七生社(読み)しちせいしゃ

改訂新版 世界大百科事典 「七生社」の意味・わかりやすい解説

七生社 (しちせいしゃ)

東京帝国大学の学生,卒業生によって組織された右翼結社。法学部教授上杉慎吉を指導者に1925年に創設された。〈七生報国〉にちなんで会の名称をつけ,〈至誠一貫,報国尽忠〉をその綱領としたが,運動の主目標は当時勢い盛んな左翼の学生運動に対抗することにおかれていた。28年に同社員が東大新人会の会員との間に引き起こした一連の衝突事件は,左翼学生運動との抗争事件として有名である。左翼の衰勢によって七生社の運動も活発さを失い,停滞する。会員数は最盛期の20年代末で50名程度であった。学生,OBの活動家としては穂積五一が中心的人物であり,このほか四元義隆など血盟団事件にも数名の社員が関係している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「七生社」の意味・わかりやすい解説

七生社
しちせいしゃ

1925年(大正14)2月、新人会などの進歩的学生運動に対抗するため東京帝国大学内につくられた学生右翼団体。上杉慎吉(うえすぎしんきち)教授を指導者に、「至誠一貫、報国尽忠」を綱領とした。最初は週1回の研究会、月1回の神社・史跡参詣(さんけい)や、床次竹二郎(とこなみたけじろう)・小川平吉ら先輩同人を招いて講演会を開催するなどしていたが、しだいに暴力化し、しばしば新人会員などを襲撃した。なかでも28年(昭和3)には「高等学校弁論大会擁護演説会」を襲撃、重軽傷者を出している(七生社事件)。32年の血盟団事件で、四元義隆(よつもとよしたか)ら社員4名が、西園寺公望(さいおんじきんもち)などの暗殺担当者として逮捕、起訴され、社会に衝撃を与えた。その後も講演会などの活動を続けたが、38年ごろ自然消滅状態となった。

[大野達三]

『藤嶋利郎「最近における右翼学生運動に付て」(『思想研究資料特輯』第76号所収・1940・司法省刑事局)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「七生社」の意味・わかりやすい解説

七生社
しちせいしゃ

大正末期から昭和にかけて,東京大学内に組織された右翼系の学生団体。 1920年に結成された右翼学生団体興国同志会の後身。 25年に東大教授上杉慎吉の指導のもと,左翼系の学生思想団体である新人会に対抗し,国家興隆,国家主義,人格修養を標榜して結成された。この時期の左翼学生運動の高揚のなかで,これと暴力的衝突事件を起すなど,国家主義的な派手な動きが注目を集めたが,29年上杉没後,次第に活動を沈滞させていった。 32年3月の血盟団事件に社員4名が参加。これによって再び注目を集めたが,その後は社としての活動にみるべきものはなく,皇道翼賛青年連盟などの右翼青年運動の流れに解消した。

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世界大百科事典(旧版)内の七生社の言及

【学生運動】より

… このように学連の活動が活発化するに及んで,これに対抗すべく国家主義的運動も生じてきた。その代表的団体に1925年3月結成された七生社がある。上杉慎吉の指導のもと,松岡平市らによって組織され,新人会に対抗するため,東京帝大内につくられた。…

※「七生社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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