江戸後期の戯作者(げさくしゃ)。本名中村経年また保定。通称源八郎また源八。別号積翠(せきすい)道人、拙作堂など。初め筆耕に従事し、江戸・神田大和(やまと)町に住す。曲亭馬琴(ばきん)の読本の筆耕をよくつとめた谷金川(たにきんせん)の門人。春水(しゅんすい)人情本の筆耕に携わるうち、人情本の作をものするようになり、為永春水の門人となる。春水ほどの艶情(えんじょう)味はないが、多くの人情本を手がけた結果、春水同様、天保(てんぽう)の改革に筆禍を受ける。晩年は江戸の諸所を転々とした。幕末の戯作者梅亭金鵞(ばいていきんが)は門人。おもな著作に『比翼連理花廼志満台(はなのしまだい)』(1836)、『閑情末摘花(かんじょうすえつむはな)』(1839~41)などの人情本、『積翠閑話』(1858)などの随筆、その他がある。
[武藤元昭]
『『日本名著全集15 人情本集』(1928・同書刊行会)』
(中野三敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…為永春水とならんで人情本の全盛期を代表する作者。松亭金水が遺稿をついだ《娘太平記操早引(みさおのはやびき)》第3編序(1839)には,〈大かたならざる畸人なりしが,嗚呼惜い哉不幸にして,早く黄泉の客となる〉とあり,書家として名声を博していたことも記されている。【前田 愛】。…
…前者の系譜を引くのは《娼妓美談(けいせいびだん) 籬の花(まがきのはな)》(1817)など,末期洒落本作者として出発した鼻山人であり,後者の中型読本から市井の男女の情話を描く人情本様式への転回を告げたのは,新内の名作《明烏(あけがらす)》の後日談として書かれた,2世南仙笑楚満人(なんせんしようそまひと)(為永春水)・滝亭鯉丈(りゆうていりじよう)合作《明烏後正夢(のちのまさゆめ)》(1819‐24)と素人作者の写本《江戸紫》を粉本とした十返舎一九の《清談峯初花(せいだんみねのはつはな)》(1819‐21)であった。 《明烏後正夢》で戯作(げさく)文壇に登場した2世楚満人は,その後,狂言作者2世瀬川如皐(じよこう)や筆耕松亭金水(しようていきんすい)らの助力を得て,二十数部の人情本を出版するが,いずれも未熟な習作で世評もかんばしくなかった。しかし,2世楚満人の戯号を改めた為永春水が,1832年(天保3)《春色梅児誉美(しゆんしよくうめごよみ)》を発表するに及んで,その凄艶な恋愛描写と洗練された〈いき〉の美学が少なからぬ反響を呼び,風俗小説としての人情本のジャンルが確立することになった。…
※「松亭金水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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