
前名=一龍斎 貞之助,一龍斎 貞鏡

学歴〔年〕
深川猿江小卒

経歴
大正11年6代目一龍斎貞山に入門、貞之助(本名のまま)、昭和6年貞鏡を名乗り真打ちに昇進。師の死後、22年に7代目を襲名した。道具仕掛けの怪談の分野を開拓、お化けの貞山といわれた。また長らく講談組合の副頭取を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一龍斎貞山」の意味・わかりやすい解説

一龍斎貞山(6世)
いちりゅうさいていざん[ろくせい]

[生]1876.11.26. 東京,京橋
[没]1945.3.10. 東京
講談師。本名桝井長四郎。名人とうたわれた錦城斎典山に師事し,1907年,貞丈から6世を襲名。荘重な名調子で鳴らし,『赤穂義士伝』が十八番。豪放で親分肌の人柄から,講談師でありながら落語協会の会長までつとめたが,東京大空襲にあい隅田川で水死した。

一龍斎貞山(7世)
いちりゅうさいていざん[ななせい]

[生]1907.6.2. 東京,深川
[没]1966.12.7.
講談師。本名佐藤貞之助。6世一龍斎貞山に入門,1947年7世を襲名。道具を使った怪談に長じ,「お化けの貞山」と呼ばれた。5世宝井馬琴,5世一龍斎貞文とともに講釈界の三羽烏の1人。

一龍斎貞山(8世)
いちりゅうさいていざん[はっせい]

[生]1947.9.3. 東京,牛込
講談師。本名小村井貞夫。7世一龍斎貞山の実子で,6世神田伯龍の養子。 1979年に8世襲名。『赤穂義士伝』を得意とする。

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367日誕生日大事典 「一龍斎貞山」の解説

一龍斎 貞山(6代目) (いちりゅうさい ていざん)

生年月日:1876年11月26日
明治時代-昭和時代の講談師。講談・落語協会会長
1945年没

一龍斎 貞山(5代目) (いちりゅうさい ていざん)

生年月日:1864年2月3日
明治時代-昭和時代の講談師
1935年没

一龍斎 貞山(7代目) (いちりゅうさい ていざん)

生年月日:1907年6月2日
昭和時代の講談師
1966年没

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