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万亭応賀 マンテイオウガ

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デジタル大辞泉の解説

まんてい‐おうが【万亭応賀】

[1819~1890]江戸末期・明治初期の戯作者。江戸の生まれ。本名、服部孝三郎。合巻「釈迦八相倭文庫」で戯作界に地位を確立、のち反動的な風刺作品を書いた。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

万亭応賀【まんていおうが】

合巻作者。本名服部長三郎(孝三郎とも)。江戸生れ。常陸下妻藩に出仕したがまもなく辞し,松亭金水梅亭金鵞ら戯作者のパトロンとなる。1845年より長編合巻《釈迦八相倭(しゃかはっそうやまと)文庫》を刊行,明治維新後も書き継ぐ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

万亭応賀 まんてい-おうが

1819-1890 江戸後期-明治時代の戯作(げさく)者。
文政2年生まれ。勾当(こうとう)服部長狭(ながさ)の子。松亭金水(きんすい),梅亭金鵞(きんが)らと親交をもった。弘化(こうか)2年より明治4年にかけて長編合巻「釈迦八相倭(しゃかはっそうやまと)文庫」を執筆・刊行した。明治23年8月30日死去。72歳。江戸出身。本名は服部孝三郎(長三郎とも)。別号に春頌斎。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

万亭応賀

没年:明治23.8.30(1890)
生年:文政2(1819)
幕末明治期の草双紙合巻作者。本名は服部孝三郎。常陸国(茨城県)下妻藩井上家に出仕したが辞す。梅亭金鵞などと親しく18歳ごろより戯作者となる。日蓮上人一代記『高祖朝日衣』(初編1850年),新時代の流行を風刺した『和談三才図笑』(1873年,地球自転説などの科学主義を否定),『日本女教師』(1874年,男女同権に反対)などの作がある。代表作である伝記『釈迦八相倭文庫』(初編1845年)は明治4(1871)年まで58編232冊が応賀ひとりの手で書き続けられた。長編合巻の多くが幾人もの作者によって書き継がれたことを思うと,このことは彼の学識と最後まで江戸の合巻作成の手法に徹した戯作者魂を証するものといえよう。

(本田康雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

まんていおうが【万亭応賀】

1818~1890) 江戸末期・明治の戯作者。江戸の人。本名、服部孝三郎。「釈迦八相倭やまと文庫」などの伝奇的合巻に長じ、明治維新後は、反時代的な風刺作品を著す。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

万亭応賀
まんていおうが
(1818?―1890)

江戸後期の戯作(げさく)者。本名服部孝三郎(長三郎とも)。江戸の人。父服部長狭勾当(ながさこうとう)は、彼に士分の株を買って常陸(ひたち)下妻藩に出仕させたが、まもなく辞して戯作界に入った。松亭金水(しょうていきんすい)、梅亭金鵞(ばいていきんが)などの戯作者グループに加わり、合巻(ごうかん)『釈迦八相倭文庫(しゃかはっそうやまとぶんこ)』(初編、1845)によって幕末戯作界に地位を得、『聖徳太子大和鏡(やまとかがみ)』『高祖朝日衣』などの実録風合巻も刊行した。明治になり、反時勢的な風刺作品を書いたが注目されず、陋巷(ろうこう)に窮死した。開化主義の仮名垣魯文(かながきろぶん)と対照的な戯作者だった。[興津 要]
『興津要著『転換期の文学――江戸から明治へ』(1960・早稲田大学出版部)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の万亭応賀の言及

【釈迦八相倭文庫】より

…幕末の合巻。万亭応賀(まんていおうが)作。一陽斎豊国,2世歌川国貞,猩々狂斎画。…

※「万亭応賀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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