日本大百科全書(ニッポニカ) 「錦城斎典山」の意味・わかりやすい解説 錦城斎典山きんじょうさいてんざん 講釈師。初代生没年、生涯など未詳。金上斎。弘化(こうか)(1844~48)ごろの番付『古今軍談名人揃』に、『伊賀ノ水月(すいげつ)』を得意とするとあり、門下より初代一竜斎貞山(いちりゅうさいていざん)を出した。[延広真治]2代生没年、生涯など未詳。2代貞山の弟。世話物を得意とした。俗に鼻かけ典山。[延広真治]3代(1864―1935)本名青山嶽次郎(たけじろう)。江戸神田生まれ。母は女義太夫(ぎだゆう)竹本越花(こしか)。幼少より講談を好み、3代貞山に入門。のち4代貞山の譲り弟子となり、師の没後5代貞山を襲名したが、1907年(明治40)門人の3代貞丈に6代目を譲り、3代錦城斎典山を相続した。『村井長庵(ちょうあん)』『天保六花撰(てんぽうろっかせん)』などの世話物はもとより、『義士伝』『伊賀の水月』など時代物にも優れていた近代の名人。長編を一席物としても鑑賞できるようくふうし、心理描写に意を用いた。1950年(昭和25)、青山家より『錦城斎典山』が刊行された。[延広真治] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
新撰 芸能人物事典 明治~平成 「錦城斎典山」の解説 錦城斎 典山(3代目)キンジョウサイ テンザン 職業講談師 本名青山 嶽次郎(アオヤマ タケジロウ) 別名前名=一龍斎 貞花(2代目),一龍斎 貞丈(2代目),一龍斎 貞山(5代目)(イチリュウサイ テイザン) 生年月日文久4年 2月3日 出生地江戸・神田(東京都 千代田区) 経歴3代目一龍斎貞山に弟子入り。貞花、貞丈を経て、明治23年5代目貞山、40年に3代目錦城斎典山を襲名。時代物、侠客伝、世話物など幅広い演題をこなし、人物表現、情景描写は絶品と評された。 没年月日昭和10年 1月7日 (1935年) 家族母=竹本 越花(女義太夫),長男=花柳 寿楽(日本舞踊家) 親族女婿=花柳 寿輔(2代目)(日本舞踊家) 伝記私の出会った落語家たち―昭和名人奇人伝 宇野 信夫 著(発行元 河出書房新社 ’07発行) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「錦城斎典山」の意味・わかりやすい解説 錦城斎典山 (きんじょうさいてんざん) 講釈師。(1)初代は,天保(1830-44)のころに,釈台を前に,張扇(はりおうぎ)と拍子木(ひようしぎ)を両手に使用する演出を考案したひとといわれる。(2)3代(1863-1935・文久3-昭和10) 本名青山岳次郎。《義士伝》《天保六花撰(てんポうろつかせん)》《天明白浪五人男(てんめいしらなみごにんおとこ)》《みの吉殺し》など,世話物,時代物の両方に長じて近代講釈界最高の名人とうたわれた。写実的な読み口と,的確な情景描写は,同時代の俳優たちの多くにも影響を与えた。執筆者:矢野 誠一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「錦城斎典山」の解説 錦城斎典山(2代) きんじょうさい-てんざん ?-? 江戸時代後期の講釈師。2代一竜斎貞山の門弟。2代貞水が,貞林をへて襲名。拍子木だけをつかい,ひとことで2階から階下におりるさまを表現するなど,たくみな読み口で人気をあつめた。世話物を得意とし,「鼻かけ典山」とよばれた。前名は巴水。 錦城斎典山(初代) きんじょうさい-てんざん ?-? 江戸時代後期の講釈師。天保(てんぽう)(1830-44)のころ,釈台をおき,張り扇と拍子木を両手にもってよむ演出を考案したとされる。初代桃林亭東玉とならび称され,門下から初代一竜斎貞山をだした。 錦城斎典山(3代) きんじょうさい-てんざん ⇒一竜斎貞山(いちりゅうさい-ていざん)(5代) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by