デジタル大辞泉
「万亭応賀」の意味・読み・例文・類語
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まんてい‐おうが【万亭応賀】
- 江戸末期から明治初期の戯作者。本名服部長三郎(のち孝三郎)。常陸下妻藩に仕えたが致仕。松亭金水・梅亭金鵞と知り長編合巻「釈迦八相倭文庫」を発表。著「孝悪両面鏡」「英雄五大力」など。文政元~明治二三年(一八一八‐九〇)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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万亭応賀
まんていおうが
(1818?―1890)
江戸後期の戯作(げさく)者。本名服部孝三郎(長三郎とも)。江戸の人。父服部長狭勾当(ながさこうとう)は、彼に士分の株を買って常陸(ひたち)下妻藩に出仕させたが、まもなく辞して戯作界に入った。松亭金水(しょうていきんすい)、梅亭金鵞(ばいていきんが)などの戯作者グループに加わり、合巻(ごうかん)『釈迦八相倭文庫(しゃかはっそうやまとぶんこ)』(初編、1845)によって幕末戯作界に地位を得、『聖徳太子大和鏡(やまとかがみ)』『高祖朝日衣』などの実録風合巻も刊行した。明治になり、反時勢的な風刺作品を書いたが注目されず、陋巷(ろうこう)に窮死した。開化主義の仮名垣魯文(かながきろぶん)と対照的な戯作者だった。
[興津 要]
『興津要著『転換期の文学――江戸から明治へ』(1960・早稲田大学出版部)』
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万亭応賀【まんていおうが】
合巻作者。本名服部長三郎(孝三郎とも)。江戸生れ。常陸下妻藩に出仕したがまもなく辞し,松亭金水,梅亭金鵞ら戯作者のパトロンとなる。1845年より長編合巻《釈迦八相倭(しゃかはっそうやまと)文庫》を刊行,明治維新後も書き継ぐ。1873年―1874年,文明開化を揶揄・否定する《和談三才図笑》《当世利口女(むすめ)》《近世惘蝦蟇(あきれかえる)》などを執筆。徳川草創期の逸話を集めた《明良双葉草》も書いたが,時代に取り残された。
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万亭応賀 まんてい-おうが
1819-1890 江戸後期-明治時代の戯作(げさく)者。
文政2年生まれ。勾当(こうとう)服部長狭(ながさ)の子。松亭金水(きんすい),梅亭金鵞(きんが)らと親交をもった。弘化(こうか)2年より明治4年にかけて長編合巻「釈迦八相倭(しゃかはっそうやまと)文庫」を執筆・刊行した。明治23年8月30日死去。72歳。江戸出身。本名は服部孝三郎(長三郎とも)。別号に春頌斎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の万亭応賀の言及
【釈迦八相倭文庫】より
…幕末の合巻。万亭応賀(まんていおうが)作。一陽斎豊国,2世歌川国貞,猩々狂斎画。…
※「万亭応賀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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